浜辺から

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 僕は台形型の防波堤の上を伝って歩いていた。見下ろす浜辺はずっと先の方までがらんとしていた。遠くに海の家らしき建物があるが、戸口に立て掛けられている板には赤い文字で「臨時閉店」とある。風にはかすかに潮のざらつきが感じられるが、不快な磯臭さはない。この時期らしい軽やかな昼下がりだった。  波打ち際の一ヵ所が燃えるように光って僕の目を射た。それは虹色にきらめいていて、そこだけ遠近感がきしんで、周囲との境目が揺らいで見えた。僕は堤防の階段を下りて砂浜へ向かった。靴の中に勢い良く砂が入った。  そこには人間ほどの大きさの生き物が、砂まみれになって横たわっていた。長い髪のようなものを頭から垂らし、尾は三つ又に分かれている。一見人魚のようだが、肌は一面細かな鱗に覆われていたし、口は細く尖って鳥のくちばしのようにも、イルカの口のようにも見えた。僕は深海魚のことは詳しくないが、昔読んだ学習図鑑に載っていたどの深海魚とも似付かない、異様な有り様だった。恐る恐る近づくと、死んでいると思っていたそれはもぞりと起き上がった。  心底驚くと足が動かないものなのだな。僕は妙に冷静だった。心は逃げ出したくてたまらず、心臓は早鐘を打っているのに、僕の足はびくともしない。目はその生き物から離せなかった。 「こんにちは」  喋った!  しかも日本語だ!しかし、僕は呻き声とも吐息ともつかない声しか出せない。 「怖がることはありません。私はあなたに危害を加えることはしません」  といいつつ、その生き物は(本当にそうだったらいいのに)というような淋しそうな顔をするのだった。
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