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舞姫伝説
翌日、二人は行田市役所で戴いてきたパンフレットを俺に見せてくれた。
俺の車で出掛けたいのだと思った。でも俺には仕事がある。昨日結局迷子の猫を捜せなかったのだ。
「その前に一仕事だ。猫捜しを頼まれた」
俺がそれを言い出したら二人は怪訝な顔をした。
早く幽霊事件を解決したいのだと解っちゃいるけど、此方は緊急事態なのだ。
一刻も早く飼い主を安心されてやりたいのだ。
その結果に瑞穂は黙ってしまった。
「背に腹は変えられないだろう?」
俺は平然と言ってやった。
「猫って時間が経てば経つほど捜せなくなるんだ」
俺は木暮君に言い訳を始めた。申し訳ないけど、今日は瑞穂を連れて行きたいのだ。
「そんなのは当たり前じゃないか」
木暮君は言ってくれた。
(木暮君は解っているんだ)
俺はほくそ笑んでいた。
「でもそんな状態になってからの依頼も良くあるんだ。だから大変なんだよ」
瑞穂がフォローしてくれている。この時期を逃してはならないと思った。
「猫の顔写真だけで見つけ出すのは至難の技だ。だから飼い主からの特徴などの情報と良く見比べて確保しなければならない。それ以外の動物だったら盗まれたとして訴えられることだろうから」
俺は一気に言った。
「基本的に飼い猫が家を飛び出した場合、何かに追われてない限り近くに居るのが原則なんだ」
「へぇーそうなんだ」
「だから、二人とも手伝ってくれないか?」
瑞穂だけで良いって言えない。仕方無く木暮君も誘うことにしたのだ。
「解ったよ。しょうがないな全く……」
木暮君は本当はいやいやらしい。
以前事務所に遊びに来た時に『ペット捜しを手伝ってみたい』なんて言ってくれたのは冗談半分だったのかも知れない。
「まずは腰を屈めて、草むらやベンチの下なども隈無く見る。どんな小さな隙間も見逃さない。それが迷子のペット捜しの鉄則だ」
俺は木暮君に指導していた。
瑞穂は慣れているからいいけど、木暮君は初めてなのだ。
膝を付いて覗き込む姿は恋人には見せたくはないだろう。
木暮君に彼女が居ないことは解ってはいたけど……
そんな努力の甲斐もあって、何とか仕事はこなせた。
俺の睨み通りに猫は比較的近所にいたのだ。
でもそれをやりのけられたのはやはりチームワークと連繋プレーのたわものだったのだ。
「こんなのでお金を戴いちゃ、なんだか気が引けるな」
申し訳なさそうに木暮君が言った。
「それでも、列記とした仕事なんだからな。堂々と戴けばいいんだよ」
俺はあっさり言ってやった。でも、木暮君は戸惑っているようだった。
「ま、一種のタイミングだな。だから気にするな」
「見つけ難い時もあるんだ。それでも叔父さんは一生懸命に捜してくれる」
「依頼主にとって、迷子になっているのはペットではなく家族なんだ。だから一刻も早く見つけてやりたいんだ」
それが二人の依頼より仕事を優先させた訳だった。『背に腹は変えられない』って言い訳をしながら、一応二人に謝っておいた。解ってくれたかどうかは判らないけどな。
そうは言っても本当に今回は不思議なくらいラッキーだった。あんな近場に居たのに何故飼い主の元に帰らなかったのだろうか?
それを考えると木暮君の戸惑ったのが良く解る。
でもこれで暫くは持ちこたえられそうだ。
国道を暫く走るとその街は見えて来た。
俺達はパンフレットにあった舞姫の墓の近くに車を止めた。驚いたことに其処は駅に近かった。
(何だよ。電車で来れば済んだのに……)
愚痴の一つも言ってやりたい。でもきっと乗り換えもあるだろうからと敢えて口を閉ざすことにした。
その墓に詣でることは事前に寺の関係者に許可を貰っておいた。
でも、本当の理由は打ち明けてはいなかった。
瑞穂はその人にパンフレットを見せて、この子が未だにさ迷っていることを告げた。
俺の見た限りでは驚きを隠せないような表情だった。
無理もない。
この街全体で大切に守られてきた舞姫なのに、その子供が此処まで辿り着けていないと知ったからだ。
毎年祈りを捧げての供養は舞姫だけではなく子供の魂も救うためでもあったのだと思った。
その人は知り合いの修験者を紹介してくれた。
それは舞姫の子供が、瑞穂と木暮君を頼ったと判断したからだった。
だから皆で魂を無事に連れて来られるように話し合うことにしたのだ。
そして今回は俺も同伴することにした。まさか、修験者を電車で案内することは出来ないと思ったからだった。
俺達は舞姫の子供らしい魂がさ迷っている海岸に修験者を案内した。
修験者は早速祈祷を開始した。
修験者が一体どんな物を使って魂を導くのか判らない。
けれど、『海岸から気配が消えているのは感じた』と瑞穂は言っていた。
(流石だな。きっと瑞穂とは比べ物にならないんだろうな)
そう、俺達はただ震えているだけだったのだ。
修験者は徒歩で子供の母親の墓を目指すと言い出した。
それが一番良い方法らしいのだ。
母親も歩いて恋人の後を追ったのだ。
その道中の途中で、将軍の放った刺客に襲われて恋人が亡くなったことを知ったのだ。
失意の内に臨終の地となる利根川沿いの街まで辿り着いた舞姫だったのだ。
修験者がどの道を行くのか判断出来ないけど託すしか道はなかった。
それでも一応地図で確認することにした。
東海道本線は半島には行かないけど、修験者は其処も行くと言う。
まずは海の旅なのだ。
海岸に埋めら殺されれた子供の霊が癒されるのには長い時間がかかるとのことだった。
だから敢えて辛い道を選んだのだ。
『その間は托鉢をしながら自分の修業をするつもりです』と修験者は言った。
瑞穂は思わず頭が垂れたようだ。それに木暮君も続いた。
『その旅を共にしたい』
と瑞穂は言った。
『でも俺はまだ高校生だ。いくら夏休みだと言っても、学業を疎かには出来ない』
なんて格好良く決めていた。だけど、本当は俺の手伝いと部活のためなんだ。
だって瑞穂はサッカー部のエースになりたいんだ。
その思いはみずほちゃんが亡くなってからも変わらないと思っていた。
そのためには合宿にも参加しなければならないと思う。
それでも心はあの乳飲み子の霊と一緒に居たいのだと思った。
『きっとあの砂浜に埋められようとした時に助けだされたのだ。でも魂は、産んでくれた母親を求めてさ迷い続けているのだと思う。それを癒すのは並大抵のことではない。だから俺も覚悟を決めた』
瑞穂はそう言うと、ポケットからあのコンパクトを取り出した。
パンフレットでは赤子は砂浜に埋められたことになっている。
でも木暮君のオジサンの言葉を信じたのだ。
「だから俺の一番の宝物を修験者に渡そうと思う。そう、これは俺の恋人が遺してくれた物だ」
瑞穂は恋人を同級生の企みによって自殺に見せ掛けられて殺害されていた。
それは瑞穂が俺の探偵事務所での初アルバイト代で買ったコンパクトに《死ね》と書かれていたことで発覚した。
瑞穂はそのコンパクトを恋人が倒れていた傍の茂みの中から発見したのだ。
瑞穂は昔から虫の知らせと言われる物と出くわしていたようだ。
所謂。直感、やま感、第六感だった。
そう……それに霊感。
だから、このコンパクトだって見つけ出すことが出来たのだ。
瑞穂はそれを見つけた時、こっそりコンパクトをポケットに隠したそうだ。
《死ね》それから感じるものは完全たる悪意だった。
瑞穂はただ恋人の名誉を守りたかったのだ。
瑞穂がヤキモキを焼くくらい誰にでも優しかったみずほちゃん。そんなみずほちゃんに恨みを抱いている人が居る。
その事実を、皆に知られなくなかったのだ。
奇しくも俺と同じ傷みを背負わされた瑞穂。
だから俺達は叔父甥の関係以上に結び付いているのだ。
二人は精神的な相棒でもあったのだ。でも瑞穂はまだそのコンパクトの真実を俺に語ってくれていない。俺も無理に聞こうとはしない。その日が来るまで待ってみようと思う。瑞穂の傷みが少し癒されるかも知れないからだ。
修験者はコンパクトに書かれた文字で瑞穂があじわった地獄を垣間見たようだ。
修験者は瑞穂の意図を汲んで、舞姫の命日までには何が何でも辿り着くと言ってくれた。
修験者の読経が浜辺に響き渡る。
心なしか、海岸線にある地蔵菩薩様も微笑んでいるように思えた。
「これでこの海水浴場も安泰か?」
木暮君のオジサンの言葉に頷きながらも、瑞穂は耳打ちをしていた。
「これからもこの海水浴場を守ってください」
と――。
「きっとオジサンの言ってた通りに、この浜辺に埋められた産まれたばかり赤子は助け出されたのだと思います。でも魂は此処に残って、母親を求めていたのだと感じました」
「アンタの霊感がか?」
その言葉に瑞穂は頷いた。
「この修験者の方に全てを託しました。けれども何時又戻って来るか解りません。だから何時でも迎えてあげてください」
瑞穂のヒソヒソ声はきっと修験者の耳にも達していることだろう。
それでも読経を止めない修験者に向かって、其処に居た全員が深く頭を垂れて合掌した。
修験者は地蔵菩薩像に挨拶した後、浜辺を立たれて行った。
瑞穂はその後で、例のパンフレットを木暮君のオジサンに見せた。
そのあまりにも悲惨な現実を見せられて、思わず目頭に手をもっていった。
赤子を殺しに来た人に、抱き抱えたままで伏し泣き叫んだ舞姫から奪い手渡したのは母だったからだ。
パンフレットでは祖母となっていて気付かなかったけど、その方は紛れもなく舞姫の母だと書かれていた人物だったのだ。
木暮君のオジサンもその砂浜で泣き伏した。
俺達は海の家開設百周年の現場にいた。
明治時代に開業した海水浴場は駅から近いと立地も相まってかなり賑やかだった。
そんな中瑞穂は海岸線に目をやった。
「コンパクトを修験者に託したからか? 霊感と言う鳥肌に被われることは無くなった。それでもあの地蔵菩薩の顔が安らいでいるように思われる」
瑞穂はそう言った。瑞穂が修験者に託したのは赤子の霊の浄化だけではないと思った。きっとみずほちゃんの霊も癒されることを願ったのだ。
「口奄訶訶訶尾娑摩曳娑婆訶」
でも瑞穂は突然呪文らしき言葉を発した。
「オンカカカビサンマエイソワカ?」
瑞穂の口から不意に出た言葉に木暮君が反応した。
「地蔵菩薩様の真言だ。阿謨伽尾盧左曩摩訶母捺鉢納入鉢韈野吽。此方は光明真言だ」
「オンアボキャベイロウ何とかって言われても、訳が解らない」
木暮君は盛んに頭を捻っていた。
「オンアボキャベイロウシャノウマカボダラマニハンドマジンバラハラバリタヤウンだよ」
「霊感のある人は流石に違う」
木暮君のオジサンは盛んに瑞穂を誉めていた。
瑞穂はその後で、地蔵菩薩真言を木暮君のオジサンに教えていた。
この真言でこの浜を守ってほしいと思ったからだった。
「そうだこれで木暮の兄貴の奥さんも救えるかも知れない。その二つの真言で……」
「兄貴の奥さんって、マイさんだったな? 確か流産したって聞いているけど……」
「そうだよ。でも瑞穂本当なのか?」
「あぁ、本当らしい。地蔵菩薩真言と光明真言は、水子をも救い出せる力を持っているみたいだ」
「本当に本当なら教えてやってほしい。でも何でだ何で今頃? 知っていたなら、もっと早く言ってほしかったよ」
木暮君の目に怒りマークが点灯しかねない状況を察し、瑞穂は箇条書きにして渡していた。
用意する物。
蝋燭、線香、炊いたお米、水、髪の毛一本、段ボール、半紙、墨と硯、筆。それにはそう記してあった。
「まず胎児の名前を決める。
胎児だって人なのだ。男女どちらでも通じる名前がいいそうだ。半紙に名前を書き、段ボールの間に髪の毛を挟みご飯を糊にしてくっつける。三十六日間、毎日朝早くから光明真言と地蔵菩薩真言を唱える。そして最後の日にその名前が記された半紙をお寺に奉納するのだ」
瑞穂が何処でそんな情報を集めたか、何て知らない。でもそれで本当に水子の霊が慰められたら素晴らしい。
俺はまだ会ったこともない、木暮君の義理お姉さんの心が少し晴れることを期待していた。
でもその光明真言と地蔵菩薩真言には続きがあるらしい。
賽の河原から救い出した後で、自分の子供として胎内に新たな命として甦らせるのだそうだ。
二つの命を一つとして育てることが出来るわけだ。
それでも流産の過去が消え去るわけではない。やはり水子の霊として敬ってほしいそうだ。
俺と木暮君と瑞穂は、それぞれの家族や恋人を殺されたバディでもあったのだ。
いや、まだそれは早い。
まだ木暮君は迷子の猫捜ししか手伝ってくれていなかったのだ。
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