戦争と平和

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戦争と平和

 蛍まつりの翌日。 俺は、突然三人の男性の訪問を受けた。 瑞穂と木暮君の傍に矍鑠とした男性が立っていた。 その男性には見覚えがあった。 何時だったか忘れたが、星川の流れを食い入るように見つめていた人だった。 「電話があった時、もしやと思っていました。やはり貴方でしたか」 俺の言葉に瑞穂は首を傾げた。 「瑞穂、実はこの人を探していたんだよ」 「えっ!?」 言われた本人もキョトンとしたようだ。 「以前戦火の乙女像の前で泣いていたのをお見かけ致しました」 「そう言えば今日もだよな?」 木暮君の言葉に瑞穂は頷いた。 「もしかしたらあの日此処に居たのでは?」 俺の言葉を聞きながら男性は頷いき、おもむろに用意していたらしいメモを取り出し俺に渡した。 「熊谷空襲のことですか? 確かにあの時、星川に寄りました」 「寄ったってことは惨劇は見ていなかったのですね?」 「はい。彼処を抜け出した後で幾つもの断末魔の声を聞き、腰を抜かしまして……」 「ダンマツマって?」 「断るの断と末の末。それに悪魔の魔で断末魔となる。要するに、死ぬ前に発する声だ」 「私はそれが怖くて、それでも何とか体を引き摺って荒川を目指したんだ。そのメモにある浅見孝一(あざみこういち)さんのお父さんが『荒川だ。荒川に行くんだ』って言ってくれたから」 「だから貴方は生きていられるのですね?」 「そう。だから浅見孝一さんにお礼が言いたくて、でも何処に住んで居るのかも知らなくて……」 「探してほしい人はその方ですか?」 その男性は頷いた。  「これは後で知ったことですが……。八月十四日午後十一時だったそうです。突然、熊谷空襲の幕が切って落とされたんだ。爆弾が雨のように降ってくる中を私達は必死に逃げたんだ。私に言ったわけではないと解っていた。ここまで連れて来てくれた看護婦達にだった。また皆で逃げるために」 男性は終戦間際に熊谷があじわった悲劇を俺達に語り始めた。 「その夜の八時。ラジオが、明日天皇陛下の重大発表があると報じたんだ。私は戦争が終わると直感した。日本は負けたと思ったんだよ」 「広島や長崎に原子爆弾が落とされたりしていましたからね」 「それは今だから言えるんだ。その頃はまだそんな話は伝わっても来なかった」 「えっ、そうなんですか?」 瑞穂は知ったかぶりをしことを反省しているみたいだ。  「叔父さん、戦争って何なのだろうか?」 依頼人が帰った後で瑞穂が言った。 「解らない。多分大義名分だと思う」 「大義名分って?」 「行動を起こすための言い訳かな?」 「イヤだ。そんな理由では死んでも死にきれない」 瑞穂の一言で全員が黙ってしまった。 「叔父さん。俺も秩父に行ってみたいな。そうだ、もうすぐ夏休みだから木暮も一緒に行かないか?」 「あっ、ごめん。湘南の方で海の家をやってうる親戚に用事を頼まれてる。今年で百年なんだよ」 「海の家を百年か? それは凄いな。気にしないで行って。俺も夏休みまで待ってられないし」 電車代や宿泊費のこともある。何時もなら瑞穂を連れて行くが、今回は俺だけで頑張ってみるつもりだったのだ。  俺は男性の依頼で埼玉の秩父市へ向かった。 『探してほしいのは孝一さんと八重子(やえこ)さんですか?』 『はい。確か高篠村の浅見久(ひさし)と上着にありました。手掛かりはそれだけなのですが……』 『高篠村の浅見久さんですね?』 おうむ返しのように俺が確認すると男性は頷いた。 燃え狂う市内を荒川に向かって逃げようとした時、焼夷弾が久さん目掛けて落ちてきた。 その勢いで孝一さんと男性は吹き飛ばされた。 でも二人は生きていた。 男性が目をやると孝一さんが呆然と立ち尽くしていたそうだ。 孝一さんが立ち去った後すぐに男性も駆けつけた。 その時男性は名前の入った上着を見たのだ。 でもその下には半身になった久さんが横たわっていたそうだ。 『自分より早く其処を離れた孝一さんが、何故後から来たのか解らない。きっと星川に寄って災事を見たのだと思います』 男性はあの日そう言っていた。  高篠村は今はなく、昭和二十六年に秩父市になっていた。 名残は高篠小中学校と高篠山だと言うことだった。 俺は浅見さんの家があったとされる秩父札所金昌寺付近に寄ってみた。 でも既に誰も住んではいなかった。  八重子さんのご家族は皆野町の三沢地区に住んでいると知った俺は早速其処に直行した。 八重子さんのお母さんも亡くなっていたが、お子さんと旦那さんの兄弟だと言う人に話が聞けた。  熊谷空襲から逃れた孝一さんは、玉砕するために故郷を目指していた。 天皇陛下が一億総玉砕の道を選ばれたと思い込んだのだ。 あの終戦前のラジオ放送を聞いた直後の空襲が孝一さんの運命を狂わせたのだ。 死ぬなら故郷で、愛する家族と一緒に…… 孝一さんの心情も解るが、男性と一緒にラジオ放送を聴いてからでも遅くはなかったのにと俺は考えた。 でもそれは不可能だった。 空襲による大火災で熊谷地区の放送機器は殆ど燃えてしまっていたからだった。  久さんの身内の方や親戚の人にも話が聞けた。 「八重子は節(せつ)の使いで、庭で採れたスモモを届けるために親戚の家へ出かけたそうです」 「その頃孝一さんは熊谷に居たそうですね」 「いや。それが判明するのはその後のことだ。歩いて五分もしない所に、その親戚はあった」 話が長くなりそうだったけど、無下に断ったら失礼にあたると解釈して次の言葉を待つことにした。 「地元の実力者の家長は、連れ合いの弟一家を招き入れて仕事などを教えていた。秩父は銘仙と言う絹織物の産地だった。弟はそれに使用する絹糸を染色していたのだった。秩父銘仙は裏表が無く、色褪せたら別の面で着られるので経済的な絹織物だったから重宝されたのだ」 「銘仙ですか? 秩父駅前にある地場産の二階に展示してあるのを見たことがあります。実用的な着物だと思いました」 「あっ、そうですか? その弟は暈しと言う秩父銘仙独特の染色技法を熟知していた。だから尚のこと重宝がられていたのだった。兵役を終えて帰国したその弟には、三歳になる一郎と言う子供がいた」 又反れそうな雰囲気だった。 「一郎は利発だ。父親が煙草と言うと、灰皿まで持っていくような子供のだった。でも八重子が持って行ったスモモにあたった。その経緯は八重子から直接聞いた。『一郎君だったよね。私のこと分かる?』八重子が言うと一郎は『うん。浅見さんちの八重子お姉ちゃん』八重子はその答えを聞いて、驚いたそうだ。『お姉ちゃん、頼まれた李を持って来たのだけど、家の人いるかな?』そう言うと『おばちゃんでいい?』『うん、お願い』『じゃあ、ここでちょっと待っていてね』一郎はそう言うと、すぐ中に入っていった」 一気に喋ったから喉が渇いたのか、ペットボトルのお茶を飲み始めた。  「『まあまあ八重子さん、よく来てくれたわね。さあ中へ入ってお茶でもどう?』その言葉に八重子は緊張したそうだ。実力者らしい広い玄関。八重子は更に恐縮したらしい」 話はまだ続くらしい。俺は覚悟を決めて最後まで付き合うことにした。 「あのー」 それでも俺は言っていた。本当は続きを聞いている場合ではない。それなのに又喋り始めた。 「『吊し柿でいいかしら?』お茶だけではない。お茶受けもある。流石だと八重子は思ったそうだ。でも、自分の家で飲むだけのお茶の木は庭にある。柿の木もそうだった。八重子は門の近くにある柿の木を見た。木陰は一郎のかっこうの遊び場になっていた。一郎が歌を唄っている。ラジオでよく流れている、お山の杉の子だった」 「お山の杉の子。聞いたことあります」 「『頭がいいのよ。こんなに小さいのに、ラジオで聴いただけで覚えてしまう。それにいけないと言われたことは決してやらない。それとね、日本には神風が吹くから、戦争は絶対勝つ。なんと大人顔負けの事も言うのよ』そう言われ『偉いのね。私の子供も、一郎君みたいに育ってくれるかしら?』って答えたらしい」 「八重子さんにお子さんがいらしたのですか?」 「はい、妊娠していました。だから八重子は憧れるように一郎を見たそうです。その時一郎はさっき届けたスモモを食べていた。それが……一郎の命を奪うことになったのです」 「先ほどスモモにあたったって言っておられましたが、その言うことですか?」 「暑い夏でした。それに加えて、アメリカ軍の連夜の爆撃。東京とは頻度が違いますが、戦闘機はやって来たのです。だから皆不安な夜を過ごしていた。そしてもう一つ、もっと眠れなくする出来事が起こった。一郎が高熱を出して倒れたのです」 「お医者さんはすぐ呼ばれなかったのですか?」 「呼んだけど手当てする方法がなかった。薬が底をついていたのだ。高熱の原因は、八重子の持っていったスモモだった。一郎は昼間食べたスモモにあたり、大腸カタルと言う粘膜に炎症を起こす病気になってしまったのだった」 (大腸カタルか) 衛生環境の良くなかった時代には大勢がその病で亡くなったそうだ。まして戦争中だ。苦しみ抜いて死んでいったのだろうと思った。 「八重子は節と久と共に駆けつけいた。手に汗を握りながら、全員が一郎を気遣っている。熱が全身に回っているらしく、冷たい井戸水でいくら冷やしても駄目だった。『一郎のばか!』一郎の母は取り乱していた。『そうだ氷。氷があれば……』誰が言ったのを聞いて、一郎の母は慌てて外に飛び出した。八重子はその後を追った」 「氷ですか? 戦争中でもあったのですね?」 「『私が行ってきます。お母さんは一郎君の側にいて下さい。一郎君が淋しがる』そう言うと八重子は一目散に駆け出した。でも氷屋は開いてなかったそうだ。帰って来た時のボロボロだった。それでも苦しんでいる一郎を放っておけず懸命に看病した。でも一郎は衰弱してしまったのだ」 「可哀想に、そのお子様も八重子さんも」  「『スモモをもっと洗っておけば良かったの』と八重子は言ってうた。八重子は自分を責めた。自分のせいで一郎が衰弱していくのを見ていられなかった。半狂乱になりながら八重子は思った。『今自分が一郎のために出来る全てのことをやりたい』と……」 星川にいた男性の依頼で孝一さんと八重子さんを訪ねた俺はこの話を必死に探偵ノートに書いていた。 少し聞き逃した箇所もあったけど、依頼した男性には通じると確信した。  「一郎の家に着くなり八重子は土下座をしていた。そんなことで許してもらえるなどとは思ってもいなかった。でもひたすら詫びたかったのだ。『あなたのせいじゃないのよ。食べる前に手を洗わなかったこの子が悪いの。ごめんなさい、八重子さんにこんな思いさせて』泣きながら、一郎の母が言っていた。その言葉で八重子は少し落ち着いていた。『そうだ一郎君』八重子は一郎に引き寄せられるように、枕元に走り寄っていた。身も心もボロボロになった八重子を、節は思わず抱きしめた。『氷なかったの』辛そうに言う八重子に節はただ頷くことしか出来ずにいた。八重子だけが悪いのではない。自分がスモモを届けるように言ったからなのだ。『ごめんなさい。ごめんなさい』節は八重子に詫びながら尚も抱き締め続けた。八重子は、そんな節の辛そうな目を見つめて泣いていた」 話はちょっと上下したけど、八重子さんを褒め称えたいのだと感じられた。  「一郎の息遣いはますます荒くなっていた。その時『日本は勝つよね』って言った。うめき声にも似た一郎の言葉。『そうだ、日本は絶対に勝つぞ。一郎偉い。偉いぞ』一郎の父は、健気な息子を誉め称えながら泣いていた」 (さっき『日本には神風が吹くから、戦争は絶対勝つ』って一郎は言っていたって聞いたな) 俺はこれがこの時代の縮図のように感じられた。きっと日本中が神風伝説を信じたのだ。 「八重子は手を合わせ、すがるように医者を見たけど、首を振った。一郎はもう助からない。でも助けたい。八重子は強く思い、狂ったように働き出した。何度も何度も井戸水を替え、一郎の熱い身体を拭き、励ましの声を掛けた。でもそんなかいもなく、一郎はその日の明け方息を引き取ってしまった。まだ三歳の幼い命は、日本が絶対に勝つと最後まで信じながら、燃え尽きたのだ」 やっと話は終った。 俺は貴重な体験談を聞かせてくれた身内の方に深く頭を垂れて家路に向かった。 結局、宿泊はしなかった。 (これなら瑞穂を連れて来られたな。戦争下の貴重な体験談も聞かせてやれたのに……) 何気にそう思った。
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