小さな相棒

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小さな相棒

 彼女は星川通りから一つ入った場所にあるアパートと契約した。 そしてアイツの奥さんを見守りながら熊谷で暮らし始めた。 まだ結婚していない俺は休日をそのアパートで過ごすことにした。 勿論男と女の関係などもっての他だった。 俺は傍に彼女がいるだけで嬉しくて堪らなかったのだ。 アイツの奥さんは本当に素敵な人だった。 美人で気立ても良くて、アイツが惚れ込むはずだと秘かに思っていた。初めて会った時、何故か気になった。誰かに似ていると思ったのだ。 アイツは確かに暴走族の頭だ。 そんなヤンチャなアイツを変えたのが彼女だ。 親身になって、真面目に生き抜く力になろうとしてくれたのだ。 だからアイツは抜けられたのだ。 彼女思いのアイツが出した答えがそれだったのだ。 『本当は怖い。彼女に何かあるか解らないから……だから頭だったことを後悔している』 アイツは常日頃からそう言っていた。 だから、暴走族仲間と組んで障害事件など犯すはずがないのだ。  俺達はその一年後に結婚することになった。 だから独身寮を出なくてはいけなくなった。 そのための新居選びが最優先仮題だった。 実は家族寮が空いてなかった。 真っ先に東京の業者に行った。 でも其処は目ン玉が飛び出すほど高額だった。 警察関係者は優遇されていると思った。 仕方なく、暫くは彼女が住んでいたアパートに転がり込むことにした。 本当は彼女が熊谷で暮らしたいと言い出したのだ。それはラジオの奥さんへの思いやりだった。妻は奥さんが気になって仕方なかったのだ。 俺達は此処を仮宿所にするつもりだった。 いずれは家族寮へ移るつもりだったからだ。 俺達は熊谷駅から都内に向かって通勤を始めた。  ある日若奥様の買い物へ付き合い近くにあるデパートに行くことになった。 行田にあった呉服屋の暖簾分けした店舗が始まりだと聞く此処も、アメリカ軍による最後の空襲で全焼していた。 熊谷は終戦前日にあたる八月十四日の夜半に空襲を受けて市内の大半を消失していたのだった。 その翌年店を開けたそうだ。 でも戦争の傷跡は大きく、呉服は売れなかった。 生きていくにやっとの有り様だったから着飾ってなどいられなかったのだ。 仕方なく、進駐して来たアメリカ軍相手の雑貨などもとり扱うようになったようだ。 その後、百貨店法が施行された折りに埼玉初の百貨店となった経緯があった。  俺は其処で大泣きしている子供を見つけた。 何事かと近付いてみると、その横には見知った顔が…… 「お袋!?」 俺は堪らず声を掛けた。 「あっ、お、叔父……ちゃん」 声を震わせながら男の子が言った。 「あれっ、お前は」 その子は俺の姉貴の息子の磐城瑞穂(いわきみずほ)だった。 「私がトイレに連れて行ったらね『お祖母ちゃん怖いよー。頭から血を流した女の人がいる』って言うの」 「本当にいたの?」 「ううん。私には見えなかったの。あの時トイレの順番を待っていたのは、可愛らしい女の子だったのよ」 「違うよ。ちゃんといたよ!!」 しゃくりあげながらも瑞穂は言い張った。 「私が女性用のトイレに連れて行ったのが悪かったのかな?」 お袋は悄気ていた。 「どうやら瑞穂は其処で見てしまったようなの幽霊とよばれる物体を」 お袋がそう言った途端に又瑞穂は泣き出した。 「初めてか?」 俺の質問に瑞穂は頷いた。 どんなにか怖い体験をしたであろう甥っ子を奥様は堪らず抱き締めていた。 (俺にもそうやってほしい) まだ新婚ホヤホヤだった俺は瑞穂を羨ましそうに見ていた。 「瑞穂君は大きくなったら警察官になるって言っていたわね」 「そうなのか? だったらもう泣き止まないとな」 「そう言えば、結婚式の時そんなこと言ってたわ」 「だって叔父ちゃん格好良かったもん」 「警察官の正装が結婚式の時に貸してもらえるんだって。それを見たからね?」 お袋が念を押すように言うと瑞穂は頷いた。 「良し、今日から瑞穂は俺の相棒だ。だからもう泣くな」 俺は瑞穂の頭を撫でながら言った。 (相棒か? 埼玉県警と警視庁。瑞穂はどっちを選ぶのかな?) 俺は何気にそんなことを考えていた。  それからと言うもの、瑞穂は良くアパートに遊びに来るようになっていた。 勿論、お袋付きだった。 「さっき、誰か車に押し込められていたけど」 玄関に入って来るなりお袋は言った。 「えっ!?」 「もしかしたら気のせいかも知れないけどね。きっとアンタが刑事だから色々と気になるのね」 「そんなもんかな?」 なぁんだと思いながら俺は苦笑していた。 「ところで今日は?」 「又お漏らしして……」 お袋がそう言った途端に瑞穂の顔が強張った。 瑞穂がお袋に連れられて、デパートのトイレに行った時に見たらしい幽霊。 そのお陰で自宅のトイレに行けなくなったらしい。 その話だけで瑞穂の体験した恐怖がいかに凄かったのか解った気がしていたのだ。 「お漏らしはオムツで対象することにしたけど……」 「もしかしたら又俺に連れて行けってか?」 「そう。男性用なら大丈夫かなって……」 「解ったよ。全くお袋は言い出したら……」 「『キリがない』でしょう?」 お袋は笑っていた。 お袋の負担を考えて、瑞穂を三年保育に出すことになっていた。 でも諦めたのだ。 それでも来年こそはと思い、家族ぐるみでオムツを卒業させるために頑張っていたのだった。  「そう言えばお袋。さっきの話だけど……」 「あっ、車に押し込められた人のこと? 確かこの辺りだったかな?」 お袋はそう言いながら、上熊谷駅から続く道を指差した。 其処は、アイツの奥さんの住むアパートの近くだった。 (まさか?) 俺は不安を抱えながら瑞穂の手を取りデパートまで歩いていた。  瑞穂は目を瞑ってトイレに入った。 俺が手を掴んでいたから仕方なく従ったのだ。 (少し強引だったかな?) 俺は反省していた。 瑞穂は手を掴んだままで用を済ませた。 「偉いぞ瑞穂。それでこそ俺の相棒だ」 俺は瑞穂をなだめ透かした。 それでも瑞穂のオムツは取れなかったのだ。  「俺の女房を何処に隠した!?」 仕事に出掛けようとした時いきなりアイツが飛び込んできた。 「ラジオ!?」 「まだそんな名前で呼んでいるのか!! やっぱりアンタは警視庁の人間だ」 俺の思わず出た言葉にアイツは反応した。 「ラジオってのは、無銭飲食の隠語だってな? アンタは俺がやっていないって知ってるはずだよな?」 アイツは凄んでいた。 ヤバい、と思いつつも冷静に対処しようとしていた俺がいた。 俺は、周りの人にはアイツのことを未だにラジオだと言っていたのだ。 それはアイツにとって許せない言葉だったに違いない。 アイツは確かに元暴走族の頭だけのことはある。 あの時通報して来た店の主の気持ちが解った気がしていた。  「出てきたのか?」 俺は取り繕っていた。 ラジオだ呼ばわりしたことを反省したような振りをしながら…… 「あぁ、模範囚だったから仮出所だ」 やはりだと思った。本当は真面目な奴だと俺は知っていた。だから早目に出られたのだ。 だから何も出来なかったあの頃の俺に腹を立てていたのだ。 でもアイツはそんなことも知らずに、俺が裏切ったと思っていたのだ。 「奥さんが居なくなったのか?」 「だからさっきからそう言ってるんだ。知らばっくれやがって。俺の女房を何処にやった!?」 アイツは俺の胸ぐらを掴んだ。 その時、お袋の見たと言う車に押し込められていたのが奥さんではなかったのかと思った。 「確か車に押し込められたとか聞いたことはあるけど……」 「そのまま放っておいたのか?」 アイツの言葉にグーの音も出ない。 警視庁の刑事と婦人警官が傍で見守っていながら何も出来なかったのだ。 そもそも、其処まで気が回らなかったのだ。 まさかとは思った。 でもお袋の見間違いだろうと勝手に判断してしまったのだ。  県警に捜索願いを出すことをアイツに勧めた。 でもアイツは首を振った。 無実のアイツを刑務所に入れた警察を信じることなんか出来なかったのだ。 (当たり前だ。俺だって疑っているのだから、お前が疑問を感じるのは当然の行為だったな) そう思いつつも、何事もなく過ぎてくれることを祈っていた。 「心当たりを俺達も探してみるから……」 アイツが立ち去ろとした時に言ってみた。 それでアイツの気が少しでも紛れれば良いと思っていた。  でも事件はそれだけでは済まなかった。 俺がアパートのドアを開けた途端に異様な光景を目にしたのだ。 何時もは可愛いワンピースで出迎えてくれる若奥様が倒れていたのだ。 俺は慌てて其処へ駆け付けた。 でも妻は息耐えていた。  「アイツだ。アイツが殺ったんだ!!」 俺はアイツの顔を思い出しながら言った。 それでも、心の中では否定した。 アイツは婦人警官の彼女にラジオの濡れ衣を剥がしてもらった。 そんな恩人を殺せるはずがないのだ。 俺は慌てて110番に電話した。 でも、このような時は良く間違える。 手元が狂ったのか、相手側が出ない。 何度も何度もそんな間違いを繰返して、やっと繋がった。  警察官の身内の事件は関与してはならないのが決まりだ。 まして事件が起きたのは熊谷で、埼玉県警の管轄だったから尚更のことだった。 それなのに俺はアイツの足取りを東京で追った。 熊谷に顔を出したアイツだったけど、元々警視庁管内で暮らしていたはずだから…… 俺は煮え繰り返った腸を収めることが出来ずに苦しんでいた。 だから彼女の亡骸をお袋と姉貴に託して捜査に向かったのだ。 やってはいけないことだと思いながらも、俺はアイツの居所を突き止めて手錠を掛けてしまったのだった。 でもアイツにはアリバイがあった。 犯行時間に、熊谷から遠く離れた地で目撃されていたのだ。 (どうせ何かのトリックを使ったのだろう?) 俺はそう考えていた。 だからなのか? 俺は謹慎させれた。 本当は葬儀が終わるまで傍に居てやれとの意味合いだったのかも知れない。 でも俺は、そう受けとれなかったのだ。  何故あの時ラジオを逮捕したのか? あれがなければ妻が殺されることはなかった。 俺は仲間の悪口を呟きながら何時までもウジウジしていた。 (もしかしたら俺は仲間を信用していなかったのかも知れないな) この時初めて、刑事として生きる道に限りがあるような気がしていた。
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