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駐在所の出入り口で、いつものようにしっぽを振って出迎えてくれる柴犬のマコトさんに
「ただいま」
と言うと、奥から
「お帰り、石原さん」
マコトさんと同じように、嬉しそうにケンが出迎えてくれた。
表情は無愛想を装っているが、わざわざ駐在所出入り口のサッシまで出てくるのだ。
石原の帰りを喜んでいるとしか思えない。
(僕に知られてはまずいことをうまく処理したのかな?)
心なしか、ケンはすっきりとした顔をしている。
やはり、少し遅れてでも確認するべきだったかと後悔するが、今更である。
(警察官として、これってどうなんだよ)
ケンの笑顔がかえって石原を苦しませた。
「昼食、できてる。今日は暑いからソーメンにした」
「いつも、ありがとうございます」
と言って石原は微笑んでみたものの、なんだかうまく笑えない。
石原自身、
(あ。僕、作り笑顔してる)
と思ってしまう。
自覚するとますますぎこちないものになっていた。
駐在所の奥の生活する空間に入ると、畳にちゃぶ台……一気に昭和臭漂う空間になっていた。
ちゃぶ台の上には、ケンの言った通り、ソーメンと付け合わせの錦糸卵に刻みハム、海苔、キュウリにネギがあった。
錦糸卵に至っては、ケンの技術に目を見張る。
その細さ美しさは芸術の域だ。
(僕が切ると、毛糸卵になりますけどね)
石原が切ると、ネギも皮一枚残って繋がってしまう。
それもある意味芸術だと思った。
「なんか、あった?」
覇気のない表情の石原に、さすがにケンが気付いた。
「何も」
「そう?」
ケンの視線が、石原の器に落ちる。
「その割に……めんつゆに氷入れ過ぎてない?」
「あ」
気付くと、器にあふれんばかりの氷を投入し、2倍濃縮めんつゆが4倍濃縮まで薄めてしまっていた。
「ほら。俺のはまだ薄めてないから半分こしよ」
ケンが手を伸ばし、石原の器に触れた。
「あ」
石原も器を押さえていたので、ほんのわずかだが指先が触れた。
「す、……すみません」
急いで手を引けば、奇妙な気まずさだけが訪れた。
「……」
ケンは無言で、器の氷を自分の器に入れると、今度は自分のめんつゆを石原の器に適量うつした。
「あの……」
沈黙を破ったのは石原の方だったが
「すみません」
「別に、いいよ」
会話は、これといって弾まなかった。
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