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ケース1 問題点と改善点
日を改めて僕と神楽坂さんはとある事務所の商談室に来ていた。
「初めまして。私が神楽坂動物相談所の所長、神楽坂鈴蘭と申します」
席に着く前に神楽坂さんはお辞儀をして自作の名刺を差し出す。
「どうも。志村動物園・園長の志村康作です」
対するのは動物園の園長の志村さん。六十三歳。
僕たちが今いるのは先日神楽坂さんと囮デート場所になったあの動物園の事務所だ。
従業員専用の建物で普段、僕のような一般人は決して入ることのないところだ。それなのにどうして中に入れているかと言えば志村園長から神楽坂さんにある依頼があったからである。依頼内容を聞く前にこれまた定番のやりとりが始まろうとする。
志村園長は神楽坂さんと名刺交換をした後、向かい合わせに着席した途端険しい表情を浮かべる。その態度に僕は察する。
「成田くんの紹介だから頼んだが本当に君のような女性に任せられるのか心配だよ。いきなりで申し訳ないが、こちらは真剣に相談したいと思っているんです」
と、志村園長は当然と言えば当然の反応である。いざ、こうして顔を合わせると年輩の方だと不安に思ってしまうようだ。依頼者側からすれば神楽坂さんはあまりにも若い。大人っぽい見た目をしている神楽坂さんだが、あくまで大学生ということで嫌気感が生まれてしまう。よって依頼を話す前に『この人で本当に大丈夫か』という壁を無くすことから始めなければならない。
「ご安心下さい。こちらとしても真剣に相談を受ける覚悟です。どんなご依頼だろうと必ず解決するよう努めます」
と、神楽坂さんは自信満々に応える。少しでも迷った反応をすればそれだけで壁を大きくしてしまうのでこの反応は正解だ。まだ場数が少ないとは言え、このような展開は何回か遭遇してきた経験が生きてきたようだ。
「まぁ、ここは成田くんに免じて話そうか」
と、志村園長は頭をボリボリ掻き毟りながら納得していない様子だが、話を進めようとする。
ちなみに『成田』というのは僕たちが通う大学講師の成田教授のことである。
僕は成田教授の授業を受けることはあるが、直接対話したことはない。どちらかと言えば神楽坂さんとの交流が深いそうだ。
成田教授も僕同様、神楽坂さんと関わりのある数少ない理解者である。動物のことに関しては一流の知識があり神楽坂さんと話が合うそうだ。
普段、一般の生徒は使用が禁止されている研究室を使わせてくれたり神楽坂動物相談所を始める後押しやサポートをしてくれる存在だ。それに自然と動物関連の人の顔が広い為、こうして紹介されることも珍しくはない。僕も成田教授とは一度くらい対話したいがなかなか機会がないのが現状だ。
話は戻り、依頼内容について。
「うーん。話そうかな。どうしようかな。いや、でもなぁ」と志村園長はブツブツと呟く。そんなに信用がないのも珍しい。そこまでもったいぶって大した依頼内容ではなかったら文句を言いたいところだが、僕にそんな度胸はない。言うなら早く言ってほしい。
「仕方がない。話してみようか。……実はここ最近、赤字続きでこのままでは閉園も視野に入れなくてはならないんだ」
と、志村園長は重い口を開く。重い内容に志村園長の周囲にどんよりとした靄が見えるくらいだ。
閉園。つまり一般の企業なら倒産を意味する。
動物園が閉園。それは一大事ではないか。軽い気持ちで聞いていたが、大ごとの相談に僕は思わず立ち上がる。
「そ、そんな」と分かりやすく驚く。
それに対し、神楽坂さんはテーブルに両肘をつき指と指を重ねてその上に顎を置く。
「でしょうね」と、まるで知っていたかのような反応だ。
「神楽坂さん。知っていたんですか?」
「まぁ、知っていたというより実際に現場を見れば分かるでしょう。今日は平日だけど、それにしても少ない。ここまで歩いてきてすれ違った人がいなかったじゃない」
「た、確かに言われてみれば」
「それにこの間、最も客足が多いと思われる日曜日に来た時もそこまで人が栄えているとは思わなかったし」
そう言えば神楽坂さんとデートしたあの日は(デートではなかったが)日曜日にも関わらずガラガラだったことを僕は思い出す。たまたまだと思っていたが、これがずっと続いているようであれば閉園の危機というのも納得である。
「つまりこのまま客足がない状態が続けば文字通り閉園。そういう事ですよね? 園長さん」
「あぁ、あなたの言う通りだ。このままじゃ園は終わりだ」
志村園長は更に重い口調で言う。
「それで園長さんは具体的にどうしたいんでしょうか。閉園に当たって残された動物の処分について相談か、それとも赤字を黒字に戻す相談か教えて下さい」
神楽坂さんの目は真剣そのもの。捕えた獲物を逃さないといった眼差しで志村園長を見ていた。
「私は……この動物園を守りたい!」
志村園長は必死さが滲み出るように発言した。本心から出た言葉である。
「つまり、動物園の存続を希望という事ですか?」
「あぁ、その通りだ。もう、私たちだけではどうにもならない。君のような怪しい子でも手を借りたい時なんだ」
「園長さん、少し訂正して下さい」
神楽坂さんは両手をテーブルの上に乗せる。
「私は怪しい子ではありません。純粋に動物が好きな動物バカです。例え無謀な相談でも動物のことであれば真剣に取り組むつもりです」
「悪かった。訂正しよう。君のような動物バカでも力を貸してほしい。頼む」と志村園長は頭を下げた。それほど志村園長は困っている様子だ。
「承知致しました。力を貸して挙げましょう。私に掛かれば容易いことですよ」
神楽坂さん。動物バカで認めて良いのでしょうか。いや、間違っていないがうまくまとまっていない気もするが、結果良ければ全てよし。
依頼内容は閉園危機の動物園を立て直すこと。
スケールの大きい依頼内容が志村園長と神楽坂さんの間で交わされ、正式に成立した。その証拠に両者の固い握手が結ばれる。
志村動物園。開園から今年で二十五年を迎える動物園だ。僕が生まれる前から存在するこの志村動物園は開園当時、年間百万人の来場者が来るほど賑わっていたが、現在の志村動物園はその面影はない。その理由は簡単なことだと気付かされる。
「園長さん。開園当時から何か園内の模様替え等したことはありますか?」
「いや、当時のままだよ」
「そうですか。まず言えることは何もかも古いということです」
「動物園に古いも新しいもあるのかい? 動物園は動物を見せることを売りにしている。見せる作りは今も昔も同じだと思うが」
「私が言っているのは動物のことではありません。建物そのものです。園内の案内板は錆びて見にくいですし、園内にあるベンチは直で座るのに抵抗があるくらい鳥のフンで真っ白です。通路は地面が割れて転びやすくなっています。そういった配慮がないからお客さんは減ったと思いますよ」
ズバリという神楽坂さんの発言に志村園長は頭が上がらないくらい小さくなっていた。
「まだあります。動物を見せるのが動物園ですが、距離が遠すぎます。檻をするのは当たり前ですが、距離が遠すぎるとお客さんは見るのも苦労します。心から楽しむ余裕が今の作りが邪魔をしています」
小さくなる志村園長は更に小さくなる。ダメ出しを言い過ぎだと思うので僕は神楽坂さんに耳打ちをする。少しは褒めるところも褒めて下さい、と。
それを聞いた神楽坂さんは考える。
「園長さん。建物や見せ方に問題はありますが、褒めるポイントはあります。それは園内にいる動物たちは生き生きしているところです。普通なら狭い檻の中でストレスを感じるものですが、動物たちにはそれが感じられませんでした。余程、優秀な飼育員がいるんですね」と。
すると志村園長は急に大きくなり喋り出す。
「あぁ、この園には勿体無いくらい優秀なベテラン飼育員がうちにはいるよ」
「そうですか。飼育員さんは何人いらっしゃるんですか?」
「今は五人だよ」
「たった五人であの数の動物たちを世話しているんですか?」
「そうだよ。そのほかには派遣やアルバイトもいるが主力の飼育員は五人だよ。そのうちの一人が優秀でね。この園を開園した時からいるんだけど、一人でなんでもこなすよ」
「ほう、それは素晴らしい方なんでしょうね」
「あぁ、その人の為にもなんとか園を続けていきたいんだ」
「園長さん。事情は大体分かりました。園長には園長の役目があります。今からそれをお伝えしましょう」
「私の役目?」
「園の存続をお考えなら必ず通る道です。ズバリ改修工事をしましょう」
「改修工事ですか?」と志村園長は呆然とする。
「神楽坂さん、改修工事ってなんですか?」
「犬くん。そんなことも知らないの?」
「す、すみません」
「いい? 改修工事とは修理・修復し改めること。つまり住まいの老朽・欠損・不良箇所を直すことよ」
「なるほど。ありがとうございます」
「最低限の改修工事は必要不可欠。それともう一つ。リニューアルも絶対条件」
「リニューアルですか?」と僕は首を傾げる。
「そう。まず文字通り志村動物園は閉園する必要があります」
「そんな!」と志村園長は食いつくように言う。
「慌てないで下さい。閉園はしますが、一度今の志村動物園を殺して新しく命を吹き替えると言っているんです」
「なるほど。それでリニューアルか。しかし、そんなこと急にして周りは納得してくれるかどうか」と志村園長は不安そうに言う。
「それしか動物園を救う道はないと思います。あくまで提案として聞いてほしいのですが、
まずは一層のこと志村動物園と言う名前を変えましょう。如何にも昭和って感じでダサいと思うので」
自分の名前がダサいと言われているようで志村園長はなんとも言えない感情になっていた。失礼な発言を止めに入るべきか。
神楽坂さんは人間嫌いと同時に空気を読めないところもある。人間が嫌いなので人間がどう思おうと関係ないとのこと。優先順位はあくまで動物だ。それが神楽坂さんのポリシーと言える。だから僕は神楽坂さんの目が届かないところをフォローするのが役目である。
「それにどこかの大物タレントのテレビ番組と似ている。絶対変えた方がいいわ」
それは僕も頭の片隅で思っていたが、神楽坂さんはバサリと言ってしまう。
少しは遠慮した方がいいのではと言い掛けたが、神楽坂さんの発言は止まらない。
「ちなみに私はその番組は毎週欠かさず見るほどのファンよ。可愛い動物がいっぱい出るし勉強にもなるし素晴らしい番組ね」と、どうでもいいことを挟みつつ場を落ち着かせたところで会社名についての普及が続く。
「日本の企業って創業者の名前とその業種にちなんだ用語を付けたがるじゃない。私、そういうのあんまり好きじゃないのよね。如何にも自分が偉いんだと言っているようで。ほら、自動車メーカーなんてほとんどそうじゃない。苗字+自動車ってやつ」
神楽坂さん。それは日本の大手企業に喧嘩を売っている発言なのでは。あまり暴走させると神楽坂さんを止めようがなくなる。
「あ、でも私も人のこと言えないや。神楽坂動物相談所なんて名前にしているし。はぁ、私も結局、世間と同じ思考なんだわ」
何故か神楽坂さんは自分の発言を悔やむ。喧嘩を売るのか悔やむのかどっちだ。
「あの、園の改名には賛成しますがどのような名前がいいんでしょう」
申し訳なさそうに志村園長は発言する。
長年続いた『志村動物園』をこうもアッサリ改名を承諾するとは思わなかった。もしかしたら神楽坂さんに園名がダサいと言われたことで気付かされたのか、少し落ち込んだ様子である。おそらく周囲の人間には言われたことがなかったのだろう。
「園長さん。名前に関してですが、園を作り変えるより最も難しい課題です」
「難しい? 一体何が難しいと言うんだい」
「まず名前というのは顧客からしたら最初に目につくところです。つまり尊重されるべきポイントです」
「それは分かるがどうしたらいいんだ」
「まず園をどうしたいか。それによって園の名前が決まってくると思います」
「と、言われてもな……」
志村園長は頭を掻いた。
無言が続く中、神楽坂さんはある提案をする。
「イメージキャラクターを作るのはどうでしょう」
「イメージキャラクター?」と志村園長は拍子抜けした。
「つまり動物園のメインキャラクター。それにちなんだものを名前に取り入れるのはどうでしょう。メインキャラクターが入ればそれを可愛くデザインして立派なキャラになり、お土産ショップではそのキャラのグッズを作れば更に売れます」
「メインキャラクターか。良い考えだが、一体どの動物をメインにすればいいか」
「今までそのような動物はいなかったんですか?」
「いや。うちは普通の動物園だから均等な扱いでメインという特別枠の動物は設定していない」
「そうですか。であれば私の中でいくつか候補があります。参考に聞いてください」
神楽坂さんは待っていましたと言わんばかりに言う。すでにこうなることを想定して考えていたんだ。さすがとしか言いようがない。
「まず候補の一つが象です」と神楽坂さんは人差し指を立てながら言う。
「象?」と志村園長は首を捻る。
「はい。理由としましてまずその見た目のインパクトが挙げられます。動物の中では大型で存在感があり、注目の的です。それに草食動物で愛らしいところもポイントが高いです。よく見ると顔も優しそうで和むフォルムをしています。よって私は象をメインキャラクターに推薦します」
神楽坂さんは会社のプレゼンのように発言する。仕事ができる人みたいだ。いや、実際できるのかもしれない。
「悪くないがどうだろう」
志村園長はますます首の角度が下がる。
「他にも候補があります。次はメガネザルを推薦します。理由として挙げられるのは小柄なところで愛らしい見た目をしているところです」
「メガネザル? うちにはいないから難しいな」
志村園長の否定は続く。なかなか首を縦に振ってくれない。
急に話が進まなくなってしまった。
「園長さん。最低限、園を続けたいのならある程度の投資は考えていますか?」
「金か?」
「はい。私は施工業者ではないのでハッキリした金額は分かりませんが園を生まれ変わらせるのであれば億という額を視野に入れていますか?」
「億? そんな額は無理だ。言っただろう。現状赤字続きなんだ。そんな予算はないんだと」
「それくらいの覚悟がなければ消えて行くしかありませんよ? 融資でも借金でもなんでもしないと本当に文字通り閉園です。それでもいいんですか」
「し、しかし投資して失敗したら困るし」
「失敗を恐れていたら良いものを作ることは出来ません。大丈夫です。私に任せればお客はきっと増えます」
神楽坂さんはまたしても何も保証のない発言をする。どこからくる自信か分からないが後々トラブルになるので僕は撤回するように止めたが、神楽坂さんは大丈夫の一点張りだった。もう、止められないと悟る。
それから志村園長と話し合いが続き、三時間も掛かっていた。
志村園長が否定を続けていた結果だ。本来、スムーズに進めば三十分で終わるような話だが、優柔不断な志村園長のせいで長引いてしまった。
結局、話し合いの結果としてイメージキャラクターはレッサーパンダ(仮)に決まったところで本日の話し合いは終了した。
この他にも動物園の名前や工事の流れ等、改善点は山積みだ。
志村園長との話し合いは継続することになる。
話し合いがスムーズに進むように内容や資料をまとめといた方がいいかもしれない。
今回で志村園長がどういう人かなんとなく分かった気がする。
事務所を出て志村園長の姿が見えなくなったところで神楽坂さんは僕に愚痴をこぼした。
「はぁ。疲れるわ、あの人。だから人間相手は嫌いなのよ」
頭痛がするように神楽坂さんは言う。それは横で聞いていた僕も同感である。人間が嫌いなのはいつものこととして何もかも自分で決められず人に決められるとまたそれを否定する志村園長は話がまとまらない。途中、神楽坂さんはイライラした態度を何度が表に出していたほどだ。必死に抑えていただけまともだ。
「お疲れ様です」と僕は同情の意味を込めて返す。
「あの園長さん、おそらく跡取り園長ね」
「なんですか。それ」
「おそらく創業者の息子か孫が跡取りとして引き継いだのよ。よくある話よ。創業者は経営に関してとても優秀の人材だけどその息子や孫もそうかと言われれば別の話。言い換えれば無能ってこともあるのよ。あるものだけを引き継いでそれ以上のことは何も出来ない。結果、経営をうまく回せずそのまま倒産なんてこともあり得る」
「それって今回の例に当てはまるってことですか?」
「言い切れるわね。会社って家族で立ち上げると自然と跡取りはその子供になりがち。ただそうした場合、経営能力があるかないかと言うのは大きく違ってくる。生かすことも殺すことも出来るのよ。だから本来は家族に跡取りをさせるのではなく実績を積んだナンバー2を跡取りにさせるべきなのよ。昔も今もそうだけど、日本人って実力よりも血の繋がりを大事にするところがあるの」
「言われてみれば確かにそうですよね。古風ある店だと家族経由が多いですし」
「こんな話を聞いたことあるかしら。大昔では国の王様は血の繋がりだけしか王様を認めなかったそうよ。それが何百年と続いた。でも、ある人がそれはおかしいと力ずくで王様を討ち取ったらすんなりと新たな王様になれた。結局、血の繋がりなんて意味を持たないというのを証明された例もあるくらいよ」
「じゃ、やっぱり実力が正しいということですね」
「まぁ、難しいところはあるけど、血の繋がりがあろうとなかろうと実力がないと何も始まらないというのは事実かな」
神楽坂さんは寂しそうに言う。
しばらく静かに歩き続けて最寄りの駅まで辿り着いた頃であった。
「神楽坂さん。このあとどうしますか?」
「そうね。園の製図と名前を私の中で考える為、一旦、研究室に寄って行くわ」
てっきりフリーでお茶でもどうかと提案しようとしたが、神楽坂さんは仕事を優先するようだ。考え方は立派な経営者の目線になっている。
「犬くんも暇でしょ? 私の仕事の手伝いしてくれる?」
「はい。喜んで」
僕たちは志村動物園の改善の為、大学にある研究室へ戻っていった。
「神楽坂さん。どうするつもりですか?」
研究室に着くや早々、神楽坂さんはソファーへダイブするようにうつ伏せで飛び込む。数分動かなかったので安否を確認するように僕は聞いた。
「どうするって何がよ」
神楽坂さんは顔だけ僕の方に向けた。寝ていた訳ではないらしい。
「今回の依頼のことですよ。今まではペット事情や近所トラブルを引き受けてきましたけど、今回はスケールが違います。動物園そのものですよ? 僕たちがどうのこうの出来る内容じゃないと思います」
「何よ、今更ね。もう引き受けちゃったんだから今更出来ませんじゃ私の立場がないじゃない」
「確かにそうですけど、限度があります。大体、成田教授もなんでこんな大きな案件を紹介したんですか。学生の身分である僕たちが出来るはずありません」
「学生だからどうして出来ないと思うの? 誰が引き受けようと同じ人間がどのみち引き受けることになるだったら私でも問題ないじゃないの」
「しかし、動物園の改装なんて大きな話、本当に出来るか不安ですよ」
「不安なのは私も同じよ。でも、何もやっていないのに諦める癖、私は嫌いだな」
神楽坂さんはソファーから身体を起こして首を鳴らした。
「それに成田教授は私たちを試しているかもね」
「試す? 一体何を?」
「さぁ、そこまでは私にも分からないわ。ただ、あの園長さんと私を巡り会わせたのは何か大きな意味があることは間違いなさそうね。だったらその期待に応えるのが筋だと思う」
と、神楽坂さんは意味深な笑みを浮かべる。
「僕も何か出来ることはありませんか?」
「あら、この案件には抵抗があるんじゃなかったの? 犬くん」
「確かに抵抗はありますが、神楽坂さんはやる気になっているのに僕だけやらない理由はありません」
「よく言った。じゃ、一緒に取り掛かりましょうか」
「はい。何か手伝えることはありますか」
「そうね。とりあえず私のカバンから図面のコピーがあるからそれをスキャンしてパソコンに保存してくれる?」
「はい。ただいま。ところでこの図面って」
「志村動物園の図面よ。さっき帰る前に施設管理の人に頼んで貰ってきたの」
そう言えば事務所を出る前にコソコソと誰かとやりとりをしていたが、それはこのことだったようだ。神楽坂さんに油断も隙もない。
「これをどうするんですか?」
「犬くん。今は私の指示に従えばいいわ。そのうち分かってくるから」
「分かりました」
僕は神楽坂さんの指示通りに動く。
あえて神楽坂さんは説明するようなことはしない。実際に動いて身体に覚えさせるやり方を取っている。
神楽坂さんはコーヒーを一杯飲んだ後、パソコンに向かった。
集中モードに入っている様子なので声を掛けづらい。
頼まれたことも一通り終わったところだが、仕方なく、いつも通り研究室で飼育している動物の世話をすることにした。
研究室ではネズミやハムスターといった小動物を始め、鳥、リス、ウサギといった動物を飼育している。飼育目的は動物実験や生態の観察がメインだ。
元々は教授たちの研究室だが、新しく施設の広い研究室が出来たことでこの研究室は物置に使われていた。一般生徒の立ち入りも禁止であるが、何故か僕と神楽坂さんは自由に使わせてもらっている。勿論、タダと言う訳ではなく動物の世話や観察レポートを提出するという手間が必要だ。
それにここは僕と神楽坂さん専用の研究室でもあり、『神楽坂動物相談所』の事務所でもある。
サークルやクラブ活動として学校には許可を取っているが、しっかり報酬はもらっている為、どちらかといえばやっていることは仕事に近い。ただ仕事としては事務所を構えられる程ではないので研究室が僕たちの事務所として運営している。
「犬くん。ちょっといいかしら」
飼育ゲージの中を掃除している時に神楽坂さんに呼ばれる。
「どうしましたか。神楽坂さん」
「これを見て」
一旦、手を止めてパソコン画面の方へ目を向ける。
画面には園内マップの掲示板のような図が出来上がっていた。
「神楽坂さん。これは?」
「私が考えた理想マップよ。イメージし難いと思うけど、これが園の入り口でここが大きな広場でここが……」
と、神楽坂さんは口頭でマップの説明をする。僕はフムフムと頷く。
言っていることは意味が分からないがそれよりも驚くポイントがあった。
「神楽坂さん。これってもしかしてCADってやつですよね?」
「あら、よく知っているわね。CADのソフトって有料だからなかなか手を出し辛いんだけど、何故かこのパソコンには元々入っていたからラッキーだったわね」
「いや、それよりも神楽坂さん。CADを使ったことあるんですか」
「無いわよ。今、初めて使ってみたけど案外楽しいわね。これ」
ゲーム感覚で言う神楽坂さんだが、普通の人で初めて使ったにしてはあまりにも出来が良かった。自分では気付いていない様子だが、実は凄いことをしていると教えてやりたい。
とは言うものの神楽坂さんは本気で動物園をなんとかしてやりたいと言う思いはよく伝わった。
「ねぇ、犬くん。見てよ。動物園のメインキャラを私の中で考案して見たんだけど」
と、堂々と神楽坂さんは描いた絵を見せつけてくる。
「……………………えっと、怪獣ですか?」
「は? レッサーパンダよ。見ればわかるでしょ」
見ても分からない。その幻術的な絵をレッサーパンダに結びつけることは難しい。
神楽坂さんは事務的なものは完璧であるが、イラストなどの絵のセンスは悲惨なものである。初見で当てるのは困難極まりない。
「あの、僕が代わりに描きましょうか?」
その発言で神楽坂さんの機嫌が悪くなったのは言うまでもない。
ちなみに僕は普通より絵は上手い方で簡単なラフ絵であれば五分も掛からず描いてしまう。
「うん。まぁまぁかな」
僕のイラストを見て神楽坂さんはどうしても認めたくないような言い方をする。無理もない。自分のイラストは悲惨なもので否定されたのだから。自分の中で最高得点のテストで満足していたところ、横から百点のテストを見せられたような感覚なのだろう。
神楽坂さんには厄介なところでプライドがあるみたいだ。
「さて、犬くん。今回の課題はレッサーパンダについてよ」
気を取り直して神楽坂さんは言う。
今回、旧・志村動物園のマスコットキャラはレッサーパンダ(仮)に決まった訳なのでその生態の勉強として神楽坂さんから学ぶことになった。
「レッサーパンダ。可愛いですよね。アニメにも登場する人気者ですし」
「時に犬くん。レッサーパンダっていう名前の由来は知っているかしら」
「名前の由来? さぁ、聞いたことありませんが」
「その名の通りパンダだけど、現在の認識はジャイアントパンダのことを指している。だけど、実はジャイアントパンダが発見されるよりレッサーパンダの方が先に発見されたの。だから当初はレッサーパンダの呼び名は存在せずレッサーパンダのことをパンダと呼んでいたの」
「え? じゃ、ジャイアントパンダに名前を奪われたってことですか?」
「その通り、『より小さいパンダ』っていう意味でレッサーパンダになった。例えるなら元々太郎という名前の子が自分より大きい太郎に出会い名前を小太郎に改名されるようなものね」
「そう考えるとちょっと悲しいですね」
「レッサーパンダってどんなイメージがあるかしら」
「そうですね。小さくて愛らしくて直立する姿がキュートですよね」
「ちなみにレッサーパンダが直立する理由は威嚇や恐怖を表しているのよ」
「え?」
思わず大きな声が出る。
「身体が小さいから自分の身を守る為にする行動が直立なのよ。だからその姿を見て『きゃー可愛い』というのは言語道断。彼らのプライドをズタズタに引き裂く行為なのよ」
きゃー可愛いの演技がリアルに妙に可愛い神楽坂さんに思わず見とれてしまう。
「レッサーパンダって絶滅危惧種に指定されている動物なの。その愛らしい見た目では自然界では標的になるから数は減っている。だから扱いは注意した方がいいわ」
神楽坂さんの表情はさっきまでとは変わり落ち着いたトーンで言った。
「そうですね」
「さて、今日のところはお開きとして後日、あの動物園に訪問するわよ」
「次は何をするんですか? また志村園長と話し合いですか?」
「いや、今回は別の用事」
「別の用事?」
「現場で働く人間の声を聞きに行きましょう」
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