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あいつに付き合って、これまで色々な場所に行ってきた。最近なら金沢に札幌。新幹線にも乗ったし、飛行機だって我慢した。けどこの京都という町は、ちょっと不思議だ。初めて来た時も二度目の今日も、昔からよく知っているような、それでいてちょっとよそよそしいような不思議な気配がする。まるでおしゃまでプライドの高い、それでいてこちらにちらりと流し目をくれる女の子そっくりだ。
「さっむーい!」
甲高い声がすぐ耳元で聞こえ、ぼくはあいつの肩の上で飛び上がった。
一年前にもやってきた、「みやこめっせ」。ちょうどぼくとあいつが建物に入ろうとするのと入れ替わりに、マフラーをぐるぐる巻きにした女の子たちが中から出て来て、折しも吹いてきた北風に身をすくめたのだ。
「えー、大げさな。この季節にしちゃ、マシな方だって」
「けどほら、みやこめっせの中、めちゃくちゃ暖かかったから。これは堪えるよ」
「それにしても、ブース、すっごく増えてたね! もう、全部回るだけで疲れちゃったよ」
にぎやかにしゃべる彼女たちのリュックは、大きく膨らんでいる。このみやこめっせとやらで開かれているイベントで、さぞかし買い物をしたのだろう。
一年前、僕たちがここに来たとき、だだっ広い会場には一面に机が並び、色とりどりの本がそこで売られていた。あの時でも目の前がくるくる回りそうなほどの混雑に思えたのに、今日は更ににぎやからしい。
同じ不安を覚えているのだろう。あいつはコートの襟を掻き合わせたまま、横断歩道を渡っていく女の子の背中を見つめている。ぼくが急かすように鳴いたのにあわてて身を翻し、閉まりかけた自動ドアに飛び込んだ。
この三年、あいつは日本全国、あちらこちらに出張を繰り返してきた。それは「めるさん」という女性が売っている本を集めてほしい、との依頼を受けてのものらしい。このめるさんは実に神出鬼没で、今日は札幌かと思えば、明日は広島。その次は金沢という工合で、あいつは随分の間、振り回されているように見えた。
それが数年の月日を経て、再び京都に戻ってきたとはどういう意味なのだろう。ぼくはいつも以上に耳をぴんと立て、髭を大きく広げた。
広い室内は前回同様、目がちかちかするほど明るく、老若男女、色々な人たちが忙しそうに行き来している。あいつは入り口でもらった紙にまじまじと目を近づけてから、よし、と一つうなずいた。覚悟を決めたように机と机の間の細い道をずんずんと歩み、とある机の前でぴたりと足を止めた。
「よろしければ、ペーパーだけでもどうぞー」
椅子に座っていた小柄な女性が、待っていたとばかり一枚の紙を差し出す。
机の上には、十冊近い本が広げられていた。あいつがたまにコンビニで買ってくるの食べ物、睨み合う二匹の猫、華やかな服を着た女性、綺麗な紺色、そして人と鳥が交じり合った不思議な生き物の横顔。
「あ、ありがとうございます」
あいつがさりげなさを装って、紙を受け取る。その肩に乗っかったぼくに、女性は「かわいいですね」と笑った。ぼくは知っている。この人こそ、いつぞや札幌の公園で茹でトウモロコシと焼トウモロコシを一本ずつ買っていたあの女性。つまり、めるさんだ。
あいつもまた、長い間追いかけながらもすれ違い続けてきた対象が目の前にいると気づいたのだろう。肩にぐいと力が入る。
だがめるさんはそんなことにはお構いなしに、「いいですよねえ、黒猫」と続けた
「うちのメンバーの一人が、黒猫とその飼い主を主人公にした連作を書いているんですよ。その飼い主が探偵って設定で、そのまま『黒猫探偵』というタイトルなんです。Pixivで読めますから、よかったらどうぞ」
「た、探偵ですか」
まずい。こいつは探偵の癖に、嘘が下手なのだ。
とはいえここで狼狽しては怪しまれると思ったのか、あいつは顔を引きつらせながらも、机に置かれた本のうちの一冊をぱらばらとめくった。すさまじく力が入っているのか、指先が小さく震えている。
「ええ、だけど。もうそろそろ、その連作も終わるんです。けっこう長い間、続けちゃったし」
「つ、次は、また何か連作を始めるんですか」
必死にさりげなさを装っているけれど、あいつの口調は勢い込むように荒い。めるさんはきょとんと目を丸くしながらも、「ええ、始めるつもりなんですよー。その時は読んで下さいね」と世にも楽しそうに笑った。
「え――ええ、わかりました。ええと、ではこれとこれをください」
早口に言いながら、あいつは机の上の本を片端から指さした。めるさんはそれらを手早くまとめ、「千六〇〇円です」とこれだけは妙にビジネスライクな口調で言った。しかしすぐにまた人懐っこく笑うと、「これはまだ先の話なんですけど」と内緒話をするように声をひそめるた。
「黒猫探偵の方も、そのうちまとめて一冊にするつもりなんです。こちらもよろしくお願いしますね」
えっ、とあいつが身体をのけぞらせる。ぼくは肩から落ちまいと、あわてて尻尾をその首に巻き付けた。
「そ、それは本当ですか」
「はい。最初はそんな予定なかったんですけど、せっかく連作でまとまったんで」
あいつの目が真ん丸になる。買った本をめるさんの手からひったくるように受け取ると、そのまま回れ右して「みやこめっせ」を飛び出した。
先ほど女の子たちが渡った道を一足飛びに横断し、向かいの建物に飛び込む。中庭を横切って、大きな階段の陰に身を寄せて、スマホを取り出した。
暖かいところからいきなり外に連れ出されたぼくが大きく毛を膨らませるのにもお構いなしに、どこかに電話をかける。電話の向こうの誰かに、「話が違うじゃないですか!」と押し殺した声を浴びせつけた。
「二度目に京都に来たら、そこで調査は終了。もう本は出なくなるから、めるさんを追いかけなくていいって契約だったはずなのに。あの女性、まだまだ本を出すつもりですよ。――え、次の本ですか。『黒猫探偵』だって言ってました」
敏感なぼくの耳には、電話の向こうの誰かが一瞬の沈黙後、いきなり爆笑し始めるのが聞こえた。あいつはその笑い声を封じるかのように、「冗談じゃないですよ」と声を尖らせた。
「今日で最後だとばかり思っていたもので、こちらの顔も見られちゃいました。だからもう仕事として、めるさんを追いかけるわけには行きませんからね。続いて調査させるんだったら、別の探偵を雇ってくださいよ」
わかった、わかった、と笑み混じりの声がする。あいつはそれには耳を貸さずに通話を切り、コンクリート作りの階段に座り込んだ。めるさんから買った本を思い出したように膝の上に置く。ちょっとの間ためらってから、そのうちの一冊をぱらばらとめくった。
文字ばかりのページがあったかと思うと、今度はマンガ。それがしばらくの間続いて、また文字ばかりのページ、とその内容は妙にめまぐるしい。だがあいつはまたも吹き始めた北風にはお構いなしに、ずいぶん長い間、その本を読んでいた。
向かいの「みやこめっせ」にはどんどんと人が入り、どんどんと人が出ていく。そのにぎやかさとめまぐるしさは、まるであいつが今読んでいる本そのもののようだ。
やがてあいつは立ち上がると、読み終えた本を丁寧にカバンに入れた。いつの間にか傾いていた帽子をかぶり直し、「みやこめっせ」の入り口に目を向ける。
「次は『黒猫探偵』だって言ってたよなあ」
ああ、と応じる代わりに、ぼくは小さく鳴いた。
「ちょっと面白そうだよな。買いに来るか。ああ、けどそうなると、今度はいったいどこに行かなきゃならないんだろうな」
あいつはしまったばかりのスマホを取り出し、何やら調べものを始めた。広島か、と呟いて、カバンを小脇に抱えた。
ふむ。広島ってところには、ぼくはまだ行ったことがないぞ。やれやれ、めるさんを追いかける旅は、これからも続くことになりそうだ。
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