第2話

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第2話

 「ミイラ化、ですか?」  「そ。自然死ではないっぽいけど、殺人なのかも分からない」  運転席でグレイは応じ、青になっても動き出さない前の車に向けて、表情を変えずに二度、クラクションを鳴らした。  「何にしろ死因は、司法解剖の結果待ちだろうな」  遺体発見が午前6時。ダウンタウンの裏通り、人も入り込まぬような細い路地に、その身体は横たわっていた。発見したのはホームレスの男で、身分を示すものを何も持たぬその遺体が何者か、手がかりを示したのも彼だった。  「多分、いつもあそこを通っていた耳つきの女だろうって話だ。服装から女性なのは間違いないし、尾の特徴も一致してる。どこかの娼婦だろうな」  あの辺は耳つきを入れてるアパートメントも多いから。  なるほど確かに、あの辺りも混血(mix)が多い。ダウンタウンと一口に言っても、そこにはまたいくつかの区画がある。観光客が多く訪れる移民街や再開発が進んだモダン地区、違法ドラッグと犯罪が横行するスキッド・ロウ。それらのモザイクがダウンタウンだ。新しいものと古いもの、きらびやかなものと腐敗したもの。寄せ集めてかき回して、そうして作られた集合体には、一種ノスタルジックとでも言えそうな、独特の雰囲気がある。車で入り込んだのはモザイクの境目。とはいえ、境目は闇の領分だ。きらびやかな中心地で用が足りるのに、わざわざ治安の悪い場所に近づいていこうという物好きはいない。いや、アーテイストかジャーナリストなら話は別か。数年前、この街のスキッド・ロウをおしゃれに写した海外の写真家の作品が話題になったことがあった。彼女は元々ファッション業界で仕事をしていて、何の因果かこのダウンタウンにたどり着き、どういうわけか、その美しさに魅了されたらしい。ネットで紹介された彼女の写真は、なるほど確かに美しかった。白くて四角いのっぺりとした建物は、青い空を背景に爽やかさすら漂わせ、乱雑に干されたぼろ切れのような原色の服が色のアクセントになってはっと目を引く。そうしてその画面の真ん中を歩くのは、真っ黒な尾を地面に引きずる混血(mix)の若い男で、背中を丸めてこちらを見遣る、その目は深い闇を宿して淀み、ユヅキの目には“終わりが近い”と見えた。しかし、彼女はその作品に“神秘”とタイトルをつけた。それはユヅキの内にちょっとした感動を呼び、同じ風景も、それを写す目が変わればこうも変わるものかと感心した。彼女にはこれほど美しく写ったスキッド・ロウも、ユヅキにとっては、見回りに気を遣う要注意地区でしかない。彼女が“神秘”と呼んだ男の姿も、ユヅキにとっては、搾取され枯れゆく混血(mix)の日常でしかない。国を出たことがないため本当のところは知らないが、混血(mix)は外国にはいないらしい。ユヅキにしてみれば、その事実の方がよほど神秘だった。  午前10時の貧民街は沈鬱で満ちていた。人通りはほとんどない、が、街の至るところから息を潜める人々の気配が覗いている。姿は見えない。ただ、人はあらゆる場所にいる。建物の中にも、外にも。地面に並び敷かれた段ボールの一つ一つは彼らの“家”で、不在の者はコインを投げ入れる缶を持って今まさに“勤務中”だろう。  「あそこだ」  グレイは言ったが、言葉など不要だった。数台止まった警察車両。KEEP OUTの文字。閑散とした街の中で、そこだけが明らかに異質だった。  車通りなどほとんどありはしないと、グレイは自身の車を遠慮なく現場に横付けし、先に止まっていた車両数台でほとんど目一杯になっていた道を完全に行き止まりにした。  「お疲れさま」  「お疲れさまです」  二人で規制線を抜けざま、見張りに立つ制服警官に声をかけると、彼は綺麗な敬礼で応じた。昔、何度か立ったことがある。誰かが立たないわけにはいかないのだが、実際、規制線の中に入ってこようとする人間などほとんど皆無だ。中の会話に聞き耳を立てても、興味深い情報が得られる可能性があるのは、精々最初の30分くらいのもので、そこから先は新しい話も上がらなくなる。だから、残りの時間やることと言えば、周囲の人々を観察すること位のものなのに。これだけ何の刺激もない場所に立ち続けるのもなかなかに苦痛だろうと、彼の心中を慮り気の毒になった。
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