【2】豚キムチと同居

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【2】豚キムチと同居

夜の8時。 時間が経てば経つほど、オンボロ具合に驚く和室。 怒濤の一日に疲れて、部屋の隅に畳まれたせんべい布団に倒れ込む俺。 そして、目の前で寝転びながらスマホをいじる下崎。 「……なんでまだここにいるの!?」 「あ?」 気怠そうに下崎が顔を上げる。 「さ、さっき帰ろうとしてなかったっけ? なんでくつろいでんの」 「なんでって……俺もここに住んでるから」 「………へ!?」 唐突に告げられた事実に、頭を殴られたような衝撃を受ける。 「当たり前だろ。誰も住んでないところをお前に貸せるほど、俺も金持ちじゃないんで〜」 「そりゃそうだろうけど……。  逆に、下崎は俺と同居するの平気なの!?」 「別に。ハエが部屋にいるな、レベル」 「は、ハエ……」 ちなみに、俺は同居したくないです。絶対に言えないけど。 俺は動揺を悟られないようにしながら、ちらりと下崎を見やった。 目にかかりそうな長さの黒髪に、綺麗なカーブを描いている輪郭のライン。 クールで何事もそつなくこなすタイプの彼は、推薦で学級委員に選ばれただけあって、クラスの皆の信頼も厚い。 まさにカースト上位。俺が一生関わらない人種。……そう思っていた。 だけど、今はどの印象が正しいのかがよく分からない。 教室の隅から眺めていた頃と今では、随分異なった印象が湧き上がってきている。 もう一年以上もクラスメートなのに、俺たちは顔と名前以外の情報を知らないのだった。 そう……あの日以来、ずっと下崎を避け続けてきたはずなのに。 急に、頭に鈍い痛みが走る。胸がぎゅっと締め付けられるように苦しい。 このままこの部屋にいたらーー。 「……ちょっと俺、コンビニ行ってくるね」 「ほい。すぐ近くにあるよ」 同じ空間にいることにどうしても耐えられない俺は、フラフラと玄関に向かった。 ドアノブに手を伸ばしかけて、手錠の痕が目につく。 両手にぐるりとついた、赤紫のアザ。今日ベッドに拘束されたときについたものだ。 ……これだから、他人は信用できない。 俺は飛び出すように外に出た。 ****** 夜空は分厚い雲が覆っていて、月も切れ目から僅かにその姿を覗かせるにとどまっている。 5月の生暖かい風は、頬に当たっても気持ちよくない。行くあてもなく、とぼとぼと歩く。 「マジ、ありえないって……」 誰も信じられないこの状況下。 八畳一間のボロアパートに男二人で同居するなんて、どう考えても無理だ。 しかも相手は陽キャ、不審、爆発犯の三倍満。 死因は分からないが、俺は一ヶ月後まで生きていられる気がしない。 「……どうしよう?」 俺はバッグにいつも付けているクマのぬいぐるみーーエキサイティン熊を顔の前に掲げた。 いつも微笑んでいる気がしたのに、よくよく見れば、ひたすら続く暗い淵を覗いた時のような虚ろな表情をしている。 「バッグに括り付けられているお前も、俺と同じなのかもな」 ……それでも、ぬいぐるみはぬいぐるみ。俺は俺だ。 自分が行くべき未来に、選択の余地はないのだ。 あの日、俺はなんとしてでもアイドルになると決めたのだから。こんな簡単なことで諦められない。 自分の頬を両手で叩いて、気合を入れる。 ……耐えられなくなる前に、さっさと下崎を警察に通報すればいいんだ! 当面の目標を確認した俺は、近くの公園のブランコでありったけのストレスを解消すると、コンビニで適当なアイスを買って帰路に着いた。 ****** オンボロなアパートの窓は、外から見ると、下崎の部屋以外、全て明かりが消えている。 ここには他の住民もいるのだろうか? そんなことを考えながら、建て付けの悪そうな部屋の扉の前まで来ると、何やら食欲のそそる香ばしい匂いが漂っていた。 「お帰り。100m先のコンビニ行くのに1時間以上かかるってすごいな」 「ここらへん、慣れてないもん……」 夜道を歩いてきた目に、部屋の明かりが眩しい。 連れてこられた時とは違い、自分の意志で部屋に入った。……後戻りはもうできない。 キッチンと向かい合っている下崎は、うちの高校の事務員のような仏頂面で肉を炒めていた。 「何作ってんの?」 「豚キムチ丼。栄養バッチリ」 「へー。料理できるんだ」 「人並みにね。ほら、あーん」 クールな表情のまま、下崎が豚キムチを摘んだ菜箸を差し出してくる。 「マ、マジでなんなのお前……」 「食、え、よ」 「食べるけど!!」 バツの悪い気分の俺なんかお構いなく、下崎は口に豚キムチを思いっきり突っ込んでくる。 そして、俺の顔をじっと見つめた。 「ん、どう?」 「……う、うま〜! めっちゃ美味しい!」 口に広がる豚肉とキムチの旨味に、自然と笑顔が溢れてくる。 「認めたくないけど……今まで食べた中でベストな豚キムチだわ」 「お前チョロいな。そんなんだから事務所に騙されるんだよ」 「ずっとビンボー飯だったから、余計そう感じるのかも」 呆れ口調の下崎だが、満更でもなさそうだ。 座卓に豚キムチ丼と味噌汁を並べて、下崎と向かい合って座る。 八畳はやっぱりぎゅうぎゅうで、少し居心地が悪い。 「下崎は、いつも一人で食ってるの?」 「そう」 「それ、寂しくならない? 俺はいつもぬいぐるみとか近くに飾ってるけど」 「別に……いつも学校では友達と食べてるから。むしろ一人の方が楽だわ」 「そ、そうなんだ」 毎日一人でお昼を食べている俺だったら、絶対言わないようなセリフだ。 普段全く下崎と会話しないから、話す話題が見つからない。目を伏せたまま、黙々と豚キムチを食べていると、彼が口を開いた。 「お前、俺が嫌いでしょ」 「……そう見える?」 「俺を見てる目線が、ゴキブリを見つけた時みたいだもん。無理して話さなくてもいい」 「ゴキブリっていうよりは、ドブネズミかなあ……」 それっきり、あたりに訪れる静寂。 再び、黙々と箸を進める二人。 豚キムチ丼をあらかた食べ終えた頃、下崎がテレビをつけながら口を開いた。 「お前、曲がりなりにもアイドルなら、最近のアイドル業界については知ってるの」 「え……まあ、一応」 「言ってみて」 唐突に振られて戸惑いつつも、俺は持っている知識を口にした。 「えっと。現状、アイドルは大まかに一軍、二軍、三軍に分かれてる。一軍と二軍はテレビでパフォーマンスできる人たちで、三軍は……俺みたいな地下ドル」 ただ、一軍・二軍の双方ともテレビに出られると言っても、地上波の番組に出られる一軍と衛星放送にしか出られない二軍の差は大きい。 一軍のアイドルは、本当に一握りなのだ。 「それで、一軍・二軍の両方とも、毎週やっている音楽番組のランキングで一位になることを目標にしてる。二軍の番組でランキング上位になれば、一軍に上がることができる……どう?」 「まあ、大体そんな感じだな」 下崎がテレビのチャンネルを回すと、ちょうど一軍しか出られない番組が流れていた。 今週のランキング一位は……瀬谷凛人。 大手事務所に所属し、一世を風靡している、超人気若手アイドルだ。 「俺たちが目指すのは、一軍での一位獲得だ」 俺は、飲みかけていたほうじ茶をむせてしまった。 「へ!? 俺、二軍ですらないのに!?」 「目指すからにはテッペン取らないとだろ。今のままだと、一生三軍止まりだぞ」 「それは嫌だけど...…! ムリムリ! このアイドル戦国時代、どれだけアイドルがいると思っているんだよ!? その中でこんな地下ドルの俺が一位を取れると思う?」 毎年沢山のアイドルがデビューして、そのほとんどが売れずに引退していく厳しい世界。特にずば抜けた才能のない俺が一位になれるはずがない。 「そう……お前の実力はどうあがいても大手事務所のヤツらに敵わない。そんなお前が一位を取るから面白いんだろ。  それに、お前にも目標はあるんじゃないの? こんなことで止まってちゃダメじゃん」 「……!」 そうだ。俺には、アイドルになって叶えたい夢がある。一位を目標にすれば、自ずからその夢も叶えられるかもしれない。 「わかった。俺、一軍で一位になる!」 「おう。頑張ろうぜ」 「うん!」 伸ばされた右手に、俺の手を重ねる。 カチッ。 「ん?」 下崎の手を握り締めた瞬間、何か別の感触があった。 「なんだこ……」 バン! バン! バン! パチパチ! 爆音が部屋に響き、部屋の四隅に置かれた段ボール箱から、金色のビニールとエキサイティン熊が大量に飛び散る。 「ク、クラッカー!?」 こいつ……元々気づいてはいたが、頭がおかしい。 「はいこれ。決意をしたお前へのお祝いだ」 「今度は、なんだよ……!」 俺の手に置かれたのは、一枚のCD。 「デモテープだ。  6月10日。お前のデビューシングルの発売日だ」 「えええええええええ!?」 部屋に立つ俺達とそれを囲む大量のエキサイティン熊。 それは未来でトップアイドルとして沢山のファンに囲まれる俺を示していたーーそんなバカな。
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