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【1】借金とキス
胸元を捕まれ、物凄い力で引っ張られる。衣装が引き裂かれ、肌が露出する。
俺の何回も着た思い出のステージ衣装。
底辺地下ドルに似合わないくらい豪華で、自慢の衣装だったのに。
「や、やめて……!」
「駄目だよ。契約でしょ?」
精一杯の懇願も聞き入れてもらえず、惨めさで自然と涙が溢れる。
必死に抵抗するが、ベッドに固定された手錠のせいでどうしてもここから離れることができない。
息を荒くしたディレクターが俺の太腿付近に手を伸ばす。
ーーもう、ダメなのか。
絶望感で目の前が一気に真っ暗になる。
これから起こることを見るならと、俺は目を閉じた。
まただ。
また不幸になってしまうんだ俺……。
その時。
ドカアアン! という爆音。
一気に煙が広がり、凄まじい熱風と衝撃によって、玄関の扉が木っ端微塵になる。
「なっ!?」
爆炎を背景に立つ、一人の男の影。
陽炎と逆光のせいで顔はよく見えない。
ボカン、ボカンと彼の背後で連続的に噴き上げる白煙。
あっという間に充満したそれは、皆の視界を奪っていく。
突然の爆発に全員がその場にしゃがみ込み、ディレクターも飛び跳ねるように俺から離れた。
俺はわけも分からず、ただ震えながらベッド上で体を丸くすることしかできない。
……特撮の撮影か何かか?
一瞬にして混沌に陥ったこの場所へ、彼は迷うことなく入ってくる。
煙が立ち込める中、俺はその人物が何の迷いもなくベッドまで進んでくる気配を感じていた。
今まさにベッドに上がろうとしている雰囲気に、恐怖で足がすくんで動けない。
ふいにその人物が、俺だけに聞こえるような声で囁いた。
「現役アイドルなのに、無様な姿だな」
「ーーえ?」
麻痺してしまった頭でも、その声に聞き覚えがあることははっきり分かる。
なぜなら、毎日聞いているから。
そう、この声はーー。
「下崎……?」
なんで、クラスメートのコイツがここに?
ゆっくり目を開くと、俺を見つめている彼の切れ長な瞳と目が合った。
「な、何してんの!?」
驚きすぎて、言葉がうまく話せない。
「黙って」
「は……!?」
彼の指が、俺の目に溢れた涙と前髪をはらう。
そのまま、俺の唇に軽く触れた。
何も分からない中で、彼の体温だけを感じる。
冷えきった身体に、電撃のような衝撃が走る。
何をされたのか理解できる頃には、彼は唇を離していた。
「なっ……」
目を白黒させている俺を尻目に、彼はさも朝飯前といった表情で、ベッドと俺を繋ぐ手錠を外す。
そして一切自体が飲み込めずにいる俺を持ち上げると、肩で担いだ。
「ちょっ、下ろして!」
俺が背中を拳でぼかすかと叩いても、応じるつもりは無さそうだ。
「待て、仕事を放棄するなら違約金がーー」
爆発で腰が抜けつつも、侵入者である下崎を止めようとするディレクター。
「下衆なヤツ」
下崎は札束を空中に放り投げた。
シャワーのように、スタジオ中に舞っていくお札。
はらり、はらりと床に落ちていくのが、その場の喧騒に似合わないくらい上品だった。
「違約金は俺が立て替える。コイツは貰っていくから」
下崎に担がれたまま外に出る。
彼にとんでもない場面を見られた恥ずかしさと、どこに連れて行かれるんだという不安で、ぐちゃぐちゃになる俺の脳内。
とにかく、コイツからも早く逃げなくては……。
だが、極度の緊張から解放された疲れで、糸が切れてしまったかのように体に力が入らない。
朦朧とする意識の中、俺は精一杯の力でもう一度彼の背中を叩く。
あんなのが俺のファーストキスだとは、死んでも認めたくない。
「ふ、ふざけんな……! 俺は、お前のことなんか……」
捨て台詞のような言葉を吐きながら、俺は意識が沈んでいくのを感じた。
******
ぴと、ぴと。
頬に当たる冷たい感触に、俺は目を覚ました。
「う……」
微かに鼻をくすぐる、い草の匂い。
目を開けると、沈んだ色の木板が竿縁でいくつもの正方形に区切られた天井が目に入った。
いくつも残るシミといい、隅に張った蜘蛛の巣といい、年季が感じられる。
どうやら、俺は古い和室にいるようだった。
障子の向こうは、すでに陽が落ちているらしい。
……撮影、どうなったんだっけ……?
鈍く痛む頭を押さえつつ、むっくりと起き上がる。
「あ、起きた。随分寝てたじゃん」
「うわっ!?」
俺はすぐ横からした声に驚いて、とっさに布団の中へ隠れた。
「何やってんの?」
布団を少しだけ開いて覗くと、保冷剤を持ちながら俺を見下ろす下崎の姿。
彼を見て、俺は日中にあったことをまざまざと思い出した。
「……ここ、どこ?」
俺は警戒の目つきで下崎を見やる。
「そんな顔するなよ。あそこから連れて来なかったら、おにーさん今頃散々な目に遭ってたと思うぜ」
「え……、どういうことなの」
状況がいまいち飲み込めない。
やれやれ、という表情の下崎。
……そもそもなんで、コイツがあんなところにいたんだ?
爆発と共に登場するなんて意味が分からなさすぎる。爆薬なんてどこで調達したんだ。
しかも、なんで俺がピンチになっていることが分かったのだろう?撮影場所もなぜ分かった?
理解できないことばかりだ。
去年以来、最低になっている彼への信用度は、今回の件でもはやマイナスになっていた。
ここもどこだか分からないしーー。
そう思ってスマホで地図アプリを起動させると、意外にも俺が住んでいるアパートから5km圏内の場所だった。
それなら、ここに長居することもあるまい。
「助けてくれてありがとう。今度何か奢らせて。じゃあ、帰るね」
お礼を言い、布団から出て丁寧に畳む。
人としての最低の礼儀を尽くして、俺はこの和室を離れようとした……のだが。
「いや、無理だよ」
きっぱりと言い切る、下崎の声に遮られてしまった。
「え?」
「だってお前の事務所、警察にしょっ引かれてるから」
……嘘でしょ。
俺は布団の傍にある座卓からリモコンをひったくるように取ると、急いでテレビをつける。
現れた画面に、「悪質芸能事務所幹部 未成年のAV出演強要・恐喝の疑いで逮捕」の文字が光っていた。
「……マジで!? アンタが爆破とかやったからじゃないの!?」
「ちげーよ。お前みたいな被害者が多数いたらしくて、ケーサツに相談が寄せられてたんだってさ」
まあ、所属アイドルを騙してAV出演の契約書にサインさせ、高額な違約金かAV出演かを迫るような、クソな事務所は潰れて然るべきなのだが。
問題は、俺の住んでいたアパートはあの事務所が借りていたものだということだ。
「だから言っただろ。お前は帰れないって」
「うっ……」
いくら俺でも、借主が逮捕された部屋で暮らし続ける勇気は無い。
まずい。俺は行くあてがなくなってしまった。
背中に冷や汗が流れていくのを感じる。
下崎は心底どうでもよさそうな顔をしていた。
「一人暮らしなんでしょ。ちょうどいい機会だし、地下ドル辞めて実家に帰れば?」
「それは無理」
両親がどう思っているかは分からないが、少なくとも俺は、絶対にアイドルを辞めるわけにはいかないのだ。
……そう、絶対に。
「あと、お前が事務所から強請られてた700万、払ったの俺だからな。ここを出ていく前に、返してくれない?」
「えっ……?」
脳内に、昨日の下崎がお金をばら撒いていた姿が浮かぶ。
「ま、まさか俺のために契約の違約金立て替えてくれたの!?
逮捕されるような事務所に、俺も下崎も金払う必要ないでしょ……!」
「でも、払わなかったらそのまま撮影が続いてたはずだけど」
「そ、それは嫌だ……」
確かに、下崎のおかげで俺が望まない撮影を避けられたというのも事実ではある。
「700万……俺が地下ドル活動で稼ぐから、返済をしばらく待ってもらうっていうのは?」
「踏み倒しそうだからヤダ」
「……俺が路上で生パフォーマンスを今すぐやるのは?」
「絶対一銭も儲からないだろ、却下」
「どうしよー……」
行き場を失くしてヘナヘナと座り込む俺の肩に、下崎が手を置いた。
「一つ提案があるんだけど」
「……何」
「俺と取引しようぜ」
「内容にもよる……」
下崎は、俺を見つめて意味ありげな笑みを浮かべた。そして、昨日のように耳元で囁く。
「俺にお前のアイドル活動をプロデュースさせてくれたら、700万の返済は免除してやる」
「は?」
意外な言葉に、俺は耳を疑った。
「だから、事務所が無くなったお前のプロデュースを俺にやらせて」
「な、何言ってるの。下崎、ただの高校生ずら? プロデュースなんかできるわけねえに」
驚きすぎて、地元の方言が口をついて出た。
「この条件を受けるなら、この部屋で寝泊りしていいぜ」
「意味分からないんだけど、その取引でアンタに何の利点が……ふごっ」
下崎が投げたマシュマロが口に詰まる。
「詮索は一切受け付けない。聞くなら、この取引は無しだ」
「そんな怪しい取引するほど、俺はバカじゃない」
「じゃあ、700万返して。あと、泊まる場所見つかるといいな」
「うっ……」
700万なんて大金、ヤミ金に借金でもしない限り、俺には絶対に返済はできないだろう。
この男、ここまで見越して俺を助けたのだろうか?
「下崎……。お前、俺が700万払えないって知ってて立て替えたでしょ」
「さあ?」
何から何まで訳の分からないこの陽キャのせいで、俺は困惑しっぱなしだ。
俺の困惑など露知らず、下崎はのんきにマシュマロを食べている。
「プロデュースって、簡単なことじゃないよ」
「やってみなきゃわからないだろ」
俺は頭の中で、どうしたら上手くこの状況を切り抜けられるかを考えた。
……どうせ、こんなロケ場所を爆破したり、700万をポンと出したりできる怪しいヤツ、何かしら違法なことに手を染めているに違いない。
表向きはプロデュースをしてもらうことにして、その間に下崎の尻尾を掴んで警察に突き出す。そして契約の強制解除。これでいいか……。
俺はそんなことを思った。
「分かった。……正直、下崎のこと1ミリも信用してないけど。その条件、飲むよ」
「優秀じゃん」
下崎は俺の目をハシバミ色の瞳で見つめながら、満足げな笑みを浮かべる。
そして、また唇を俺の唇の上に軽く重ねてきた。
「へ!?」
ふんわりと香る、マシュマロの甘い匂い。……首の後ろが少しムズムズする。
昨日といい、唐突すぎて避けられない。
身体を硬直させる俺を、下崎はおかしそうに見ていた。
「キスレベルでそこまで照れてるの面白いな」
「ま、マジでなんなのお前……!? 俺のファーストキスも奪いやがって!」
「700万」
「す、好きなだけキスしてどうぞ……」
「じゃあ、交渉成立ということで。この部屋は自由に使っていいから」
そう言って部屋を出ようとする下崎。
「待って」
俺は、ずっと思っていたことを口に出した。
「……俺はアンタが前にしたこと、忘れてないからな」
下崎が振り返る。その件についても「詮索禁止だ」とでも言うように、俺を見つめる瞳が冷たく光った。
そして、彼は少しだけ口角を上げた。
……そう、俺は覚えているのだ。
今までの関係性も、彼が俺に何をしたのかも。
俺と彼は仲間じゃない。
下崎が油断している隙に、飄々とした姿の裏に隠した本当の正体を暴いてやる。
俺は謎の決意を胸に秘めながら、下崎が去ったあとを見つめた。
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