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降り注ぐ太陽の光が水面をキラキラと照らしている。潮の香りを含んだ湿っぽい風が、火照った肌に気持ちいい。
クルーズ船の屋外デッキ。気分転換にと思って海風に吹かれに出てきたところ、思いのほか筆が進んで部屋に戻る機会を失してしまった。簡単なスケッチをするだけで長居するつもりはなかったから、帽子も長袖の上着も部屋に置きっぱなしだ。だが、絵の具まで引っ張り出してしまった今、ますます中断するタイミングが分からない。
私はデッキチェアに浅く腰掛けて膝の上にスケッチブックを広げている。絵の具のチューブを思い切り絞ると、見もしないですぐ横にあるサイドテーブルに投げた。チューブは、絵筆や絵の具などで雑然としていたテーブルに着地せずにコロコロと床を転がった。
「絵の具、落ちましたよ。」
気が向いたときに拾おうと思っていたが、親切な人が通り掛かったようだ。
「ありがとうございます。」
一言礼を告げる。その人は、しばしその絵の具チューブと私の手元のスケッチブックを見比べてから私に渡した。
「ビリジアンですか。なかなか珍しい色で海を描くんですね。」
「はあ。」
「眩しいほどの海の青じゃなくて、まるで藻に覆われた湖のような色ですよね。」
私が何色を使おうが、あなたには関係ないじゃないと内心ムッとしたが、愛想笑いだけ返しておく。男は持っていた分厚い手帳に何かを書き込むと、一礼して離れていった。私は気が乗らなくなって、道具を全て片付けて船内に戻った。
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