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程よく酔いも回ってくると男は饒舌になり、尾瀬を旅した時に見た景色について、その素晴らしさを語った。
「湿原に咲き乱れる『水芭蕉』がそれはもう美しくてね。冷たい雪解け水にさらされながらも、背筋を伸ばして咲いている姿は神々しさすら感じますよ。それに名前の音の響きもいい。漢字も渋くていい。いいことづくめですよ。」
そして、とっておきの情報だと言わんばかり、小声でこう囁いた。
「花言葉もね、とても素敵なんですよ――『美しい思い出』。」
その後もゆったりとしたジャズの生演奏を聴きながら、お互いに取り留めのない話をした。男は旅好きであることに加え読書家のようで、今まで読んだ旅行記などを面白おかしく紹介してくれたが、私はぜひ読んでみたいですとは言えず、曖昧な受け答えに終始した。
食事を終えて別れ際、船を下りた後に文通でもしませんかと、男は言ってきた。私が難色を示すと、あなたが得意な絵でも描いて送ってくれればそれでいいと。連絡先を交換して、なぜかガッチリと握手をしてから解散となった。
その後も男を見かけることはあったが、下船まで話をすることはなかった。
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