33人が本棚に入れています
本棚に追加
序
『あるところに、黒い髪、黒い瞳のひとたちの国がありました。
どっちをむいても黒い髪、黒い瞳のひとばかり。
男のひと。
女のひと。
おとなたち。
こどもたち。
みんなみんな、黒い髪、黒い瞳をもっていました。
黒い髪、黒い瞳のひとたちは、おなじ色の仲間どうし、たすけあい、わらいあい、毎日しあわせにくらしていました。
でもあるときから、黒い髪、黒い瞳のひとたちの国は、外国と戦争をくりかえすようになってしまいました。
黒い髪、黒い瞳のひとたちの国は、いろんな外国と戦争をしました。
黒い髪、黒い瞳のひとたちの国は、外国のひとたちのことがだいきらいになりました。
仲直りなんかしたくなくて、いくら負けても、ぼろぼろになっても、ぜったいに戦争をやめようとはしませんでした。
ある日、黒い髪、黒い瞳のひとたちの国のかたすみで、ひとりの女の子が泣いていました。
その女の子の髪は、金に黒がまざったような黄土色。
瞳は、青に黒がまざったような群青色をしていました。
そんなおかしな色をもった女の子は、いつもひとりぼっちで泣いていました。
黒い髪、黒い瞳のひとたちにみつからないように、だれもいない空き地のすみっこにちいさくなって、こっそりと泣くのです。
だから女の子が泣いていることは、だれもしりませんでした。
でもその日、女の子は、なんとひとりの男のひとにみつかってしまいました。
女の子はびっくりしましたが、男のひとはわらって、「こんにちは。」といいました。
女の子は、返事をしませんでした。そしてそっぽをむきました。
その男のひとは、みんなとおなじように、黒い髪、黒い瞳をもっていたからです。
けれど、男のひとはぜんぜんおこりませんでした。
わらったまま、女の子のまえにしゃがんで、やさしくたずねてきました。
「きみは、どうして泣いているのかな。」
女の子は、そっぽをむくのをやめて、ちゃんと男のひとの顔をみてみました。
黒い髪、黒い瞳。
でも、どうしてか、いっぽうの目はつむったままでした。
男のひとは、黒い瞳をひとつだけあけて、女の子をみていたのです。
女の子は泣いたまま、むくれていいました。
「なんて、へんなの! いっぽうの目しかあけてないなんて。」
「うーん。へんかなあ。」
「へんよ。みんなとちがうもの。どうしてみんなとおんなじように、両方の目をあけないの。」
「ぼく、ずっとこうだよ。こどものころからこうだった。」
男のひとは、にこにこしながらそういいました。
黒い髪、黒い瞳で、いっぽうしか目をあけていない、へんな男のひと。けれど、ずっとわらっています。
女の子の黄土色の髪、群青色の瞳をみても、おこったり、からかったり、たたいたり、石をぶつけてきたりしないのです。
女の子は、しゃっくりをあげながらいいました。
「だけど、あなたはいいわね。わたしのほうがずっとへんだもの。わたしの髪と瞳の色、こんなだもの。」
「うーん。へんかなあ。」
「へんよ。みんなとちがうもの。みんなみんな、黒い髪、黒い瞳なのに、わたしだけちがう。それがいや。」
「みんなとちがうのが、いやなのかい?」
「いやよ。仲間はずれにされるんだもの。鬼畜にそっくりの色をして、どうしてこの国にいるんだって、いじめられるんだもの。だからわたし、みんなとちがうのがいや。こんなきたない色、だいきらい!」
女の子は、声をあげて泣きだしました。かなしくてかなしくて、涙がとまりませんでした。
すると、女の子の頭に、男のひとのおおきな手がおかれました。
「ぼくは、とってもきれいな色だとおもうけどなぁ。」
女の子の黄土色の髪をなでながら、群青色の瞳をみつめながら、男のひとはいいました。
女の子は、やさしく頭をなでられたのと、男のひとのいったことにたいそうびっくりして、泣き声をあげるのがとまってしまいました。
でも、ぽろぽろこぼれる涙はとまりません。
「わたしの色がきれいですって? うそなんか、いわないで!」
「うそなんか、いってない。」
「うそよ。うそに決まってる。みんなは、そんなこといわないもの。」
「きみは、みんなのことだけ信じて、ぼくのことはちっとも信じてくれないの?」
「信じられないわ。だってあなたは、みんなとちがっていっぽうの目はつむったままだし、みんなとは反対のことをいうし、まるでへんなひとなんだもの!」
女の子がそうさけぶと、男のひとは、女の子の頭をなでるのをやめてしまいました。
男のひとのあたたかい手がはなれてしまうと、女の子は、きゅうにこころぼそくなりました。
男のひとは、もう女の子にあきれてしまったか、おこってしまったのかもしれません。女の子をおいて、帰ってしまうのかもしれません。
女の子は、「いかないで。」ということばが、のどのところまで出かかっているのがわかりました。でも、どうしてもそれをいうことができませんでした。
女の子は、涙をながしながら、うつむいているばかりでした。
でも、男のひとは、女の子をおいて帰ったりはしませんでした。
「ねぇ、みてごらん。」
女の子が顔をあげると、男のひとは、じぶんのズボンのポケットから、ちいさな黄色い箱をとりだしました。
それは、キャラメルの箱でした。
女の子は、「あっ。」といいました。それから、群青色の瞳をまんまるにして、じぃっと箱を見つめてしまいました。
そのころ、黒い髪、黒い瞳のひとたちの国は、いっしょうけんめい戦争をしていました。
戦争をつづけるためには、みんなが力をあわせなければならなかったので、ぜいたくなんかだれもできませんでした。
おなかがすいていたって、服がぼろぼろだって、文句をいわずに、がまんしなければならなかったのです。
だから、キャラメルなんてぜいたくなもの、なかなか手にはいりませんでした。女の子も、お菓子なんてずぅっと食べられませんでした。
男のひとは、箱からキャラメルをひとつとりだして、ていねいに包み紙をむきました。
そうして男のひとの指がつまみあげた、四角いちいさなキャラメルをみて、女の子は「わぁ。」と声をあげました。
「なんて、あまくて、おいしそうなの!」
「おや。どうしてまだ食べてもいないのに、そんなことがわかるんだろう。」
「わかるわ。だってそのキャラメル、とってもやさしくて、とってもかわいい色をしているんだもの!」
女の子は、夢中でそうこたえました。男のひとは、あいているもういっぽうの目までほそくして、ほほえんでいました。
「くちをあけてごらん。」
女の子がくちをあけると、ころん、とキャラメルがはいってきました。
女の子は、くちをとじて、目をつむりました。
くちのなかで、ころころ、ころころと、四角いキャラメルがころがります。
なんて、あまくて、おいしいのでしょう!
とってもやさしくて、とってもかわいい味がします。
くちのなかのキャラメルが、ゆっくりとちいさくなって、やがてとけてなくなってしまうまで、女の子は目をつむったまま味わっていました。
そうしているうちに、いつのまにか女の子の涙はとまっていて、ぬれていたほっぺたも、すっかりかわいてしまっていました。
女の子は、とってもしあわせなきもちで目をあけました。
男のひとはすぐそばで、しゃがんだままほおづえをついて、いっぽうしかあいていないやさしい瞳で、女の子のことをみつめていました。
「おいしかった?」
「……うん。」
女の子はちょっと赤くなって、いそいで下をむいてしまいました。
そんな女の子の頭が、またあの、おおきなあたたかい手になでられました。
そして男のひとは、びっくりするようなことをいいました。
「きみは、じぶんの色がだいきらいだっていったよね。それから、キャラメルの色は、とってもやさしくて、とってもかわいいっていったよね。でもぼく、きみの髪の色って、キャラメルの色にそっくりだとおもうんだ。」
女の子は、「えっ。」といって顔をあげました。
男のひとは女の子の髪をひとふさすくって、女の子の瞳のまえにもってきました。
よぅくみると、女の子のだいきらいな黄土色の髪は、あのあまいあまいキャラメルの、とってもやさしくて、とってもかわいい色とおんなじでした。
「ね。そっくりでしょ。」
男のひとは、たのしそうにわらいました。
「会ったばかりのぼくのことは、信じられなくてもしょうがない。でも、きみじしんがこの色を、やさしくてかわいいっておもったきもちは、信じてあげられるよね。」
女の子は、黄土色の、キャラメルとおなじ色をした髪を両手でさわって、ぎゅっとにぎりました。
みんなに仲間はずれにされるから、きたなくて、だいきらいな色のはずでした。
でも、そのいやでいやでたまらなかったきもちが、すこしずつ、すこしずつ、女の子のなかからきえていくような気がしました。
そのかわりに、まるで女の子のこころのなかで、あまいキャラメルがころころ、ころころところがっているみたいに、すこしずつ、すこしずつ、しあわせなきもちがひろがってゆきました。
女の子は、髪をにぎっていた手をはなしました。キャラメル色の髪が、ふわふわとやわらかくひろがりました。
女の子は、群青色の瞳で、まっすぐに男のひとのことをみつめました。
黒い髪、黒い瞳。
いっぽうだけあいている、黒い瞳。
黒い色って、なんてやさしくてすてきな色なのかしら。女の子はそうおもいました。黒い髪、黒い瞳をみて、そんなことをおもったのは、はじめてのことでした。
男のひとが、女の子の色をきれいだってほめてくれたことも、すこしずつ、うれしいことにおもえてきました。
男のひとは、やさしくわらいました。
「ちょっとは、元気になってくれたかな。」
「……うん。」
「よかった。きみは、えらい子だね。」
「……。」
女の子は、ほんとうは男のひとに、「ありがとう。」といおうとしていました。
なのに、男のひとの顔をみると、どうしてもいうことができなくて、ただもじもじしてしまいました。
女の子がなにもいえないでいるうちに、男のひとが、そっと女の子の手をとりました。
そして、もっていた黄色いキャラメルの箱を、女の子のちいさな手のひらにおいたのです。
「あとは、きみにあげる。」
女の子は、びっくりしてしまいました。
「そんな! まだ、キャラメルがいっぱいはいっているのに。こんなたいへんなもの、わたし、とてももらえない。」
「いいんだ。きみにもらってほしいんだ。」
男のひとは、やっぱりやさしくほほえんでいました。
でもその笑顔が、女の子には、すこしさびしそうな顔にみえました。
女の子の手にキャラメルの箱だけのこして、男のひとのあたたかい手が、ゆっくりとはなれていきました。
そのとき女の子は、はっとしました。
なんだかこのまま、男のひとが、どこかとおいところへいってしまいそうな気がしたのです。
そして、そんな女の子のいやな予感は、あたっていました。
「ぼくはこれから、戦争にいかなくちゃならないんだ。」
男のひとは、しずかにそういったのです。
女の子は、群青色の瞳をいっぱいにひらきました。たいせつなキャラメルの箱が、手からすりぬけて、地面におっこちました。
そして、女の子のこころのなかで、ころころころがっていたかわいいキャラメルも、さぁっと消えてなくなってしまいました。
さっきまであんなに、あまいしあわせな味がひろがっていたのに、また、もとどおりのからっぽなこころにもどってしまいました。
からっぽのこころに、男のひとのやさしい声だけがひびきました。
「もしきみがまたかなしくなって、ひとりぼっちで泣いていたとしても、ぼくはそばにいてあげることができない。だから、そんなときはそのキャラメルを食べて、元気になってほしいんだ。」
女の子の顔が、くしゃっとなりました。群青色の瞳から、とまっていたはずの涙が、またたくさんあふれだしてきました。
「ばか、ばか、ばか! キャラメルなんかで元気になったりするわけがないわ。わたしは、またひとりぼっちだもの!」
女の子はそうさけぶと、わーんわーんと泣きだしてしまいました。
それをみた男のひとは、はじめてわらうのをやめて、かなしそうな顔をしました。
すると、女の子は、もっともっとかなしくなってしまいました。
なんて、ひどいことをいってしまったのでしょう。
そう、りっぱに出征する男のひとに、「ばか。」なんていったことがみんなにしられたら、女の子はもっと仲間はずれにされてしまうでしょう。
でも、このとき女の子のこころのなかをぐるぐるしていたのは、いじめられることや、ひとりぼっちになることのかなしさじゃありませんでした。
こんなにやさしい男のひとに、かなしい顔をさせてしまっている、そのかなしさだけでした。
男のひとにかなしい顔をしてほしくなくて、ひどいことをいってしまったのをあやまりたくて、女の子はいっしょうけんめい泣きやもうとしました。
でも、涙はぜんぜんとまりません。女の子はしゃっくりをあげながら、なんどもなんども涙をぬぐいました。
男のひとがいいました。
「たしかに、ぼくが戦争にいったら、きみはまたひとりぼっちになったとかんじるかもしれない。でもぼくは、どこにいても、ずっときみのことをおぼえているよ。」
男のひとは、さびしく地面におっこちていたキャラメルの箱を、そっとひろいあげました。
「おぼえているだけじゃ、どうにもならないわ。」
女の子は、うつむいて、ちいさな声でいいました。
女の子のこころが、ぎゅうっといたくなりました。そんなことがいいたいんじゃないのに、どうしてこんなふうに、いじけたことしかいえないのでしょう。
男のひとは、「そうかなあ。」といいました。
そして、涙にぬれた女の子の手をとって、もう一度、キャラメルの箱をわたしてくれました。
「きみのことをおぼえていて、あいたいなっておもっていたら、ほんとうにまたあえるかもしれないじゃないか。いつか戦争はおわるんだ。またあえるかもしれないかぎり、きみはほんとうのひとりぼっちにはならないよ。」
「そんなの、わからないじゃない。戦争がおわっても、ずぅっとあえなかったらどうするの? わたしのことをおぼえてくれてたって、もうあえなかったら、ぜんぜん意味がないわ。」
「どうしてそんなに、もうあえないっておもうの?」
「だって。だって、戦争にいってしまったら……。」
「ぼくが、死んじゃうかもしれないから?」
そのころ、黒い髪、黒い瞳のひとたちの国は、いっしょうけんめい力をあわせて、外国に勝とうとがんばっていました。
黒い髪、黒い瞳のひとたちの国は、いくら負けても、ぼろぼろになっても、ぜったいに戦争をやめようとはしませんでした。
だから、りっぱに出征したおおぜいの兵隊さんが、もう二度とかえってはこられませんでした。
そんな戦争に、この男のひとも、いってしまうのです。
女の子の群青色の瞳に、またあたらしく涙がもりあがりました。
涙はつぎつぎこぼれて、黄色いキャラメルの箱にぽたぽたとおちました。
「きみは、やさしいね。」
男のひとは、あのあたたかい手で、女の子の頭をなでてくれました。
女の子は顔をあげました。
男のひとは、とてもおだやかに、とてもやさしくわらっていました。
そしてすぐに、いっぽうだけひらいた黒い瞳を、まるでちいさな男の子みたいに、きらっとかがやかせました。
「きみにだけ教えてあげる。じつは、ひみつのお守りがあるんだ。」
「……ひみつのお守り?」
「そう。ぼくが戦争からちゃんとかえってこられるように。またきみとあえるように。」
「ほんと? それ、どこにあるの!」
「ここ。」
男のひとは、女の子がもっているキャラメルの箱に、とんとひとさし指をおきました。
「このなかに、はいってる。さがしてごらん。」
女の子は、いそいでキャラメルの箱をあけました。
箱のなかには、たくさんのキャラメルがはいっていました。ひとつひとつ包み紙につつまれて、お行儀よくならんでいます。
でも、女の子がさっき食べたキャラメルのところだけすき間があって、そこに、四角いキャラメルとはちがう形のものがはいっていました。
それは、キャラメルの包み紙につつまれていて、なんなのかよくわかりませんでした。
キャラメルとおなじくらいのおおきさだけれど、角っこがなくて、でもまんまるでもありません。
これが、ひみつのお守りなのでしょうか。
女の子はそれをとりだして、そぅっと包み紙をむきました。
「わぁ。」
包み紙からころんとでてきたのは、すべすべした、とてもきれいな青い石でした。
その色は、雲ひとつなくはれている空よりずっとふかい青。
太陽の光にかがやく海より、ずっとやさしい青でした。
そしてそんな青に、夜空をまたたく星のような、こまかい白がたくさんちらばっているのです。まるで、石のなかにちいさな天の川がとじこめられているみたいでした。
「そのお守り、きみがもっていてくれないかな。」
男のひとがやさしくいいました。
「……いいの? あなたのお守りなのに。」
「うん。こんなにちいさなもの、ぼくだとなくしちゃいそうだから。きみがもっていてくれたほうが、ずっと安心できる。」
「……わかった。わたし、あなたがかえってこられるように、ずっと大事にもっているわ。」
女の子はしっかりとうなずきました。
いつの間にか、もう涙はとまっていました。あふれる涙が邪魔をしないから、女の子の瞳はものがくっきりみえるようになりました。
だから女の子は、男のひとの顔をじっとみつめました。
黒い髪、いっぽうだけの黒い瞳、やさしい笑顔。
いつかまたあう日のために、こころにしっかりとやきつけました。これで女の子のこころは、もうからっぽなんかじゃありません。
それから女の子は、もう一度青い石をみつめました。
ひんやりときもちよく、すべすべしたちいさな石。
天の川のながれるふかくてやさしい青は、この男のひとのお守りにぴったりだと思いました。
大事にもっていれば、きっと、男のひとのことをまもってくれる。きっと、またあうことができる。青い石のうつくしさは、女の子にそう信じさせてくれました。
「ほんとうにきれい。あなたのひみつのお守りは、すごい宝物だわ。こんなすてきな色、世界中のどこをさがしても、ぜったいにほかにはみつからないもの。」
そう女の子はいいました。こころの底からそう思いました。
でもなぜか、男のひとは「ほんとうにそうかな。」といってほほえみました。
女の子がきょとんとすると、男のひとはもっとたのしそうにわらいました。
「ぼくは、もうみつけているよ。その石とおなじ色をした宝物。それは、きみがさいしょからもっているものだ。」
びっくりして、女の子の目がまんまるになりました。その群青色の瞳で、去っていく男のひとの背中を、いつまでもいつまでも見つめていました。』
最初のコメントを投稿しよう!