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 手を繋いだまま外に出た青年と少女を、ふたりの男が不思議そうな顔をして出迎えた。  ひとりは察馬(さつま)医師だが、車に寄りかかって煙草をふかす若い男のほうは初めて見た。……今の瑠璃子にとっては、ほとんどすべての人が「知らない人」ということになるのだろうけれど。  玄関の明かりは車の後輪まで伸びている。そのおかげで、きっちり着込んだスーツとネクタイ、その上にあるぎょっとするほど傷だらけの顔が視認できた。手に持っていた無線機がガビガビ音を立てると、男は応答しつつ運転席のドアを開けた。  無造作に乗り込んだそれは、ぴかぴかの黒い国産自動車だ。  アメリカ車を参考にした丸っこいデザイン、国産の技術で初めて作られた量産乗用車。おまけに価格は会社員の年収の十倍以上……といった知識が頭を()ぎり、ぽかんと口をあけたまま見入ってしまった。 「行くかい京作(きょうさく)君」 「はい。察馬(さつま)先生、大変お世話になりました。(きく)さんにもご挨拶したかったんですが……」 「すまないね、あの人は長風呂だから」 「いえ、こんな時間にお騒がせしてしまって。どうかよろしくお伝えください」 「わかった。いずれ様子を見に訪ねるつもりだが、何かあればすぐ電話でも寄越しなさい」 「ありがとうございます。……さ、行こう」  声と同時に軽く手を引かれて、自分が呼ばれたのだと我に返った。  医師にぺこぺこ頭を下げたあと、京作と一緒に後部座席に乗り込む。寝静まった町に走り出す車を、察馬は見えなくなるまで見送ってくれていた。瑠璃子も振り返り、リアガラス越しにしばらく見つめていた。  車は小さな町を抜けて、畑や果樹園に沿って走っていく。見るものがなくなり、ガタガタ揺られながらおとなしく前を向いた。  運転席の若者は長身の恵まれた体躯を持っていた。横長い四角の座席から背中が大きくはみ出していて、もっと姿勢が良かったら頭も天井にぶつけてしまうかもしれない。 「ちょっとごめんね」  不意に横からそう言われて、ずっと握られていた片手をするりと解放された。  瑠璃子は途端に心細くなる。掴むものを失ってしまった手。この人に触れていてもらわないと、いろいろなことの現実味がどんどん薄れて、自分の手の形すらわからなくなってしまいそうだ。  結局、十秒も我慢できずに隣の人の顔を見上げた。京作は座席の後ろから消音器(サプレッサー)付きの新拳銃(オートマチック)を取り出し、窓の隙間から六発撃った。流れるような動作だった。 「来る、(さきがけ)君!」 「だはははははは! 来いよ迎え撃ってやらぁぁ――ッ」  突如運転席の若者が狂笑した。その勢いのままにハンドルを切る。ギャリギャリとタイヤが砂利を跳ね飛ばしつつ回転し、瑠璃子は京作の着流しの膝に倒れ伏してしまった。  サイドミラーがひとつ弾けて割れ、次いでフロントガラスに蜘蛛の巣状のひびが入る。誰かに狙撃されているのだ。(さきがけ)と呼ばれた若者は、こんな状況だというのに爛々(らんらん)とした笑顔で後部座席を振り返った。 「おい親分、当てたかよ!」 「三発だけ」 「上達したじゃん!」  若者もスーツの懐から消音器(サプレッサー)で伸びたシルエットを抜いた。ハンドルに革靴の爪先を(から)めつつ、開け放ったドアから体の半分以上を外に放り出してしまう。短い悲鳴をあげた瑠璃子の肩を、落ち着いた熱い手のひらが(かか)えた。 「そのまま伏せていて」  車体が大きく上下に揺れた。座席の奥でガチャガチャと何かが跳ねる。乱れた黄土色の髪の隙間から、二本の刀の鞘が見えた。それを掴むもう一方の手も。  固く目を(つむ)ったのは三十秒ほどだったろうか。  やがて頭上から無線の音と、それに返答する京作の声が聞こえた。その後「もういいよ」と声をかけられて、瑠璃子はおそるおそる起き上がった。  運転席には(さきがけ)がちゃんと戻って来ている。窓の亀裂が増えたこと以外、嘘のように元通りの状況で車は走行していた。 「防弾ガラス……?」 「おや、よく知ってるね」  ひびだらけの窓を背景に、京作は伏した睫毛(まつげ)の先で弾を再装填(リロード)した。まるで映画のワンシーンみたいな光景だ。さっきまで平気で手を握っていた人が涼やかな美形であることに今さら気づかされ、瑠璃子は無言で混乱を加速させた。  なぁ親分、と(さきがけ)が発言する。 「全員ド(タマ)にぶち込んでやったけど、あの弾マジで死なねぇのか?」 「ああ、ただの麻酔銃だからね。二時間くらい経てば勝手に起きるだろう」 「しまらねぇなぁ。こっちはバチバチに撃たれてたっつーのに」 「やられっぱなしってわけでもない。これは抗争じゃなくて交渉なんだ。傷つけなかったという事実を後々壬生(みぶ)軍次(ぐんじ)が役立ててくれるはずだ」 「ふーん、よくわかんねぇや。まぁ親分がそうしろってんならそうするけどよぉ」 「それと(さきがけ)君。さっきから親分親分言ってるけど、もうよしてくれ。僕は引退したんだから」 「はっ? ……親分って呼ぶの、だめなのか?」 「うん、だめ」 「じゃあこれから何て呼びゃあいいの?」 「名前でいいんじゃないか?」 「だははははは! さすがに無理。そーだな、後でフルカブのおっさんにでも聞いとくか」  ひとり納得したようにそう言うと、(さきがけ)はフンフンと鼻歌を歌い始めた。  瑠璃子はぼんやりと耳をすませて、自動的に頭の中の知識を探った。やけにゆったりと渋くアレンジしていたけれど、なんということはない、童謡の「七つの子」だ。    (からす)  なぜ()くの    (からす)は山に    可愛(かわい) 七つの    子があるからよ…… 「ごめんね、物騒な道中で。怖いだろう」  横から謝られ、びっくりとして京作を見た。ただひとつの黒い瞳が、どんな異変も見逃すまいとばかりに瑠璃子のことを見つめている。    可愛(かわい)  可愛(かわい)と    (からす)()くの    可愛(かわい)  可愛(かわい)と    ()くんだよ…… 「痛いところはないかい。無理しないで、何でも言っていいんだよ」 「いえ、ただ、驚いてしまって……とにかくそれだけです」 「そう。ならいいんだが。……」 「あの……でしたら、聞いてもいいですか。さっきの人たちは、一体……」    山の 古巣へ    行って見て御覧(ごらん)    丸い 眼をした    いい子だよ…… 「……あれは朱鳥会(すちょうかい)という組織の人間だ」 「朱鳥会(すちょうかい)」 「うん。でもひとまず大丈夫だ、もう万年青(おもと)(ちょう)を出て柊木(ひいらぎ)(ちょう)に入った。ここまで来れば手出しはできない取り決めをしてある」 「取り決めって――きゃあっ」 「やべ、道通り過ぎちまった」  車が一八○度の急旋回を決め、とっさに京作が支えてくれたものの思い切りその体にぶつかってしまった。ごめんなさいごめんなさいと情けなく唱える肩を抱いたまま、京作は初めて(たしな)めるような声を出した。 「(さきがけ)君、運転が荒い」 「あ? どうした、あんたいつもはそんなこと言わねぇじゃねぇか」 「そりゃ僕だけならどうでもいいが、今は女の子を乗せてるんだから」 「別に死んではいねぇだろ」 「そういうことじゃない」 「ご……ごめんなさいお騒がせして。その、わたしは大丈夫です」 「大丈夫だとよ」 「大丈夫でもだめだ」  (さきがけ)は傾いたバックミラーの中できょとんとした顔をしている。何を言われているのかさっぱりわからないという様子だ。  瑠璃子がちゃんと座り直すまでの短い間、京作はこちらを眺めながら言葉を切っていたが、ふと思いついたようにこう言った。 「(さきがけ)君、お豆腐乗せてると思って運転できるかい」 「お、お豆腐?」 「お豆腐ぅ?」 「そう、(たらい)の中のお豆腐。ひっくり返してしまってもまぁ食べられるけど、崩さずきれいに運べたほうが気持ちがいいと思うよ」 「……?」 「おぉ、わかった。これからはそうするわ」  なぜか(さきがけ)は合点がいったらしい。今までとは比べ物にならないほど丁重なブレーキの踏み方をして、車は一軒の民家の前に止まった。
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