花言葉

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 それにしても、大変な世の中になっちゃいましたよね。  自治体によっては、緊急事態宣言も解除されて、自粛モードも緩和される動きになって来ましたが、まだまだここら辺は、色んな業種で自粛要請が続いていますからね。居酒屋なんかも軒並み休業か短縮営業ですから、飲みにも行けやしない。早く元の日常が戻って来てほしいですよ。  実際、こういう外食業界が営業できなくなると、他にも色々と影響が出てくるわけで、食材を納入してる卸売業者、はては生産者にまで、色々と影響が波及しますからね。この近所にも小規模な農家がポツポツあるんですが、最近、すぐ近くの畑でも、折角出来た野菜が売り先が無くなってしまった為に、トラクターで潰しちゃったりしてるんですよ。勿論、一番つらい思いをされてるのは生産者の方で、泣く泣くやってるわけですが、手塩にかけて育てた作物を次々に轢き潰していくトラクターの運転台に暗い顔で座っているのを見ると、あまりにも気の毒でねえ……こっちまでやりきれない気持ちになっちまいますよ。  あと、生花の農家さんなんかも大変らしいですね。結婚式だとか大規模なイベントが全部なくなっちゃったから、今までそういうところに納入されていた大量のお花が行き場を失ってしまって、生産者自ら、苦労して育てた何千本という花を廃棄処分にせざるを得なかったなんて話もあるそうで……本当にお気の毒だと思います。一方、少しでもそういうロスを救おうとSNSなんかで呼びかける動きもあるそうですね。こういう動きがどんどん加速して、少しでもロスが無くなればいいですね。  人心も何だかギスギスして、ちょっとしたことで、すぐに喧嘩になっちゃうんですよね。感染への警戒感や、自粛生活のフラストレーションやらが積もり積もって、とにかく人々がやたら攻撃的になっていて、些細なきっかけで溜まった鬱憤を爆発させるような危ない緊張感が至る所に感じられます。社会全体に気化したガソリンが充満していて、ちょっとしたきっかけで大爆発するような雰囲気ですよね。  つい最近も、衝撃的な事件が発生しましたね。ほら、一方的に思いを募らせた同僚のストーカー男に、若い女性が殺されたあの事件、ご存知でしょ?そう、あれは本当に酷かったですね。単に殺害しただけじゃなくて、その後被害者の頭部を切り落としたっていうんですから……勿論、動機はコロナや自粛生活とは直接関係は無いんですけど、犯行の凄惨な内容を聞くと、何となく今の世相に被って見えてしまうんですよ。あの犯人、まだ逃走中なんですよね?犯人の特定は比較的簡単だったようですけど、捕まえてくれないと意味ないですよね。本当、落ち着いて夜も寝られませんよ。  あの事件、表向きは、とある職場の中年男が、バイトに来ていた若い女性に好意を抱いた挙句、ストーカー行為に走るようになり、とうとう殺害に至ったというふうに報道されてますね。概要としては、確かにそれは間違いではないんですが、実は、報道されていない、もう少し細かい事情があるらしいんです。  もともと、その男は園芸が趣味で、長年に亘り、自分の手で色々な草花を育ててはそれを愛でていたそうです。と言っても、庭付き一戸建ての家を持つことは出来なかったので、マンションの一室でプランターやいくつかの鉢植えをコツコツ育てていたそうですが、小規模ながらそれなりに楽しんでいたわけです。  そんなある日、職場にバイトとして入って来た被害女性に、彼は一目ぼれしてしまったんですね。そして、なにかとアプローチをかけるようになった。彼女も職場に来たてのうちは、あまり無碍な対応も出来にくかったので、何となくそれなりに対応していたわけです。まあ、それは無理もないですよね。一方、特に冷たい反応もされなかったということで、男の方は、彼女は自分に好意を抱いてるんだと本気で思い込んでしまった。  男は職務上、被用者としての彼女の個人情報を知ることが出来る立場にあったので、生年月日から住所、電話番号から全て把握していました。そしてとある日、彼女の誕生日に、自ら育てた赤いチューリップの鉢植えをプレゼントしたのです。職場のみんなの前で「サプライズ!」とばかりにそれを渡された彼女は、断るわけにもいかず、困惑しながらもお礼を言って受け取らざるを得ませんでした。一方、同僚たちは、「おめでとう!」とか言いながらこれを完全に一つのショーとして面白がっていたそうです。勿論男のとった行為には、全員ドン引きしながら……  鉢植えを受け取ってもらった男はいよいよ調子にのって、飲みに行こう、食事に行こう、連日のように彼女に誘いをかけ続けるようになりました。一方、当然のことながら、彼女はそんな彼の動きに対して、日に日に嫌悪感を募らせていったのです。  ある日、帰宅した後、自分の部屋のテーブルにおかれた鉢植えを眺めているうちに、彼女の心に沸々と憎しみの念が高まってきました。彼から贈られた真っ赤なチューリップの鉢植えも憎悪の対象にしか見えなくなっていたのです。そして、衝動的に彼女はそのチューリップの花を花托のすぐ下の辺りで切り落としました。そう、首を切ったのです。わざわざそんなことをしてから、茎を植木鉢から引き抜いて、ごみ袋に入れて出したのです。  ところが、その翌日のことです。  帰宅した彼女がドアを解錠して部屋に入ろうとした途端、何者かに背後から部屋の中に向って突き飛ばされました。  床に投げ出された彼女が痛みをこらえながら顔を上げると、そこにはあの男が能面のような表情をして立っていたのです。  彼女は驚愕と怒りで一瞬言葉が出ませんでした。が、すぐに気を取り直して、怒鳴りつけました。 「ちょっと、何するんですか!」  後ろ手にドアを閉めた男は、そんな彼女の前に無造作に一つの袋を放り出しました。それを見た瞬間、彼女の呼吸が止まりそうになりました。  それは彼女が前日に捨てた可燃ごみの袋で、その中には自分が首をちょん切って捨てたチューリップの花や茎、そして植木鉢の土までもがそのまま入っていたのです。既にストーカーになっていた男は、毎日のように彼女のゴミ袋を漁るのが常態化しており、自分の贈ったチューリップがちょん切られて捨てられていたのを発見したのです。 「ゴミまで漁っていたなんて……この変態!」 「この花の花言葉を知ってるかい?」  叫ぶ彼女に対して、男は妙に冷静な口調で訊ねました。 「はあ?何言ってんのよ!」 「この花の花言葉を知ってるかいって聞いてるんだ」  相変わらず淡々として口調で男は訊ねます。 「馬鹿にしないでよ。花言葉くらい知ってるわよ。赤いチューリップは真実の愛、True Loveじゃないの」 「違う。これの花言葉は、“恐怖”、“絶望”、“苦痛“、“恨み”、そして”死“さ」 ゆっくりと彼女の目を覗き込むようにして、楽しむように男は答えました。 「ちょっと、何言ってんの?気色悪い」 「花言葉は英語で言うと“language of flowers”。“words of flowers”ではないらしいんだな。単なる単語というよりは、もっと体系的な“言語“、つまり意味や規則を伴った知的なコミュニケーションの手段、という意味合いが強いと思わないか?」  淡々とした口調のまま、男が語り始めます。 「植物も立派な知的生命体なんだ。周囲を認識し、理解し、記憶し、合理的に行動する。進化した精神を持つ彼らが言語というコミュニケーション手段を持つのは、寧ろ当たり前のことさ。ただ、その手段に我々のアンテナの周波数が合っていないだけなんだ。だから普通の人には彼らの声は聞こえない。だが、僕の様に長年愛情を持って植物に接している者は、彼らの声が明瞭に聞こえてくるようになるんだ。そして僕の方から彼らに話しかけることも出来る。完全なコミュニケーションが成立するんだ。 「君がこの花の頭を切り落とした時、“彼女”が発した叫び声は聞こえなかった?まあ、君みたいな無神経女には無理だろうな。鋏を持って近づいてくる、残忍極まりない薄ら笑いを浮かべた君の顔に彼女が感じた恐怖、絶望。そして首を切り落とされた時に全身に走った激痛、君への深い呪い、恨み。そして自分が死んでいくことの無念、そして諦観……彼女のそんな“言葉”が君に届くわけも無いだろうな……」  意味不明なことを語りながらゆっくりと自分の方に近づいてくる男の表情に、彼女の怒りは恐怖へと変わりました。 「ちょっと……やめてよ……」 「君には、彼女と同じ目にあってもらうことにする。それが相応しい」  そう言うと、いきなり男は彼女に飛び掛かってその首を絞めて殺害しました。そして、死体を浴室に運ぶと、徐に準備していた包丁と金鋸を取り出し、その場で首を切断したというわけです……  ところで、この話の中に、少々腑に落ちなかったところがあるんですよ。お気づきですか?  仮に彼が花の言葉を聞くことが出来たとしてもですよ。彼はいつ、どうやって、それを聞いたのか?特に殺される瞬間の花の恐怖や絶望の念とか、彼はどのようにしてそれを聞いたのでしょうね。だって、彼がその花を見つけたのはゴミ袋の中です。花は首を切り落とされて、とっくに死んでいたわけでしょう?いわば“死体”になっていたんですよ。  という事は、彼は既に死んだ者が語る言葉を聞いたということになりますよね……  人間に当てはめて考えてみたら、それが出来る状況はひとつしかないと思います。  そう、“霊”が語る場合ですよ。  つまり、彼は花の霊の言葉を聞いたわけです。でも、考えてみれば、それは不思議でもなんでもないのかもしれません。人間だって無念の思いを残して死んでいった人は幽霊になって、辺りを浮遊したり、地縛霊になったりするわけでしょう?植物だって同じように、突然に命を奪われたら、無念の思いや恨みつらみが残って、浮遊霊や地縛霊になることに何の不思議も無いと思うんです。  そう考えると、この世には植物の霊が至る所に漂っているのかもしれない……だって、毎日毎日それこそ首をちょん切られたり、根元からばっさり刈りとられたり、真っ二つに割られたりして、無数の花や樹木が”命を落としている“わけです。  行き場を失って処分された花や野菜なんかも、まさにそうですよね。手塩にかけて育てられて実り、咲き誇っていた植物達。その何百何千という命が、突然引き抜かれ、切られ、ゴミとして放り出されていった。勿論その死は納得できる筈もない。恐怖、恨み、絶望、苦痛……何百何千という怨念がそこに生まれ、この世に放たれていく。これって恐ろしいことだと思いませんか? 今も至る所に、例えばこの場所にも、ありとあらゆる生き物の霊がうようよしているんです。動物や植物、そして勿論人間のものもね……  そしてもうひとつ、今の話に妙な所があるのにお気づきでしょうか?  そう、犯人の男が被害女性を殺害した時の話です。彼と彼女のやり取り、まさに被害者の女性を殺した場面で彼がつらつらと語った言葉とか、当事者しか知らない諸々の事情について、です。今現在、犯人は逃走中で、まだ捕まっていません。  何故、私がこれらの話を知ってるんでしょうね…… [了]
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