不老不死者たちの幸多からん日々へ※【完】

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 真っ暗で締め切ったコンクリート張りの地下室。  そこのベッドの下で床にひたすら〝の〟の字を書くのが彼のマイブームだった。  鋭いが空っぽの瞳に、成人男性らしい高い身長。骨と皮のみに限りなく近い体躯。ほとんど切ったことのない暗赤色のボサボサ髪は床まで伸びている。  彼に名前はない。  他者からの呼称はたいてい悪魔だったので、彼自身は己の名を悪魔だと認識しているが。  彼がこの部屋に収容されてから、数え切れない年月が流れた。  なぜだか知らないが、人の血肉を対価にすると、彼は望むものをどこからともなく生成することができたのだ。  その類まれなる能力に目をつけられ、遥か昔からいつもどこかの似たような部屋で一人監禁されている。  彼には知識がなかった。  だから今なぜここにいるのか、なぜ出てはいけないのか、全てそう言われたからとしかわからない。  昔、彼の世話をしてくれた女性が少し言葉や文字を教えてくれたので最低限の会話や文字は理解できるが、常識や世界のしくみは不明だ。  それに、その女性ももう、キラキラと輝く澄んだ石になってしまった。  彼がそうしたのだ。  言うならば、ものを覚え始めた幼児。良くてようやく少し世界を知った子ども程度の知識しかないのである。  今日も今日とて、彼は新しく編み出した一人遊びを実行していた。  遊び相手もいない。  一人ということは日常だ。  服を与えられていないため裸の彼の素肌にダイレクトに触れる床は、いつも冷たかった。  それにももう、慣れたものだ。 「…………」  端から見るとこの遊びは暗く不気味なものだが、彼はものすごく楽しんでいる。しまいには両手で書き出す始末。  楽しいのハードルは、この監禁部屋を住まいとする彼にとって一跨ぎできる程度のものだ。──そんな時。 「……?」  もう数十年開かなかった部屋の鉄扉が、不意にガチャン、と音をたてて開いた。  それと同時に、ビチャ、となにかが液体を滴らせる音と共に、音の塊が部屋の床へ倒れ込むのがわかる。  ツ……と彼が潜るベッドの下に流れこんできたもの。  それは血だ。知っている。  赤い、自分のエサ。  途端にそれをなりふり構わず啜ろうという飢餓感が襲ったが、赴くままにむさぼってはいけないと文字通り骨身に染みるほど教え込まされていた。  堪えねば。堪えねば。  これを口にする前に、主の望むものを聞かなければいけない。  食欲が旺盛になる限度なんてとうに超えている彼は、血肉の塊から目を逸らす。冷たくて、ベタつくエサ。  彼はベッドの下からのろのろと這い出た。  ずいぶん久しぶりの来訪だが、エサを持ち込んだのならまたなにかを求められるのかと思ったのだ。  死なない、朽ちない。  だが腹は減る。感情もある。  望むものを出せば、望むことをすれば、エサを貰える。  途方のない空腹は彼の天敵だ。
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