不老不死者たちの幸多からん日々へ※【完】

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 黒に指摘されて名前というものを思い出す。確か、前の飼い主はゴードンと呼ばれていた。 〝飼い主〟の〝ゴードン〟。  彼にはゴードンにあたるものがない。 「おれ、……あくま……」  それでも黒の要求に答えるため、彼は再び訴えた。 〝自分の考えに同意してくれた黒に自分を知ってほしい〟  ただの幼い期待だ。  しゃがれた声が喉に馴染み多少滑らかになると、同じ音でみたび訴える。 「……あくま……」 「ふぅん……?」  彼の訴えを受ける黒は、顎に手を当てふむと視線を滑らせる。  背丈は十二分。それに見合う骨が見て取れるほど即身仏のように枯れた、透き通るように白い肌と血のように赤い髪を持つ不気味な人間。おそらく成人。  そんな男が舌っ足らずに自分の問いに答え、幼い仕草で訴えている。  どうにも無視できない。  ただ攫って引き渡すだけなんてつまらない程度には興味を引く。 「お前、俺に媚び……気に入られてうまくやろうって感じ?」 「こ……? きにる……」 「ぷっ、こりゃねぇな。ならなんで俺に名前教えてぇのかねぇ〜。人肉大好き悪魔ちゃんって聞いてっけど、お前はどうしてぇの?」 「ど、う。……きにて、ほし」 「? 誰に?」 「おまえ……」 「ワーオ」  表情も声のトーンも変わらない。  なのにこんなにも情緒豊かに感じるのは、見た目にそぐわず、彼が生まれたての言葉で話すからなのだろう。  だいぶ愉快な気分になった。  肉をつけて髪を整えて上等な服を着せればきっと女性受けのするいい男になるだろうに、中身がこれじゃあまりにも楽しすぎる。最高だ。もっと見たい。  好奇心と、少し胸キュンしたかもしれない。 「……じゃ、もうなんでも屋、やめっかな」  彼がそんな黒の思考を知らずにただ立ち尽くしていると、黒はあっけらかんとそう呟き、ニマリと笑った。  足元の屍を蹴り避ける。  立ち尽くす彼の細い手を掴み、ゆっくりと、されどしっかりした足取りで冷たい地下室を大股に出て行く。  階段をあがって重厚なドアを押し開き踏み出すと、彼の素足は簡単に柔らかなカーペットを踏んだ。  くすぐったい。  足の裏がそわそわとする。  彼は久しぶりに部屋の外へ出た。  狭い地下室で暮らしていたせいで、上の屋敷がこんなに広く絢爛な作りをしているとは思わなかった。  廊下には誰とも知れない複数の屍が転がり血にまみれて散乱していたが、その光景すら彼を興奮させる一因である。  黒は途中どこかの部屋に入りクローゼットを開くと、白いシャツと黒いスラックスを一枚ずつ取り出し、彼に渡した。  彼自身気にもとめていない。  いや、忘れていただけかも知れないが、一糸まとわぬ姿だ。外に出るならば少々目立つ。 「着れ着れ。パンツねぇから気持ち悪いかもしんねぇけど我慢しろな」 「? ……わかんね……これ、着れない」 「ん? おーそうか。着せてやる」  黒は「ほら、足上げろ」と言ってぐしゃりと彼の頭をなで、手際良く彼に衣服を着せていった。  怒ることも尋ねることもしない。黒はいつもウキウキと笑っている。  こんなものを着るのは初めてだ。  これはいつも飼い主たちが着ているもので、自分の着るものではないはずだった。黒には関係ないのだろうか。 「よーしよし。似合ってんじゃねーの? お前は背が高ぇし頭ちっさくて手足も長ぇからシンプルな服で十分キマる。顔のパーツバランスもなかなかイイぜ」 「…………」 「んま、肉がねぇのと髪は邪魔。骨が太めでもヤベェくらい細いかんな。あと十キロは太れよ」  されるがままに服を着せられた彼の姿を眺め、黒は満足げに頷く。  それから機嫌よく彼の両肩を掴み、空っぽの瞳をまっすぐに見つめた。
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