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「なぁ、本当はお前を依頼人に渡さねーとダメなんだけど、俺はお前を気に入っちまった。だから拐う」
「いらいにん……きにった……」
「そう。だからこのまま遠い国に行くか」
「そう……とおいくに……ん、ん? ……ん」
「難しいか?」
「とおいくに、わかん、ね……お、れと、おま、……おなじか……?」
「あぁ、同じ。一緒だ」
「いっしょ……行く。とおいくに、行く」
「よし」
子どもと話すような穏やかな語気で語った黒は、一緒に行くと頷いた彼の頭をよしよしとなでた。
自分の頭が慈しまれる体温を感じ、彼はトクトクと胸が温かく脈打っていることを理解する。不思議な感覚だ。
彼の頭を初めてなでてくれた人。
彼はそんな会って間もない、決して善人ではないであろう黒に、言い知れぬ安心感を抱いた。
──館を出たあと。
「まずはうちへ帰るか」と言う黒に手を引かれ、黒の運転する車の助手席に誘われるがまま乗り込む。
アジトへ帰る帰路の間も、黒は彼を横からあれこれ構い倒した。
「お前も俺も、これから一緒に途方もない時を過ごすんだ。多少の常識がねぇと。あんま物騒じゃねぇ国を選ぶぜ」
「……おま、えも、いっしょ?」
「ん? ククク……一緒、一緒。俺は、ネグロ・シレンシオ。これが今の名前だ。俺の名前。ネグロって呼べよ」
「ねぐ、ん? し、しれ、お……ん?」
車を走らせながらにやにやとやに下がり愉快気に声を弾ませる黒──ネグロに、彼は共にあるかどうかを確認して頷いた。
どこに行くのか、なにをするのか。
本当はきちんと理解できていないが、一緒であれば構わないと思っている。
ネグロは助手席で名前が言えずにしどろもどろとしている彼を横目に、クツクツと喉奥で笑った。
自分がうまく要求を叶えられずとも、ネグロは激昂しない。
それもまた不思議で、そばにいると居心地がいいと感じた。
「いざって時のため、練習しろ。ネグロだ、ネ、グ、ロ」
「ね、ぐ、ろ」
「そう。うまいぜ。イイコだ」
「……いいこ」
「おっと、お前の名前も決めねぇとな……名前があったほうがイイんだぜ? いくつもあるほうがイイ。ずっと同じものが存在すると、どうにも人は気になるようでな。ほれ、アクマは卒業しちまえ」
「な、まえ」
ネグロの名前を言えるようになると、今度は彼に名を与えるのだと言ってネグロは考える素振りを見せた。
人の輪を外れた二人は永遠に存在する可能性があり、怪しまれないために名前は幾度も変えなければならない。
しばし思案するネグロ。彼は名前なんてなんだっていいのだが。
どんな名前でも別にいい。
アクマやバケモノやキタナイキモチワルイチカヨルナでもなんでも、ネグロが優しく呼んでくれるなら本当になんだっていいのだ。
呼ぶ人が重要なのだということを初めて知った。
「んー……よし、カルメシーだ。カルメシー・ルーヴィヒカイト。いろんな理由で家名も一応。どうよカルメシー」
「る? ネグロと、ちがう?」
「バカだなぁ、俺らじゃ兄弟には見えねぇよ。髪の色も顔立ちもなにもかも違うからな。親子も違ぇし」
「かる、いっしょ……ちげ、のか……」
彼──カルメシーは、ネグロの言葉に一抹の寂しさを感じた。
同じじゃない、同じになれない。
今までの飼い主たちもカルメシーとは違った。それでは、いつか捨てられてしまうのでは?
骨ばった長い指で膝にのの字を書くカルメシーを見て、信号待ちに引っかかったネグロはからりと笑う。
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