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「カルメシーはどっかの言葉で〝真紅〟って意味だ。お前の髪の色だろ? ただの赤じゃなくて真紅ってのは、特別な感じがしてグレートだ」
「おれの、け……?」
「あぁ」
「まぁ家名はテキトー」と笑いながら、ネグロは肘掛けに肘を置く。
彼は人間が初めて貰う記念すべき名を、さほど悩まず思いつきと語感で決めるような男なのだ。
「愛称はカル? カルミー? いや、カルメシーのまま。コレでイイ。お前の名前はカルメシー・ルーヴィヒカイト」
「か、……しー。おれの、けの、名前」
「ぶっ、違う違う。お前の毛の名前じゃなくて、お前の名前。あとカシーじゃなくて、カルメシー」
再度動き始めた車の中で、カルメシーは初めて得た自分の名前をうまく言えず、口の中で何度も転がした。
「おれの、名前。か、る、め、し」
「そうだ。カルメシー」
「かぅ、めー……」
「ん? 長音付きはゆっくり言いにくいのか? つか発音古臭いしリスニング苦手っぽいけど、あー、監禁生活長ぇんだっけか。ジジイと幼児のハイブリッドね、はいはい。ククッ」
「か、ぅみ、すぃ」
「カ、ル、メ、シー、だぞ」
「か、る、め、し、だぞ」
「アハハ! だぞは要らねー。かわいいな、お前」
ネグロの名に続いて自分の名を呼ぶ練習を始めるカルメシーを、ネグロはかわいいかわいいと褒めちぎり、片手で頭を撫でくりまわす。
なでられるのは嬉しい。
カルメシーの胸は、やはりくすぐったげに熱を持つ。
夜闇の中を走り抜ける車のスピードが、カルメシーの感情の変化を表しているようだ。
「かるめし、カルメシー」
「オーケィ。今日からお前はカルメシー・ルーヴィヒカイトだ。我ながら直訳すぎんな、ネーミングセンス」
「カルメシー……おれ、俺の、名前……ネグロ、ありがとう」
ようやく自分の名前を言えるようになったカルメシーは、その日何度も何度も自分の名前と、ネグロの名前を小さく繰り返した。
初めてだらけの一日。
カルメシーに初めてを教えてくれる、素敵な黒い人。
実際のネグロは気まぐれが酷く、なにかと容赦のない悪人の殺し屋なのだが……カルメシーの脳にはネグロは凄い人、とインプットされたのだった。
◇ ◇ ◇
アジトに帰ってからのカルメシーは、なかなかに酷い有り様だった。
ものを知らないカルメシーに様々な人の営みを一から教えることにしたネグロだが、その骨は粉砕骨折である。
まず風呂だ、と風呂に連れていけば湯に怯えてネグロから離れようとしないし、湯が触れると体を硬直させて呼吸すら止める始末。
気を取り直して体を洗おうと骨の浮いた身体に柔らかなスポンジで触れたのだが、くすぐったがって身をよじり、その勢いで転んでもんどり打つ。
そんなことをすると当然身体中にまぶされたボディソープが目に染みて、涙を流して目を擦る。
痛いわ熱いわくすぐったいわで、どう転んでも悲惨なバスタイム。
恐怖を覚えたカルメシーは、ついに浴室の隅で丸くなってしまった。
ネグロが優しく声をかけてなだめすかしなんとか抱き寄せたのだが、無言でネグロにしがみつき震えるばかりで、立ち上がろうともしない。
仕方がないので、ネグロはしゃがみ込むカルメシーをそのまま素手で洗ってやった。
手のひらと指でヌルヌルペタペタ。
スポンジが凶器に見えているのだからやむを得まい。
太くしっかりした骨と高身長に対してあまりにも薄い肉とそれに張りつく皮膚じゃあ、神経を防御しきれず、過敏に刺激を受け取るのだろう。
そう結論したネグロの愛護精神の賜物だが、ニチャニチャと洗われるカルメシーの心境は実に複雑である。
ネグロの手が自分の股座を擦ると、なにかに噛みつきたい衝動に駆られる。背筋が粟立ち、逃げ出したくなる。
けれど逃げ出すとまた転んでしまう。ネグロのそばが一番安全だ。
わかっているが、ネグロが触れると暴れたいような飢えたような不思議な感情が湧き、モソモソと落ち着かないカルメシーなのであった。
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