恋しい人と手を繋ぐ、たった一つの確実な方法【完】

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 【手順3 不条理に終わりましょう】  告白されて冷たく拒絶。  触れて縋って全力罵倒。  俺と弟の歪な関係はもう二年続いた。  俺は就職して弟は俺のいた大学に入った。一番下の妹は高校生になった。俺と弟とは違い器量よしの美人な妹だ。  俺と弟は、あまり会わなくなった。  仕事が忙しいから、家にあまりいない。帰るのが面倒で。別に帰らなくても困んねぇし。こっちの都合がつけばとっとと一人暮らししたい程度に。  それでも弟は、なにかしら理由を見つけてきては俺と一緒にいたがった。  免許なんか取りやがったから、雨の日の傘や忘れ物はあいつが届けにくるし、迎えに来てほしいと母親に連絡を入れればなぜか弟が迎えに来る。  弟はなにも変わらない。  俺を見る目は相変わらず熱を帯びていて、俺が言った言葉にも懲りずに二年間、傷つけられている。  ホント、寒気がするね。  本気すぎて気持ち悪い。  だってそうだろ? 家にストーカーがいるみたいなもんだ。  あからさまに避けても触れた肩を気持ち悪そうに払ってもやめやしない。 「好きだ」 「本気だ」 「兄貴が好き」 「兄貴以外いらない」 「他は愛せなかった」 「俺もうきっとダメなんだよ」 「好きじゃなくなれなくて」 「嫌われても」 「恨まれても」 「殺されても」 「どんなに邪険にされても」 「兄貴に手を、伸ばしてしまう。……恋しくて死にそうだ」  はは、やめてくれよ、もう。  ゲロ吐きそうだ。  俺は仕事に行くために家を出る。  送迎を買って出た弟が俺を駅まで送った。  もちろん心を込めて誠心誠意お断りしたが、今日は意地でも引かなかったから仕方なく、だ。  俺が車から降りようとすると、弟は珍しく後ろから俺を包み込むように、閉じ込めるように抱きしめる。  キモイキモイキモイキモイ。  脳内をその言葉だけが占める。  臓腑が引き絞られて口から吐き出しそうな気分だ。気持ち悪い。  全身が粟立つ感覚から生理的反射で振り払おうとしたけれど、思ったよりも強い力で抱きしめられて、体勢的にも振り払うことは難しかった。  俺は罵詈雑言を吐き出そうとした。  だが弟は迷子のまま、どこへ行けばいいかわからない幼子のような声を、微かに吐き出す。 「兄貴、行かないで……あとで、あとでたくさん罵倒していいから……ボコボコにしてもいいんだ……だから、ごめんなさい、今だけ……ごめんなさい……ごめんなさい……っ」  子どもの、弟。弟の涙。  ──もう、ずっと前のことだ。  くだらないことだったか、理由は忘れたが……子どもの頃、俺は弟に本気でキレたことが一度だけあった。  俺はその頃から口が悪く、言われて傷つくであろう言葉を理解した上で、喧嘩の時は暴力と共にそれを吐き出すような毒々しいクソガキだった。  周りに好かれていなかったが、傷つけられるのを怖がって、面倒で、逆らう人なんかいなかった。  そんな俺のマジギレだ。  本当に俺よりも小さな子どもだった弟は当然泣きだし、それでも何度も平手で殴り毒を吐く俺を見上げ、怯えた目で涙を流した。  親が来て止められて、俺は説教。  だが俺は執念深くずっとずっと弟を無視し続けた。  今と同じく、泣きそうなくせにさびしいくせに何度も話しかける弟を、俺は徹底的に無視した。  ねちっこいんだ、昔から。  ここにはいない存在として扱い、親から弟の話が出ても「誰の話してんだよ」と知らないフリをする。  そんなある日。  弟は、遊びに行こうとする俺の前に立ちふさがった。  無視して行こうとすると腹にしがみついて離れない。  泣きながら必死に俺の腹にしがみつく弟は、何度も言うのだ。  ごめんなさい、ごめんなさい。  ごめんなさい、ごめんなさい。  おにいちゃんのこと大好きだから、いちばん大好きだから、ぼくといっしょにいて、はなれていかないで。  ごめんなさい、ごめんなさい。  ごめんなさい、おにいちゃん。  ──ああ、そうだ。  あの時の俺はコイツに、大嫌いだと言われて、キレたんだ。  大好きだとわめく弟の手を引き、何事もなかったかのように手を繋いだまま遊びに出かけたあの幼い時間の出来事。  そんなことを、今思い出した。  大人になっても同じく後ろから俺にしがみついて震える弟が、あの頃となんら変わらないように見えたからだ。  ごめんなさい、ごめんなさい、と。  俺に離れてほしくないんだろう。  とんだ甘ちゃんだ。大馬鹿野郎。 「おい、離せ。電車に間にあわねぇだろ。つかこれ以上俺に触ったら、お前、帰ってからサンドバックにすっから」  車の外を歩いていく人が見える。  太陽が世界を照らしている。  幼い記憶を思い出そうがなんら変わりないのが俺で、どうしてコイツがこんな状態になってるのかも関係ない。仕事のほうが大事だ。鬱陶しい。  なんでもないように冷たく言い捨てると、弟は未だにがたがたと震える腕を恐る恐ると俺の体から離す。 「……あにき……、……兄貴が今、一番恋しい、人は誰か……教えて、ほしいんだ……」  はぁ? なに言ってんだコイツ。  俺の好きな人間なんてどうでもいいことなぜ聞かれなきゃならないのか。  そもそもコイツには生涯関係ない。突然だし意味がわからない。  自分だって言えってか?  ハッ。好きだな目ぇ開けて夢見んの。お前以外だとしても文句言われる筋合いねーし、心底時間の無駄遣いだね。 「俺に決まってんだろ、うぜぇな……」  そう吐き捨てて俺は車を降りたのに、弟は安心しきった顔で脱力していた。  女々しいやつだわ、キメェ。  俺に自分以外の恋人なんか、一生できねぇんだよ。いらねぇんだ。  これだからクソな弟は思い違いが激しくて反吐が出る。  俺は駅のホームに向かいながら、フン、と鼻を鳴らして歩いた。  この日、俺は死んだのだ。
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