恋しい人と手を繋ぐ、たった一つの確実な方法【完】

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 【手順7 美しく終わりましょう】  弟は死ねなかった。  たまたまいた近所の住民に救出されて、病院のベッドに植わっていた。  打ったのは背中や四肢で、頭に致命傷はなく、住民の救出も迅速だったことから体のほうは問題なかったらしい。  なんて運のいいやつだろう。  俺とは大違いだ。  だけど弟は心が死んでいる。  やせ細って気力もなく、弱り切った体に真冬の寒中水泳はこたえるものだった。体の傷は浅くとも、肺炎を起こして即入院だ。  生きようと思っていない。  さて死のうと飛び込んだのだから、疾く死にたいとしか思っていない。病状は悪化する一方だった。  両親は病室で眠る弟を見ながら言った。 「この子の心をあの子が持って行ってしまった」  そうに違いない。  この子はあの子に懐いていたから、よっぽどショックだったんだろう。  最後にあの子の姿を見たのもあるし、なにもかも突然だったから。  お兄ちゃん子だったものね。  ため息をつく両親の言葉を、妹だけが真実を持って受け取った。  そうね、(あに)ぃがお兄ちゃんの心を持って行ったのよね。たくさんたくさん。お兄ちゃんあげてたものね。  だけど知ってるのよ。  兄ぃがお兄ちゃんにもらった心を、誰にも(・・・)開けられない箱に入れて隠していたのを。  本当に、墓場まで持って行ったもの。  ああ。ほんとうにお前は聡いな。  そういう賢い部分がコイツにもあればよかったんだけど。  ちゃんと俺のことも見ていてくれた。かわいい妹。口先と暴力ばかりのか弱い兄ぃを許しておくれ。  熱が下がらない。回復の兆しが見えません。お子さんは生きる気が更々ないのです。もしもの時は、覚悟下さい。  一般家庭に生まれておいて栄養失調なんてなかなかないぞ? このご時世。  それで肺炎をこじらせて高熱で死亡なんてのも、滅多にないと思う。  前言撤回。  俺の弟は運が悪い。  夜中になり、弟が瞼を開いた。  雨に打たれ風邪をひいた時のように、うっすらと苦しそうに開けた。かすれた吐息を吸い取るマスクを外す。  頭が痛いのだろう。眉根を寄せて呻く。  体中痛いだろう。なんせ橋から川へ飛び込んだのだから。  弟の視界にサイドテーブルの薬と水が入る。俺は弟の眼の動きを、そばで立って見ていた。  弟は泣いた。  頬のこけた顔をくしゃくしゃにして、嗚咽をこらえ泣いた。消え入りそうで、人間は聞こえないんじゃないか。  そんな声で、兄貴がいない、ってさ。  お前はどんだけ俺厨なんだっつーの。  俺は目の前にいるけど。  今の俺はお前のカサカサの口に薬を押し込むことも、溢れるほど水を飲ませることもできないんだよ。  俺は見てるだけ。  お前が死ぬまで、俺の罪を見てるだけ。  泣きすぎた弟は肺を痛めていたわけなので呼吸器に異常をきたし、体力も気力も耐えられず、血反吐を吐いて夜中に死んだ。  暗い病室で、孤独に死んだ。  本当は孤独じゃない。  俺は看取った。  俺の死に際は身体を車内のいたるところに打ちつけ、頭も割れたぐちゃぐちゃ状態で見れたもんじゃなかったが。  死に際の弟は、赤い血に白すぎる肌が彩られ、俺のために流した涙を眼にためて──それはそれは、奇麗に死んだ。
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