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「…………」
どう見ても死屍累々の状況にごくりと唾を飲んでから、俺はそ〜っと、今度は視線を音の出どころへ向けた。
……実は、ずっといたんだ。
たぶんこの惨状の犯人さんが。現実逃避をしたところでいるものはいるのだ。
俺の視界には、しっかり拳を赤く染めた大きな男が映った。
なにか考えているのかなにも考えていないのか、感情の読み取れないエメラルドグリーンの瞳。切れ長でどこか眠たげだ。
日にあたっても透けることのない真っ黒な髪は、ぼさぼさとあちらこちらにはねていて目元に濃い影を作る。
長身の部類である俺より大きい上背。
鍛えているのか、見た目より服の中身は筋肉質だろう。厚みがある。
男はその体に、ところどころ赤いシミのついたシャツをボタンも掛け違えた状態でまとっていた。
ネクタイは長さがバラバラで締まりがない。かた結びにしているのか? それじゃ解きにくいと思うんだが……。
一目見ただけで、普通じゃない雰囲気を漂わせていることはよくわかる。
けれどその男は……どこか目を惹く、綺麗な顔をしていた。
目が離せない。
不思議な男が血の付いた拳をひっさげて俺のもとへ近づいてきているのに、俺は呼吸も忘れてついぞその男に魅入る。
「……はっ」
ぼうっと立ち尽くしている間に、男が目の前に立っていたことに気がついた。
彼はちらりと視線を俺の隣に飛ばされた屍にやるが、気絶しているのがわかったのかがっかりしたように肩を落とす。
それから俺を見て、そっと握った拳を振りかぶった。
……いや、振りかぶったらダメだろ。
「っちょ、ちょっとまて! 暴力はよくない! すごくよくなあああい!?」
ギャーッ! と叫びだしたい気持ちを抑えて、我に返った俺は慌ててどうどうと馬をなだめすかすように男の前に両手を突き出した。
俺は非暴力主義だ!
暴力大嫌い、ダメ絶対。むやみな暴力はいけません会の会長だぞ! ちなみに会員は一名だ。
どこからかヘタレと罵る声が聞こえる気がするが気にしない。
ヘタレでなにが悪い。こんなクレイジーな男に殴られて歯でも飛んだら取り返しがつかないじゃないか。差し歯は高いんだぞ。
必死になって手をブンブンと振る俺に、男はデカい図体に似合わずコテンと首を傾げて俺を見つめる。
「カラフル仲間は、殴る」
「いやいやよく見てくれっ。俺の頭はカラフルじゃないぞ!?」
「……あぁ、黒だ。でもせっかく拳を上げたわけだから、殴るぜ」
「こらこらやめなさい! 痛いじゃないか! 俺もあんたもっ」
せっかくだから殴るってなんだ。なんでそうなる。絶対に俺とは相いれない思考回路の人種じゃないか。怖い!
しかし俺もあんたも、と自分と男を交互に指さした俺を見て、男は今にも振り下ろそうとしていた拳を上げたままピタリと動きを止めた。
「俺は痛くない?」
「ん!?」
質問とともにぐりん、と首を傾げる。
なんだその傾げ方。ホラーか。
「俺は痛くないから、殴ってもいい?」
「よくなーい! ちゃ、ちゃんと見ろっ。あんたの拳、皮が剥けて血が出てるじゃないかっ! どれだけ殴ればそうなるんだ? まったく、人の骨の硬さを甘く見てはいけないぞ。凄く硬いんだ。痛い!」
「……いや、痛くねぇ」
「えっ? い、痛いだろう? 体も、心も」
「ん?」
「体も心も。痛いってことは、自分が傷ついてるって体が教えてくれているんだ。心も同じで、体が痛いと心も痛い」
「ん。……? や?」
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