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それからしばらく後。
巌城は服を着ろと言うと、くったくたになった黒のルームウェアを着て戻った。
相当着たおしたようで、襟首が伸びていたし裾に解れがある上に穴も空いている。
買い替え時はとっくに過ぎているだろう。お気に入りでもないと言う。
ならこればかり着させるわけにもいかないので他に服がないのかとクローゼットを漁ると、誰かが用意したらしい新品のルームウェアが見つかった。
あるんじゃないか!
そう言ったが、巌城はこれ以外にはないと薄ら笑いで首を傾げる。
どうやら巌城にとってはたとえ同じ品でも、新品のルームウェアはいつものルームウェアと捉えられなかったらしい。
なんて融通の利かない男なのだろう。
洗いすぎてくたびれた生地の傷んだルームウェアは着心地が悪いはずなのに、なにがどうして意味のわからないこだわりがあるんだ? どう見ても同じじゃないか。
俺が「同じだからこっちを着よう」と言っても「それは俺の使っていいのじゃない」と聞く耳を持たない。
なにを言おうが「俺のじゃない。着ない」の一点張り。
じゃあなぜ使っちゃいけないものがあるのかと尋ねると、知らない間に勝手に現れたらしい。そんなわけあるかい!
このままじゃ埒が明かない。
しょうがないので、俺はルームウェアのタグに〝クライワキ〟と油性マジックでグリグリ名前を書いてやった。
それをズズイと差し出す。
仏頂面はデフォルトだ。取るまで離してやらないぞっ。
「ほら、名前が書いてある。自分のものには名前が書いてあるものだろ? この名前は巌城の名前だ。これは巌城のルームウェア」
「…………俺のか?」
「そうだ。巌城の名前じゃないか。間違いない。読んでみろ」
「ク、ラ、イ、ワ、キ」
「な? もう絶対に巌城のだ。巌城のだからさっさとこれを着なさい」
「あぁ、そうだ。俺の名前はクライワキ。名前を書いたものは初めてだ。俺のものも、な。……ハハッ」
差し出された巌城はしばらくぼんやりルームウェアを見ていたが、突然笑ったかと思えば素直に受け取り、新しいルームウェアに着替えた。
うぅん、わからん。
なんでその気になったのかわからん。とにかく着替えてくれたので一安心だ。
肌色成分は収まったので、現在。
俺はバスタオルを持ってきてもらって、わしゃわしゃと巌城の髪を拭いていた。
「まったく……まさか今までノートにも教科書にも名前を書かないで、どうやってノートが返ってきたんだ?」
「ノートは出すものじゃない。格子、熱くてうるさいアレを使っていいぜ。俺は嫌いだけど格子はいい」
「話が噛み合わない……ドライヤーかな。ドライヤーするから、今度からちゃんと服を着てからインターホンには出るんだぞ」
「ワォン」
ソファーに座って大人しくしている巌城に言い聞かせてから、ご所望のドライヤーを洗面台から持ってくる。
ブオオオン、と轟音を鳴らして髪を乾かしてやると、巌城は機嫌よく笑っていた。
ちなみになぜか大爆笑だ。
嫌いだと言っていたくせに、むしろゴキゲンじゃないか?
本当は好きなのかとも思ったが、笑いながらつらつら喋り続けている内容は〝不燃ゴミの処理方法について〟である。
ガチギレか? ガチギレなのか?
「ははははははは」
「よ、よ〜し、終わりだぞ〜」
「はは、は? あぁ。熱いのはノらねぇな。冬は嫌いだ」
「ん? 暑いのは夏じゃないか?」
「いや? 熱いのは冬だ。夏は寒い。電話も鳴るしまぁいいぜ」
「なるほどわからん」
カチ、とスイッチを切ってドライヤーをローテーブルに置く。
わかっていたけれど、変な男だ。
なる早で髪を乾かしたあとにそっとなでて髪型を整えてやると、巌城はされるがままでじっと俺を見上げた。
好奇心で前髪をかき上げてみる。
うん、イケメンだ。キレイな目。
「? 今日は痛くない。俺は」
「はは、俺も痛くないよ」
マヌケたことを言う巌城に、俺はつい吹き出した。
柔らかい髪の心地を指に感じながら正面から見つめる巌城を、自分が初めほど怖がっていないことに気がつく。
あれから付きまとわれて。
一緒にテスト勉強をして。
こうして部屋にも入ってしまったけれど、その間、一回も暴力は振るわれていない。
そりゃあ多少力が強くて痛かったことはあったけど、思ってたより加減されてたような気がする。やっぱり意外と大丈夫だ。
だから、ふと警戒心が緩んできたのかもしれないな。──って!
「テスト勉強!」
「もう数学とは友達だ」
「ち、違う……っ」
当初の目的を思い出した俺は、壁にかかった備え付けの時計を見てガビョーン! と狼狽した。
うちの寮の就寝時間は夜の十二時だが、寮の外へ出るのが許されるのは十時までである。
けれど巌城の部屋に来てから一悶着し、ルームウェア戦争をして髪を乾かしていたので、今は十時を過ぎていた。も、戻れない!
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