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表情はいつの間にか、いつも通りの薄ら笑いに戻っていた。
でもいつもならこうある時は機嫌がいいのに、今は機嫌がいいようには思わない。
ただ何度も俺の名前を呼んでから、巌城は不意に顔を近づけ──俺の唇に、自分のそれを押しつけた。
「え……」
ムニ、と柔らかな唇が押し当てられる。
キスとは言えない。
リップ音も鳴らないようなムニムニと触れさせているだけのキスだ。
だがしかし。
全然、理解できない。
いやなんでキス。なんでここでキス。どうしてそうしようと思ったんだド変人ワンコ。そんな雰囲気微塵もなかったじゃないか。
「んむ」
「格子。やっぱり明日のランチは、寝床に行こうぜ。ほら、伝わるだろ? こうすると。そうだろ? 知ってるさ。明日な」
「む、んむむ」
「今日はもう、おやすみの時間なんだよ」
「んむぅっ」
キスもどきの連射を食らって言葉が紡げない俺を抱いたまま、巌城はドサッとソファーに横になった。
強制的に密着させられた肌から、風呂上がりのいい匂いがする。
あ、ラベンダーの匂い。
「ってそうじゃない!」
「おやすみ」
「おやすみ。……じゃない!」
巌城の逞しい腕の中に閉じ込められて身動き取れないまま、俺は涙目で叫んだ。
あれよあれよという間になにがどうしてか強制お泊まりを決行されるとは。
当然ながら、一睡もできず。
翌日は立派なくまをこさえて、フラフラと左足を引きずりつつ寮に帰った俺だった。
◇ ◇ ◇
時が経ち、怒涛のテスト週間後。
現在俺の目の前に並ぶのは、ニンマリと笑う巌城が差し出したテストの答案。
「あ、暗記系百点……英語と現代文も赤点回避……数学も百点、だと……!?」
「覚えようとすると焼きつくんだよ。全部見ておく。テストはそういうものだ」
ワナワナと震える俺は、あとに続く巌城の言葉から察して骨折り損のくたびれ儲けだ。
この巌城という男。
どうやら公式に毎度違う数字をあてはめなければならない数学や化学の計算式は、すこぶる苦手である。
しかし年表や漢字、単語や文法など、覚えればいいものは余裕で記憶するらしく、地理、歴史は余裕な上、英語や国語もコミュニケーション力と読解力が皆無な面をゴリ押しで補っているのだ。
──お、俺は焦って走ったのに無駄な心配だったんじゃないか!
「ふがぁ……っ」
ショックが大きすぎた俺は、奇声をあげて一時的にトリップした。
巌城よ、そういうことはもっと早く言ってくれ。
怪力ワンコの寝相で絞め殺されかけながら朝まで震えて過ごしたと言うのにあんまりだ。痣もできたぞ。トイレに行こうとしたらバカほど抱きしめられて、半ば気絶で寝オチしたからな!
そんな俺のやるせない抗議など知るよしもない蔵 巌城。
「格子、なでてくれよ」
俺の手を取り自分の頭に乗せて待機すると、ニマ、と相変わらず不気味に笑って小首を傾げる。
「あの夜みたいに俺を抱いて、な」
「え?」
「「「「え?」」」」
巌城がそう言った直後、ザワッ! と周囲で息を殺していたクラスメイトたちが一斉にざわめいた。
あっ待って。待ってくれ。
激しすぎる語弊に思考停止だ。だめだこれは。ダメなやつだこれは。
青い顔でギギギと野中に視線をやると、野中は親指を指の中に入れ、視線で『一皮剥けたな』と示す。
おいやめろ。
俺の息子はまだ男を知らない。そしてこの先も知る予定はない。あっても巌城はない! ないったらなーい!
なんて、俺の心の叫びは誰にも届かず、口にも出せず、だ。
結果として──俺は〝蔵巌城係は狂犬も手懐けるテクニシャン〟という噂を立てられてしまい、ますます要らない要素を付けられるのであった。
……やっぱり、転校しようかな。
了
※巌城×格子
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