虹の柱と呼ぶには。②【完】

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 男と俺が再会した日のこと。  あのあと俺は男の腕の中で力尽きてしまい、気づいた時には見覚えのある部屋のベッドで寝かされていた。  それは昔、男が俺にと与えた部屋だ。  うろ覚えだが埃一つなく、家具の配置も変わっていない。変化がなさすぎて怖いくらいだ。  テーブルの上にあったフタが外れたボールペンは、きっと俺がしまい忘れたものなのだろう。  年月の経過を感じさせない、時が止まっていたかのような部屋だった。  部屋をぼんやり眺める俺に、傍らから声がかかる。  淡々とした抑揚の薄い声。  うすらと微笑みを浮かばせた男が、俺が眠るベッドに腰かけていた。  男が言うには、俺は朝から晩まで眠っていて、今はもう夜らしい。原因は過労だそうだ。抱きしめられて気が抜けたのだろう。  彼は俺に食事を持ってくるから、と言って俺の頬をなでてから立ち上がる。 『……ずっとここにいたのか?』  冗談半分でそう言ってみた。  男には一切変化がなかったから、まさかなと思って。 『一生一緒にいるよ』  馬鹿を言うな、と笑われると思って言ったのに、あっさりとそう返される。  男はポケットに突っ込んでいた手をひらりとあげて、ごく日常的に部屋を出て行った。どこか異常に見える振る舞い。  俺は、選択を早まったのかもしれない。  その後戻ってきた男が用意した玄米とささみの粥は、うまかった。  疲れた体にじんわりとしみこむ優しい味だ。男が手ずから用意したらしい。  昔はあんなに食料のたくさんあったキッチンで男が料理をする姿は、一度も見たことがなかった。物を食べている姿も見たことがない。  本当に、不思議で不気味な安住の地だ。  食事を終えて我に返ると、俺の顔色は再び青いものに変わった。  仕事もなにもかも放り出したことを、ありありと思い出したのだ。  けれどそろそろ帰ると訴えると、男は信じられないことを言った。  まず、俺の住んでいたアパートは引き払ったそうだ。荷物はというと、この家の違う部屋にあるらしい。  それから仕事。  一言でまとめると、俺は無職になった。  ちょっと待て。アパートの諸々の手続きはどうした? 仕事の引継ぎや会社にある俺の荷物はどうなる?  そんな疑問は次々浮かんだが、一日もたたずして〝逃走〟の手段を封じられてこの男の本気を感じ取り、黙るしかない。  ちらりと視線を滑らせると、窓は当然のようにハメ殺しになっていた。 『昔は半分衝動だったから、あんな下手を踏んだけどね。今日は違う。準備は念入りに……迎えに来たんだから』  ──これは恐らく、いや絶対、警察(大手)を封じられている……!  仕事が嫌なんだろう? やめればいい。  一生一緒にいよう。今すぐに。  いやいや。それを実際実行に移せる人がどこにいるのだ。ここにいるわけだが。  無職、家なし。  逃げ道もなし。  そんなわけで俺は用意周到かつそれを実行できるこの男に外堀を埋められ、男の家に居候するしかなくなったわけだ。
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