虹の柱と呼ぶには。②【完】

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  ◇ ◇ ◇  俺はここ最近、家事をしている。  仕事がなくなり外出も禁止されているので、やることがないのだ。  家賃も渡せず仕事もしていないのにこの大きな家に住み込んでタダ飯を食うなんて、なんとなくぞわぞわして居心地が悪い。  あぁ、そうだ。  外出を禁止されていると言ったが、正確には外部との接触の一切を絶たれている。  家の外に出るのはもちろん、電話やメールも禁止。というか俺が自由に使える通信機器がなし。  この家には俺の知る限り電話がない。  おそらく意図的に隠されているのだ。  男が外に出ることもないし、大抵のものは宅配便で届けられる。  ちなみにその宅配便のお兄さんとの接触も禁止だ。会話どころか姿を見られるのもダメらしい。テレビを見るぐらいしか情報源がない。  正直、心細い。  俺が知り得る俺の状況は、全て男が言ったことを信じるしかない。  毎日許される限りの家中を掃除して、飯を作り、洗濯をするが、掃除はともあれ他は二人分。  家事だけではすぐに終わってしまい、どうしても時間ができる。   俺を家の中で放し飼いにする男はと言うと、不定期に入室厳禁な仕事部屋にこもってなにかをしているようだ。  たまに機械のフィルターがかかった怒鳴り声が聞こえるが、内容まではわからない。あとはトイレと風呂と荷物くらい。  それ以外は本当にずっとずっと、片時も離れず俺のそばにいるのだ。  ぷかぷかと紫煙をくゆらせながら、俺が家事をして動くさまやテレビの前で座り込むさまを、不気味なほどに変化のない微笑みを浮かべて眺めている。  おそらく(・・・・)、男は優しい。  俺のなにかを咎めたり、養っているからと言ってこきつかったりはしない。  文句は言わず、男の目の届く範囲では、俺がどんなふうに時間を過ごしていてもやりたいようにさせてくれた。  料理を作れば毎度過度に褒める。  洗濯をすれば知らぬ間に取り込み、掃除をすればありがとうと礼を忘れない。  ぽつりとなんの気なしになにかが欲しい、などと言おうものなら、もうダメだ。  時を待たずして微笑みとともにプレゼントだよ、と差し出された。  俺は焦ったが、見返りなんていらないと言う。受け取ることが見返りだと。  何不自由ない。  不自由なさすぎて、腑抜け化を抑えられる自信がなかった。  仕事をして養ってくれる上に、家事まで手伝ってくれる。  感謝と贈り物も欠かさない最高の男との満たされすぎた日々。  あまりに現実離れした砂糖漬けの生活に、俺はなにか裏があるんじゃないか? と戦々恐々とし、警戒した。  男にとって、俺はなんだろう。  ペットと同じ。そう思える。  俺は男に逆らわず、愛くるしくでもしていればいいのか?  それが彼のためになるなら見返りにそうするが、きっとそれもいらないのだ。  ──それなら、俺は不要じゃないか。  男がこれだけ尽くすほどの自分の存在価値を見いだせずに、穏やかに疲弊していった。  なんてったって俺は男の名前も知らない。俺はなにも、知らない。彼が俺のなにもかもを知っているのに、不公平な気がする。
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