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そして欲を言うならば。
「…………」
俺は昼の料理番組を見ていた視線を、向かい側のソファーに腰掛ける男にチラリと向けてから、自分の腕にやる。
ジャラ、と鎖が音を立てた。
「…………」
──この手の手錠を、外してほしい。
そっと呟いた胸の中のワガママを聞いていたかのように、視線の先の男はなにも言わず微笑むだけだった。
拘束されていても不自由ないはず。
けれどこれだけいろいろ与えられても、やっぱり自由に未練のある俺なのである。
俺は浅ましいのだろうか。
浅ましいのだろう。
しかし、人は怖い。自分は無価値。忘れてはいけない。釣り合うだけの雨を流さなければ虹なんてかかるわけがないだろう?
なんにせよ、このままではいけない。
流されるまま、あまちゃんはいい加減卒業しなければダメだ。
そう思った俺は、コミュニケーションを図るべく、そおっともう一度視線を男に向けてみる。
相変わらずの表情、様子。
美しすぎる微笑みに、煙草を吸うだけの変化のない仕草。
俺は……元来臆病だ。
人と会話するのは苦手だし、あらゆる不安がよぎって息が詰まる。
今は昔より世間に溶け込むのは上手くなったが、元は変わらない。
うまくしようとするなら、努力して話題を作って気を使って、精神を尖らせて会話をする。
その、再会した日とかは勢いというか、蜘蛛の糸にすがる気分だったから話す内容なんて一切考えてなかった。
冷静にあらためて話しかけるとなると、やっぱり緊張してしまう。
「……っ……」
「…………」
「んん……」
「…………」
「…………」
なのにそんな俺が相手取るのは、絶対に必要外話さない不気味で不思議な男だ。
生まれる沈黙は、打破できず。
悲しきかな、いつものこと。
毎回そんなわけでどうにも身動きが取れなくなると、俺は男を盗み見るのが精いっぱいとなる。
このチャレンジは未だ、成功率ゼロパーセントなのだ。
料理番組を見ているふりをしながら、微動だにしない男を観察する。
──凄い、美形だよな……。
綺麗な人間だと思う。
同じ男なのに見惚れてしまう。
切れ長の瞳に掘りの深い顔立ちが影を落として、冷酷に見えた。
咥え煙草は俺の知る限りいつもだ。
相当なヘビースモーカーだと勝手に予想している。お酒もよく飲む。
ゆるりとした緩慢な動きや、衰えの見えない適度な筋肉のついた体躯。
それらが大人の色気というやつを醸し出している気がして、さらに若造の俺の腰を引けさせるのだが。
そういう男が似合わない、穏やかな、ともすれば幼いような口調で、蜂蜜のように甘い言葉を吐くのだ。
似つかわしくない同じような、甘い毒のような微笑みを浮かべて。
な、不気味だろう?
ぞわぞわして落ち着かない。
こんなにじっと観察しても、わかるのは見た目がいいってことと怖いってことぐらいで、他の情報はなにも入ってこない。
この人の個性というか、なんというか……人間の心が感じられない。
知りたい、と、思う。
いやあ、漠然とだが。
この人のことを、もっと知りたい。
「……そのためには……」
──もっと頑張らなければ。
ぐっとこっそり拳を握る俺を、男が相変わらずの様子で見つめていた。
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