虹の柱と呼ぶには。②【完】

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 更に日が過ぎると、ついに彼は泣くこともなくなってしまった。  ふらふらとやってきてブランコに座り込み、ただ俯いてぼーっとしている。  笑わないし、声も出さない。  光のなくなった目は、心底〝世界が嫌いだ〟とすねていた。  まぁころころとくだらない他人の評価や視線に流される彼だから、またしばらくすれば歌いだすだろう。  そう高を括って、俺はいつものように時間が空くと彼を眺めていた。  だけど、当てが外れた。  こと彼に関しては、俺の頭は役に立たなくて。  いつまでたっても屍のようになったままの彼に、俺はガラにもなく焦燥した。  彼の表情がなくなって、声が聞こえなくなって、もう歌が聞けないのかと気がついた途端に、おろおろと困惑して咥えていた煙草を乱雑に踏み潰す。  泣きだした彼を助けなかったことを、初めて心底後悔した。  下手に駆け引きまがいのことをしたからだ。ゆさぶりなんて、撒き餌なんてして、笑わなくなっては元も子もない。  人生で焦ったことなんてほとんどない。  焦りを表に出したことなんて初めてだ。  表情を崩したら負ける世界が俺の生きる場所。──なのに。 『泣けよ。笑え。そうやってめちゃくちゃな顔で、歌えよ。なあ』  俺はすぐに使っていなかった一番奥の頑丈な部屋に、一人分の家具を揃えた。  日用品を一式詰め込み、一般的な中学生が好む服装を調べた彼のサイズで片っ端から買い込んだ。  おなかいっぱい好きなものが食べられるようにあらゆる食料をたっぷり用意し、時計やカレンダー、通信機器を全部俺の自室に投げ込んだ。  急ごしらえのセキュリティ装置は、外部からの侵入を徹底的に拒むように組む。  誰にも奪わせないために。  傷つけるものから守るために。  シャワーを浴びて、普通に見えるような安っぽい服を着た。  普通とはなんだろう。  理論的にはわかる。それでいくしかない。仕事だと思えばいい。  フードで深く顔を隠し、怖がらせたくないから冷たいと言われる目元を隠した。  優しいしゃべり方も微笑み方も、問題なく知っている。腹の探り合い。微妙な空気の変化に慣れているからだ。  ありのままの自分を見てほしい気もしたが、嫌われるかもしれない。  だからいつも通り、都合のいい姿を演じることはどうってことはなかった。嘘の俺でも彼を騙せるならかまわない。  ただ彼を前にしてうまく嘘にまみれられるかの、自信がなかった。  彼には嘘を吐きたくない。  そんな俺の本心が邪魔をする。しかしもし怖がられたら、監禁なんかよりきっともっとずっと酷いことをするだろう。  砂糖菓子のような甘さに飢えていることは、とうにわかっている。  だから演じるのだが、本当の俺はただの毒でしかないことを、生活を共にしながら隠しきれるのだろうか。  ──俺を見ろ。  この狂おしいほどの渇望を、抑えられるだろうか。  自信はなかったが、俺はフードを深く被り、彼を全てから守るために歩き出した。
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