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(side泣野)
ピンポン連打の処理をするために男が玄関へ向かってから、十分ほどが経過した。
その間俺はそわそわとなんだか落ち着きなく、手持無沙汰にスプーンでビーフシチューを弄んでいる。
訪問者が騒がしいタイプなのか、耳をすませば、防音のこの家でもほんの少し音が聞こえた。内容は聞こえなくても誰かがなにかを話しているのはわかっている。
この家で呼び鈴が鳴ったのは初めてだ。
宅配便しか訪ねてこないが、それもいつの間にか届けられていて、万が一にでも俺と接触はしない。
俺の新しい世界はこの家の中だけ。
俺の世界を共有しているのは、あの男だけ。だからかもしれない。
まだ、俺の居場所がここだということに、なじめないでいる。
男が俺から離れ一人になると、なにをしていいかわからなくなった。
自分が〝他人の家の客人〟って感じがするんだ。
俺の行動を期待しないあの男には、なにも返せない。お客様だ。
「…………」
それでも──あの日の男の腕の中は、今まで生きてきたこの世のどこよりも安心した。
俺の居場所はここなんだとすんなり受け入れられた。全身の力を抜いて身を預けても絶対に大丈夫だと思えた。
おかしな話だ。
俺はあの男のことなんて、名前すら、なんにも知らないのに。
はあ、と溜め息を吐く。
ヘイミスター。あんたのことが知りたいんだ。教えてくれるかい?
気さくな顔でそう言えるのは、いったいいつになるのだろうか。
詮索を嫌いそうな男は、俺に自分を教えてくれるのだろうか。
この手錠の意味を。
どういう心でこれをかけることにしたのかを、聞いてもいいのだろうか。
はあ。最近溜め息ばっかりだ。
動き出す勇気もないくせに、俺はなんて厚顔無恥な子どもなんだろう。
そうして自己を叱責していると、不意にリビングのドアがガチャ、と開いた。
「っ、おかえ、……ん?」
はっとして視線をそちらに向ける。
そこにいたのは想像通り、先ほどと変わらぬ様子でうすらと微笑み「ただいま」と言う男だ。
けれど、想像にはいなかった人がもう一人いた。
男の後ろで俺と男を交互に見つめ、ぽかんとしている人。
金髪とあごひげのよく似合う外国人張りのいい男だ。
一目でイイものだろうとわかるスーツを着て高級そうな装飾を纏っている様子から、金銭に不自由はないのだろう。
男と彼が並ぶといよいよ絵になる。
ハリウッドスターのポスターのようだ。
「彼は阿賀谷 寅吉。俺の古い友人だよ。こんな見た目だけど純国産だから安心してね、泣野」
俺も金髪の男と同じようにぽかんとした顔で彼を見つめていたのだろう。察した男が彼に手を向け紹介してくれた。
ハッと慌てて立ち上がり、軽く会釈する。
「初めまして、早泉 泣野です」
「男だあああああああっ!?」
「は?」
ただ自己紹介をしただけなのに、なぜか客人──阿賀谷さんは、俺をビシッと指さして顔面蒼白で絶叫した。
何事だ。生まれて二十六年、ずっと男だが……いけないのか?
どうして叫ばれたのか理解できず、頭上に疑問符がたくさん飛ぶ。俺にどうしろと。
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