花言葉は知っている

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 入部早々、ほかにまともな部員がいないというので、僕が写真部の活動記録を書くことになりました。正直、何を書けばいいのかわからず、緊張しています。とりあえず、活動記録の一環として撮った写真の中から一枚選んで貼るように言われたので、ここに貼っておきます。これからよろしくお願いします。  谷部くんの直筆と思われるコメントの下に、夕焼けの写真が貼られている。稜線すれすれに浮かぶピンポン球みたいな夕日が印象的な一枚だ。  写真の下には西田先生からもひと言添えられていた。  いきなりのことで、驚いたかもしれませんが、肩の力を抜いて、気楽に書いてください。内容は、どんなことでも構いませんよ。  どこかぎこちなさの残る、初々しいやりとり。わたしは拍子抜けした。見たところ、ごくごく普通の活動記録だ!  ぱらぱらとページをめくる。最初のうち谷部くんは、選んだ一枚のこと、カメラのこと、撮影効果やテクニックのことなどをつらつらと書いていた。そのうち飽きたのか、ある日「猫のあくびは眠気をさそう」とだけ書き添えて、写真を貼った。ブサ可愛い三毛猫が大きく口を開け、目をつぶって欠伸するというブサ可愛さ三割増しの顔を()アップで撮った写真だ。西田先生は多くを語らず、ただ「表情がいいね」と谷部くんを褒めた。  それ以来、谷部くんは自分なりのキャッチコピーとともに毎日生き物の写真を貼った。たとえば、塀に張りつくヤモリに「われは忍びの者。今日も今日とて気配を消して獲物を待つ」、散歩途中にリードを引かれながらも電柱に小便する犬に「ここァワシの縄張りや! 覚えとけ若ぇの!」……  同じ人が撮った写真に数多く触れると、だんだんその人の写真の撮り方、ものの捉え方がわかってきた。自分を殺すこと。生き物に寄り添うこと。谷部くんが大事にしている姿勢は、その二つだ。  いつのまにかわたしは夢中でページを繰る。ふと、まったく写真の貼られていないページを見つけて手を止めた。前回の活動記録の日付から五日が経っていた。  コンクールはまた落選でした。やっぱり僕には才能がないのかもしれません。  谷部くんの文面はそれだけだった。その代わり、西田先生からの返信でそのページはびっしりと埋め尽くされている。  谷部は今、きっと悔しくて悔しくてたまらないのだろう。谷部には、その悔しさを大事にしてほしい。そして、若いうちから自分の可能性を否定してはいけない。  谷部はめったに人を撮らないけれど、それは自分を含め人間という醜い生き物を写真として切り取ることは芸術家としてのポリシーに反するから、だと私は勝手に解釈している(ちがったらごめん)。人間に生まれただけに、ことさら人間の醜さにうんざりさせられるのだろう。谷部のように繊細な気質だと、特に。  私は、それほど人間に悲観してはいないけれど、そういう考え方もあっていいと思う。人間以外の生き物だって、それなりに凶暴だったり残酷だったりするだろうが、谷部の写真の中では、みな伸び伸びとして、とても自然体だ。それは、谷部の目が澄んでいる証拠だよ。人間の醜さを目の当たりにしてきたその目で、谷部はちゃんと生き物たちのありのままを見つめることができる。  技術は頑張れば後からいくらでもついてくる。でも、写真を見た人に何を感じてほしいのか……それを確信しているかどうかでスタートラインは大きくちがう。谷部はもうすでに自分自身を持っている。胸を張りなさい。  今日が雨だからといって、明日も雨だとは限らない。雨なりの楽しみ方もあるさ。  なぜかそのページだけ、紙はよれて不恰好だった。濡れたあと、乾かした紙がよくそうなってしまうように。先生のメッセージ下に走り書きされた、「ありがとう」の文字のあたりに円形の染みの跡も窺える。  ……きっとそのあたりから、何かが変容していた。
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