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(あ、失礼しました!)
王子の手をとるなど淑女らしくない。
慌ててニロの手を解放すると、ニロも私から一歩さがって、さっきまで近かった二人の距離がさっと広がった。その時だった、
「……お嬢様、馬車の準備が整えました」
見計らったかのようにセルンが間に入ってきた。
いつ帰ってきたの……ってあれ、敬語?
王子の前にいるからか? さすがだわ。
場をしっかりとわきまえているのね、セルンさん。
そう感心しつつ、突然帰れと言わんばかりの言動に戸惑った。
確かにさっきまでは早く帰りたかったけれど、いまはもう少しニロとお話がしたいかも……。
しかし社長からセルンの言うことを聞くようにと念を押されているから、逆らえない。仕方なくセルンの手を取ろうとした時、ニロの声がひびいた。
「無礼者、話の最中ではないか」
「ニロ様、これは大変失礼いたしました。実はお嬢様が体調を崩し、ただいま帰ろうとしたところです」
怖い顔のニロにそう言うと、セルンはぺこりと頭を下げた。
「……体調を崩した? ふむ。そうか。よかろう。もうちとだけ話せば、帰らすとしよう」
「申し訳ありませんがニロ様、お嬢様はこの通りあまりお話を好みません。よろしければ他のご令嬢の方に行かれてはいかがでしょう」
今すぐ帰らせろとそそのかすセルンに、ニロはさらに顔をしかめた。
「……ふむ。もう一度しか言わないゆえ、しかと聞きたまえ。余は彼女と話がしたいのだ。もうちとだけ話せば帰らす。良いか?」
うっ、怖い。ニロが怖い。
空気がピリピリして息が苦しい……。
(セルン、何しているの、王子がまた怒っちゃうよ……)
そわそわしていると、ふいにニロと視線が絡んだ。
「……またって、余はそんなにすぐ怒る人ではないぞ」
(あ、はい、申し訳ございません……)
「謝るな、正しく余が怒っているみたいではないか……」
そう言ってニロは困ったような表情を浮かべた。
あれ? 顔が怖いけど、本当は怒ってないの?
(申し訳……いえ、あの、その……)
あたふたしていると、ニロは少しため息を漏らしてかるく肩を竦めた。
「よかろう。お前も疲れたとみて、今日はここまでとしよう」
あれ? なんだかがっかりさせてしまったみたい……。
「ありがとうございます、ニロ様」
ニロの許可を得て、セルンはさっそく私に手を差しだしてきた。が、その手は忽ちニロに遮られる。
「エスコートは余がするとしよう。其方は道を案内したまえ」
王子のニロが、親交のない私をエスコートする。
……え? と目をしばたかせて、セルンと顔を見合わせた。
その間、ニロは眉一つ動かさないで私に手を伸ばしてきたので、断ることもできずアワアワとその手を取る。
セルンもすぐさま状況を理解して、「こちらへどうぞ」と案内をはじめると、「……ふむ」とニロはどこかご満悦な様子をみせた。
なんの意地なのこれ……?
ニロはいつも真顔だから、怒っているのか、怒っていないのか、よくわからない。
そう思いつつ、ニロにエスコートされて会場を後にした。
「そういえば、お前の名をまだ聞いていなかったな」
馬車の前に到着するや否や、私の目を見てニロが口を開いた。
(そういえば、そうでした)
王国唯一の王子であるニロは、数ある貴族令嬢なんぞ一々覚えるはずもなく、当然、私の名も知らないだろう。
そう思い、スカートの裾をつまみ優雅にお辞儀した。
「私は、フェーリ・コンラッド……でございます」
う、やはり唇がチクチクして痛い。
普通に喋れないのは本当につらい……。
「王子のニロ・ブルック・ジュリアスだ」
一人でがっくりとしていれば、ニロも笑顔で自己紹介をしてくれた。
ニロは王子だから、わざわざ私なんかに自己紹介をしなくてもいいのに。礼儀正しいのね……。
余裕のある立ち振る舞い。
まだ子供なのに大人に見えるわ。
初対面で怖い印象だったけれど、なんだかすごくしっかりしている……。
(【人は見かけによらず】とはよく言ったものだわ)
心の中でそう呟けば、ニロは微かに眉をしかめた。
あ、いまの心の声が!
(も、申し訳ございません!)
そう謝ると、ニロはさらに眉を寄せた。
怒っているように見えるが、困っているようにも見える。なんでだろう?
「言ったはずだ、不要に謝るな。余は怒っていない」
(そ、そうですか……)
本当に怒ってないみたい。
少し安堵してニロの顔を眺めた。
端麗な容姿。
だがいつも眉間にシワを寄せていて、怒っているように見える。それなのに口調から聞く限りでは、そこまでいやな人でもないような気がする。
(実はいい人、なのかな?)
あっ、またついついニロの目を見てしまった……!
ふいにニロの口元に目をそらすと、艶のあるピンク色の唇から白い歯が見えた。
「……そう思ってくれるなら、余も嬉しく思う」
(あっ、い、いいえ。とんでもございません……)
なんて愛らしい笑顔だ。
思わずドキッとしてしまったかも。
まだ若いのに色気が──ってああっ!
またついついニロの瞳に視線を動かしてしまった。かぁっと顔を覆えば、ふふっと鼻で笑うニロの気配がした。
うっ、9歳の子供に小馬鹿にされているわ……。
悔しくなり熱を帯びた頬でニロの顔をのぞきみた。
するとそこには蔑んだような表情はなく、ニロはすごくかしこまった顔をしていたのだ。
「勘違いとはいえ、お前に無礼を働いた。余を許してはくれないか?」
胸元に手を当てて、ニロは謝罪の態度を示してきた。
(あ、いいえ、そんな……! しげしげと殿下を見てしまった私がいけないんです。申し訳ございません)
「ふむ、良いのだ。不思議な出逢いだが、余はお前を気に入っている。ゆえに敬語は不要だ。普通に話してよい。余のこともニロで構わない」
(……私を気に入っている?)
小首をかしげると、ニロは「ふむ」と肯定した。
「余もよく理解できないが、何故かお前の瞳を見ていると心が和むのだ。一切の汚点もないような、透き通ったものが伝わってくる」
心が和む……?
さらに頭の上に疑問符を浮かべていれば、ニロは優しい口調で説明してくれた。
「とにかく、お前をみていると気持ちが軽くなるのだ。ゆえに堅苦しい敬語はよい」
誠実そうな人だ。
さっきまで勝手に怖い人と決めつけてしまったなんて、申し訳ないわ。
(はい……あ、うん。わかったわ。ありがとう)
要望に口調を合わせると、ニロはさっきよりも綻びた表情で「ふむ」と満足げにうなずいた。
「さて、今日はもう疲れたであろう、帰って休むといい」
(あ、うん。ありがとう、ニロ。今日は会えて嬉しいわ)
そう伝えると、ニロは「余もだ」と微笑んでみせた。
表情は怖いのにいい笑顔だ。
なんだか不思議な子ね。
そんな風に考えていた時、ふと横からセルンの声が響いた。
「フェーリ様、どうぞ馬車へ」
なんだかセルンの笑顔が少し固い。
不要に王子の不興を買ってしまったから、怒っているのかな?
焦ってセルンの手を取り馬車に乗りこんだ。
そうしてニロに見送られながら、はじめて参加した宴会の場を後にしたのである。
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