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(──そうじゃなくて! 一番の被害者はニロだよ! なんてでたらめな噂なの、本当にひどいわ!)
グッとフェーリの瞳から憤怒が伝わってきた。
余の目を直視すれば死ぬ。
根拠のない噂だが、余は彼女に許しがたいことを成した。
一時の感情に身を任せてしまったとはいえ、フェーリを殺すつもりでやったと咎められても返せる言葉などない。
それなのに、フェーリは余のために怒ってくれた……。
不思議と大人らしいその幼い顔からどんどん目が離れなくなっていく。
愛らしいその容貌を眺めていれば、ふと胸が締めつけられたように苦しくなった。なんだ、この感覚は……?
フェーリの目から心になにかが流れてくる。
ふわっとする胸にそっと手を当てて目をふせた。
混乱して乱れる心臓の音を整えようと、静かに呼吸を繰り返す。
そうして落ちつきを取りもどして、再びフェーリの瞳に視線を動かした。
「……かたじけない」
(う、ううん……。ほら、私も表情動かせないからさ、分かるというか……)
「……そうなのか?」
表情を変えないのではなく、変えられなかったのか。なるほど。
(うん)
その返事と共に、青い瞳から困惑の感情が伝わってきた。
……ん? なんだ、なにか変だ……。
動揺してフェーリの眼を見つめていれば、その苦労がしみじみと頭に流れ込んできて、気持ちを共有しているような、不思議な気分になった。
そうか。
子供の頃から自由に表情を動かせないのか。
無理に話すと頬の筋肉が……ん? なぜ余はこんな情報を知っているのだ……?
よくわからないが、フェーリのことをまるで自分のことかのように思えた。
この国は血生臭い争いに汚染されている。
どうやら純粋なフェーリはまだこのことを知らないようだな。
「お前もそうか……。なら余の仲間だ」
フェーリは余からなにかを望んでいるわけではないと、よく分からないが、その目が教えてくれるのだ。
まだまだ小さな子だが、信用に値するとみた。
なにより、フェーリから伝わってくる感情が余の心を和らげてくれる。そのつぶらな瞳を眺めるだけで心地よいのだ。
フェーリが腐った欲望の犠牲にならないよう、余が守るとしよう。
そんなことを考えていれば、なぜだかフェーリが頬を桜色に染めて、ぽぅと余をみた。
(きれいだ……)
脳裏にフェーリの声がひびく。
「何がきれいだ、フェーリ?」
(ううん、何でもないの……!)
かぁと顔を染めて、フェーリがもじもじと身をよじった。
「嘘は感心しないぞ」
ぎくっと固まってから、フェーリは観念したように余の目をみた。
(ニロの目だよ。昨日から綺麗だと思ったの……)
余の目が……きれい?
理解できず耳を疑った。
生まれ変わってから、この眼のせいで散々避けられてきた。
醜いものから目をそらすかのように、誰も余の顔をしかと見てくれない。
それなのにフェーリは恐れず、真っ正面から余を見てくれて、きれいと言ってくれた……。
発された言葉であれば、断じて信じることはなかろう。
しかしこうしてフェーリをみていれば、これが本音であることを確信できる。
その瞳から柔らかい感情がどんどんと心につたわり、ふんわりとした癒しのようなものが胸いっぱいに広がった。
なんだ……なんなのだ、この感情は……?
ドクンドクンと胸が乱雑に弾み始めた。
フェーリの思考、感情、そして気持ちを全部共有しているような、不思議な気持ちだ。
あ、これはしたり……!
また幼い子の前で取り乱してしまった。
急いで平然を装い、フェーリに微笑みかけた。
「……そういえば、昨日の詫びとしてお前にケーキを用意したのだ」
(──け、ケーキ……⁈)
と突然フェーリの怯えたような感情が伝わってきた。
「? ……どうしたのだ?」
(そのケーキって、甘い、かな……なんて)
やんわりそう訊いてきたフェーリの瞳から、気まずそうな気持ちを感じとった。
もしやケーキの甘さが気になるのか?
「なんだ、甘いものは苦手か?」
そう確認すると、フェーリの肩がぎくりと小さく跳ねた。
(え?! 分かるの?)
「まぁ、なんとなく」
肩をすくめてそう答えると、フェーリから感動したような感覚が伝わってきたのだ。
なにをここまで感動しているのだ? 面白いやつだな、ふふっ。
改めて考えると、フェーリはまだまだ幼い子だ。それもそうか。歳は確か……まだ八つくらいか?
前世の余の年齢からすればギリギリ娘か?
……いや。ちと厳しいか。
でもそうだな。
わが娘として成長を見守るのもいいかもな。
そう思いつつフェーリに視線を向けると、彼女は漠然となにかを考えているようだった。
なにを考えているのだ?
興味が湧きフェーリの瞳を覗きこめば、ふと数多の情報が入ってきた。そして余の疑問を答えるがごとく、脳裏にフェーリの声が響いたのだ。
(まるで日本人みたい)
懐かしい前世の国名が伝わり、ふいに目を見はった。
「……フェーリ、お前はなぜ<日本人>を知っているのだ?」
「──え?」
無表情のままフェーリが声をもらした。
(まさか、ニロも……⁈)
とフェーリがテーブルをドンと叩いた。その瞳から高ぶる感情が共有されたのだ。
「……<も> とは、どういうことだ?」
(ニロも <日本> を知っているの? 狂言に聞こえるかもしれないけど、実は私は日本人だったのよ……!)
日本人、だった? 過去形……?
つまり日本人だったフェーリも一度死んで、この世に生まれ変わったということか?
もしや余と同じように……っ
「お前も記憶をもってこの世界に生まれたのか……?」
と余が問えば、フェーリがつと固まってしまった。その瞳は少しずつ潤みを帯びてきた。
なぜ泣きだしそうなんだ……?
「……フェーリ?」
動揺する余を茫然と見つめたまま、フェーリがポロポロと涙を零しはじめた。
(ニロも同じ日本人だったの? 私だけじゃない。よかった……。これは夢、じゃないよね……?)
その瞳から耐えがたい寂しさが伝わってきた。
それが血液のように体中を循環して、余の心までじわじわと浸食してきた。
なんという悲しい気持ちだ……。
「フェーリは余と同じ、なのか?」
(うん、そう。私も、そう……!)
脳内にひびくその声とともに、フェーリの目から感情が止めどなく流れ込んでくる。
お互い転生者、ということなのか……?
予想外の出来事にどう対処すればいいのかわからず、気づけばフェーリの頭を優しくなでていた。
ずっと独りぼっちで淋しかったんだな……。
段々とフェーリの気持ちに慣れて、その涙のわけを理解することができたのだ。
「案ずるな、フェーリ。余はお前の仲間だ」
その頬を拭いながらそう言うと、フェーリの小さな唇がゆっくりと動いた。
「ニロは本当に、私の仲間、だ……」
心なしかフェーリが微笑んでいるように見えた。
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