6. 芽生えた気持ち

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 愛らしいフェーリの声がすっと胸に刺さった。  変な動悸が収まらない。  これは誰の気持ちだ……?   フェーリなのか? それとも、余の……。  そうしてフェーリの頭をなでていれば、急に扉がバタンと勢いよく開けられた。 「お嬢、大丈夫かい!」  と慌てた様子で、1人の男が入ってきた。 「泣いてる……お嬢になにをした⁈」  不愉快極まりない顔で男が声をあげた。  こやつはフェーリの護衛か。  一応王子である余に敬語も使わないのか?   昨日から思ったが、こやつは主君に対して失礼すぎる。実に忌々しい。  上下関係に厳しい時代を20年ほど生きたゆえ、この態度は堪忍できない。  仏の顔も三度。  立場を分からせなければならない。 「何をしても其方とは関係ない、立場をわきまえよ」 「……王子だからって、何をしてもいいと思うなよ!」 「!」  と男は余に向かって突進してきた。  なんだ、藪から棒に……!  小さな身体で構えをとったが、伸ばしてきた手が余に届く前に、男が床にどんと倒れた。  ……なんだ、キウスの仕業、か?  よく見れば、男の上にキウスが乗っていた。  足音を立てないで男をくみ敷かれたのか。さすがタレント持ちだ。    キウスの実力に驚嘆するのも束の間、珍しく感情を剥き出しにする彼に驚いた。   「王子に何をするつもりですか、セルンさん!」 「離せ、キウス! オレはこのガキに1発でも入れないと気が済まん!」  と男は暴れ出そうとしたが、キウスに抑えられた体はぴくりとも動かなかった。 「ダメです、セルンさん! らしくないですよ、どうしたんですか? 少し落ち着いてください!」 「離せ! 昨日からオレのお嬢をいじめてきやがった、もう許せん!」  憤る男に、キウスは眩しそうに目を細めた。 「……言葉が通じないのですね。では少し眠ってください」  キウスの呆れた呟きとともに、男は瞬時に静まり返った。  ……いや。失神させられたのか?   手の動きが速すぎてみえなかったが、確実に首の後ろを叩いたに違いない。  なんという速度だ。  そう驚いていた時。 「セルン……!」  焦った様子でフェーリが男のほうに駆け寄り、彼の安否を心配した。どうやら男の名はセルンという。 「……ただ眠っているだけです」  フェーリにそう説明すると、キウスは客間の扉を静かにしめた。  無表情のままフェーリはセルンの頬に手をかけて、その鼻に耳を近寄せた。  ……実に不愉快だ。 「これは反逆罪だ、死に値する」  前世なら切腹の機会も与えられず、縛りくびに処されるであろう。  冷たい目でそう呟けば、キウスがサッと片方の膝をつき、深々と余に頭を下げてきた。 「王子、私に免じてどうかセルンさんの不敬をお許しください」  父親の操り人形であるキウスがこやつのために許しを乞うのか……?  余程彼と親しい間柄と見て取れる。  いまだに前世の掟に倫理観を縛られるのは不本意だ。が、それでも主君に対する反逆行為を軽々しく許すことはできない。 「だめだ」 「……王子、お願いします」  かぶりを振る余に、キウスは頭を更に下げてきた。  余の機嫌を損ねてでもセルンをかばうというのか?   なぜこの男のためにここまでするのだ……?   一瞬躊躇したが、やはりセルンの行いは許せない。  だめだ、ともう一度だけ告げる前に、フェーリの声が聞こえたのだ。 「ニロ、お願い……っ」  と三つ指を突いて、涙をいっぱいになじませた瞳で余の目を見つめてきた。 (勘違いだよ、ニロ……! セルンは決して反逆するつもりはないの。私が泣いていたから彼を混乱させてしまったんだ。私にも非がある。許してとは言わないから、せめてセルンの罪を半分引き受けさせて欲しい……! どんな罰でもいいから、だから死刑だけはやめて。お願い……っ)  濡れた瞳からひとえにセルンを信じる気持ちが伝わり、じーんと耐えがたい感情が腹の底からこんこんと湧き出てきた。  この感覚は間違いなく余自身のものだ。 (ニロ、なんでもするから、お願い……!)  余の顔を見てそう訴えると、フェーリは勢いよく土下座した。  同時に床に強く打ったような、鈍い音が部屋中にひびき渡った。  ここまでしてセルンを助けたいのか……。  たしかにあやつはフェーリを愛おしく思っているように見える。  先ほどの反応からすると、恐らくフェーリが泣いていたのは余の仕業だと思い込み、激怒したのであろう。  まあ、噂とはいえ、昨日フェーリを害するような真似をしでかしたのは余だ。  あやつが妄想しているとも言えないな……。  認めたくはないが、感情に目を暗まされた余に非はないと言いきれない。  それに2人ともこの男を強く思っている。  <君子は豹変し 小人は面を革む> ……か。  ふぅ、と息を漏らしてから、冷たい口調で声を発した。 「……よかろう。但し、この一回限りだ」 「はい。ありがとうございます、王子」 (ありがとう、ニロ……!)  頬を濡らすフェーリの瞳から驚愕、恐怖、感動、歓喜の気持ちがスッと流れ込んできた。  セルンに対するフェーリの淡い思い。すべてをその瞳が教えてくれた。  これは共有したくはない感情だ……。  胸が苦しくなって、フェーリの額に視線をそらした。  真っ赤だな。これはこぶになるかも……。  握り拳を作って、くるりと2人に背中を向けた。  この胸の怒り、そして悲しみ。  そうか。  この感情は余のものか……。  せっかく馴染みのない世界で生きる楽しみを見つけたのに、簡単に手放して堪るものか。  フェーリ。  いつか必ずお前の気持ちを余に向けさせてみせる。  胸をかたむけて、セルンの顔を覗きこむフェーリをちらりと見てから、再びぎゅっと拳を握った。
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