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【幼少期編】 1. フェーリ・コンラッド
80年と短い歴史しか有さないこの国──テクディ・タメイ王国は、対立する文家と武家に支えられている。
文家派閥の侯爵家に生まれたのは、ちょうど8年前のことだ。
フェーリ・コンラッド──これが私の新しい名前。
前世と同じ黒髪に違和感はないけれど、この碧眼になれるまでかなり時間がかかったのよね……。
美形の両親のおかげで、顔立ちはそれなりに整っている。だからかえって、昔の私の影はどこにも見当たらない。
日本のどこにもいそうな普通のOLは本当に実在していたのか?
それとも私の精神が可笑しいだけなのか?
鏡を見るたび、その矛盾と違和感が強くなる一方だ。
とはいえ、これは誰かに相談できる悩みではない。
最初は不安でかなり葛藤したけれど、それでも目下の生活を送るしかない。考えるだけ無駄かも。
今はとりあえずこの世界になじみ、穏便に生きようと必死に努力しているところだ。
電気もガスも水道もまだないようだが、貴族のおかげか、不便を感じるほどでもない。
王家から順に、公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵、そして準男爵を基準に考えると、コンラッド家の爵位は上から2番目に当たるからね。財力はそれなりにあるのだ。
ちなみに、この世界には極稀に恵まれた能力を持って生まれる人がいる。
<タレント> と呼ばれるそれには、これだ! といった詳細な規定はない。他人より優秀であれば、だいたいタレント持ちだと噂されるようになる。
要するに、<タレント> は貴族の子息を持ちあげるための適当な用語だ。
そう断言したいところだが、その中には本物が混じっていることを私は知っている。
定番どおり、令嬢である私は子供のころからタレント持ちだと噂されている。
1才の時から文字が読めるというのがきっかけだ。
最初はバカらしいと思ったけれど、次第にあれ? という違和感を覚えはじめた。
私もよく分からないが、何故だか一度読み、理解した文章を完璧に記憶できてしまうのだ。
完璧な記憶力──どうやらそれが私のタレントらしい。
この世界ではそれなりにすごいタレントかもしれないけれど、私的には微妙なのよね。だって、タレントは超人的な能力のはずだけれど、これは別にそこまですごくもなくない?
そんなもんかと思っていたけれど、どういうわけか、この世界の私の母は異常なほどに喜んでくれた。
それでタレントのためだといい、いつも難しすぎる本を読まされるようになった。その流れで今日も早朝から屋敷の読書室にこもっているわけ。
辺境に屋敷を構えているけれど、文家派閥だからか、コンラッド家の読書室は立派なものだ。
きれいな線を描くように陳列されている高級な書棚。
意図的に飾られている数多くの骨董品は、中庭から差しこまれた光を反射して、煌びやかに輝いている。
普段から私のほかに誰もいないので、読書に持ってこいの場所だ。
とはいえ、私は別にそこまで本が好きというわけではない。
それに、日々のノルマとして読まされる本はたいてい法律関連か、経済関連のもの。だから正直にいうとかなりつらい……。
最初は当惑して、とりあえず母の期待に応えようと必死に頑張った。が、どんどんストレスが溜まってしまい、しだいに食欲不振に陥った。
そんな私に追い討ちをかけるがごとく、生まれつきで思いどおりに表情を動かせないし、普通に喋ることもできない。
ご飯を食べる時は大丈夫なのに、なぜか喋ろうとすれば唇が固くなってしまう。
一概にタレントの影響と言いきれないけど、なんとなくタレントのせいだと思いたい。
だってそれしか説明がつかないもの……。
改めてげんなりとため息をこぼせば、
「……どうしたの、フェー?」
下のほうから少年──フィンの気遣わしげな声がひびいた。
フィンは私の乳母メルリンの息子で、この屋敷にいる唯一の同い年。
大丈夫、のつもりでゆるゆると首をふる。
「もしかして、本当はこのケーキが食べたかったとか……⁈」
白いクリームのついた顔を上げて、フィンはハッとした様子をみせた。
ちがう違う! というつもりでアタフタと手をふり、差し出してくる食べかけのケーキをフィンに返す。
実は私、前世から甘いものが大の苦手なんだ。
それなのに、文化のちがいか、いくら婉曲に断っても全くと言っていいほど通じない。そのせいで甘いケーキをずっと食べつづける羽目になった。
けれど5歳の時、庭で遊ぶフィンにケーキを差し出すと、フィンは目をキラキラ輝かせて喜んで食べてくれた。
その日を境に親しくなり、こうして自然と友達になったのだ。
「……このケーキ、すごく美味しいよ。本当にいらない?」
例によって唇が重たいので、フィンに頷きで肯定する。
「美味しいのにな〜」
フィンはケーキを口に含むと、蕩けたような表情を浮かべ、おいひぃ〜、と自分の両頬を包みこんだ。
まあ、なんて無邪気な表情なの?
いつ見てもかわいいわ〜。
この世界に転生してから、フィンの豊かな表情が私の唯一の癒しだ。
前世は一人っ子だったから、弟ができたみたいで嬉しい。
ほんわかな気持ちで紅茶を堪能していたところ、ケーキを食べ終えたフィンの視線が目をひいた。
ぱっちりと目が合うや否や、
「なーなー、フェー。今日もフェーは、俺が好き?」
フィンはふわふわと癖毛のある茶色い髪を首のあたりで揺らしながら、照れた青い瞳を私に向けてくる。
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