10. 本当のニロ

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10. 本当のニロ

 転生してから初めて迎える観光にウキウキして、朝早くから屋敷の外でニロを待っていた。  あっ、ニロの馬車だ!   いつもより早いわ。ニロも楽しみにしているのかな?   興奮して、正門をくぐってくる馬車にフリフリと手をふってしまう。   「……おはよう、ニロ」 「おはよう、フェーリ」  ニロと朝の挨拶を済ますと、待ってましたとばかりにセルンが口を開いた。 「ニロ様、やはり町に出るのは危ないです! 唯一の王子に万が一何かあれば──」 「──しつこい。優秀なキウスがついている。心配無用だと言ったはずだ」 「し、しかし、ニロ様の馬車を目にすれば巷の人々は集ってくるに違いありません。その場合観光どころか、馬車から降りることすらできません」  セルンの言葉の真偽を疑ったのか、ニロは銀目を細めてから、キウスに視線を投げかけた。 「キウス、其方はどう思う?」 「……そうですね。貴族の馬車もそうですが、紋章がついております。それを見れば王家の馬車だと気づく人もいるでしょう」  あまり興味がないのか、キウスがぼんやりと答えた。  なんだろう。このふんわりとした感じ……って、あ! ニロが困った顔になった。  このままでは一回限りの観光がパーになってしまう……!  焦って紙を突き出した。 <なら私の馬車で行きましょう> 「ええ! おじょ──」 「──なるほど。いい案だ」  セルンの声に被せて、ニロはふむふむとうなずいた。  セルンに悪いけど、私は外に出かけたい。  生まれてからずっと屋敷の中にいるから、町の人々の生活とか見てみたいんだ。  でも私の馬車に王子を乗せてもいいのかしら……?     ちらりとキウスの様子をうかがうと、彼は猛抗議しているセルンを見て、ニコニコと笑っている。  その顔の周りには小さな花が浮いている。    どうやら気にしていないみたいだね。  これで決まりだ〜! と喜んでいる私の隣で、セルンは真顔でニロに迫った。 「せめてお供させてください!」 「否、却下だ。異なことをいう。其方は謹慎中の身だ。しかと反省しているのか? ちとは遠慮したまえ」 「くっ……」  これ以上異を唱えたら謹慎の期間が延長されそう。  危機を感知しただろうセルンは悔しげな様子で口をつぐんだ。  相変わらず勘がいいわ、セルンって、なんかすごい怒ってる……。   行くなと言わんばかりの厳しい目でセルンが私をガン見する。  うぅ、ごめん、セルンさん。  一緒にきて欲しいけど、セルンさんは謹慎中だから仕方ないよ……。  また今度ね……とやんわりと目をそらしたら、くふっとニロがイタズラげな笑みを浮かべた。  こっちは上機嫌のようね。 「では行こう」  こっくりと頷き、ニロの手をとって馬車に乗った。  最後まで諦めなかったセルンはキウスを捕まえて、なにかを訴えかけた。  お土産の頼みかな?  小首をかしげているうちに、馬車が動きだした。  窓越しに真っ黒な馬に乗っているキウスの姿がみえる。  いつも通りぼんやりとした表情で空を見あげている。  なんだか不思議な人ね。  そんな風に思ったところ、ニロの声が聞こえた。 「……ふぅ、やっとお前と2人きりになれた。記憶の話でお前に問いたいことは山ほどある」  あ、ちょうど私も同じことを考えていた!   コクコクと頷けば、ニロは顔をほころばせた。  ニロの怖い雰囲気になれてきたからか、優しい表情にみえた。  もともと美少年だから、ちょっと笑うだけで輝いてみえるわ。  思考が伝わってしまうから、ニロの口元に視線を固定していれば、桃色の唇がゆっくりと開いた。 「フェーリ。お前は己のことを『日本人だった』と言ったな。つまりお前も前世の記憶を持っていると受けとってよいのか?」   (うん! その通りだよ、ニロもそうだよね?)  ドキドキしてそう問えば、なぜだかニロは悲しそうな顔になった。 「ふむ。余もだ。お互い大変な最期であったろう……」    あ、うっかりしていたわ!  そういえば最期のことを語るのは楽しいことではない。  私は事故で最期を迎えたけど、ニロはどうだろう? (……ニロも大変だったね) 「ああ。温かい冬が何年も続いて、あたりを見渡せば死人の山があった。あれは惨たらしい光景であった……」  え?  死人の山……?   ニロが冗談……を言っているような雰囲気ではない。  ニロは私と同じ時代の人間、……ではない? 「混乱しているようだが、大丈夫か。フェーリ?」 (うん。ちょっと驚いただけ……)  暖冬で人が死ぬって、地球温暖化で?   どういう未来なのそれ、怖い…っ 「温暖化ってなんだ、フェーリ。お前はなにを考えていたのだ?」  私の目をみたのか、ニロが首をかしげた。 (……あ、うん。あのね、ニロの前世はどんな時代だったのか、聞いてもいいかな?) 「時代? ……うーん。天明だ、分かるか?」  私の質問に一瞬戸惑ってから、ニロが答えてくれた。 (天明……?)  これは元号、だよね?   ……なんで西暦で答えてくれなかったのだろう?  「なんだ、分からないのか?」 (ごめん。よくわからないけど、天明って元号だよね?) 「……それ以外になにがある?」  とニロは如何にも不思議そうな表情を浮かべた。    あれ? 元号を使うってことは未来の人じゃない……?     いやでも、いまだって元号は使われているし。  うーん……わざわざ元号で教えてくれたってことは、もしかして私が死んだ後に西暦が廃棄されて?   当惑する私の眼をみて、ニロがよく分からない様子で眉をよせた。 「……セイレキってなんだ?」  あ、そうか。  暖冬と言ったから、てっきり未来のことだと思った。  けれど、過去という可能性もあったわ……!  思わず前のめりになって、銀色の瞳を覗きこんだ。 (ニロ、あのね。ただの推測だけれど、多分ニロは私と同じ時代の人ではないと思うの……!)  小躍りする私にやや困惑してから、ニロは思い悩む素振りをみせた。 「時代、か。つまり幕府がちがうというのか……?」 (……幕府、なるほど。これで確信したわ。天明はいつなのか分からないから、とりあえず私の知っている日本を説明するね?) 「……ああ、頼もう」  そうして知っている範囲の歴史を飛ばし飛ばしでニロに話した。  飛鳥、平安から鎌倉の話をいうと、ニロはふむふむと相槌を打ってくれる。  しかし江戸幕府、そしてペリー来航と明治維新の話をすると、ニロは顔を蒼ざめて信じられないというような顔になった。  そして最後まで話したまえと言われたので、西洋文化の受け入れ、それから世界大戦後の日本までを一通り説明したのだ。  私が話し終えてしばらく経ったけど、ニロはまだ沈黙したまま。  悲しそうな目をしているけど、大丈夫かな……?   ニロの顔を眺めていると、瞬きと共に透明な水滴がぽつりと流れ落ちた。  あっ! と慌ててその頬を拭うと、ニロに手をとられた。   「……日本は生きている。あの子たちも、きっと…っ」  私の手のひらに顔を押しあてながら、ニロがささやいた。    すごく悲しそうな声。  手のひらから伝わってくる暖かい涙の感触に、胸の奥が苦しくなった。  ニロがすごい泣いてる……。    理由は分からないけれど、不思議と共感できる気がした。 「日本は生きているよ、ニロ」  安心させようとニロの言葉を借りて返せば、涙で濡れたニロの顔にうっすらと微笑みが浮かんできた。  しかしそれは安堵したような笑みではなく、哀愁に満ちているようにみえる  幼い顔にこんな表情は似合わないよ…っ  チクッと胸が痛くなり、ニロの両頬を包みこんだ。   (こんな悲しい顔、しないで……)  どんな最期だったのかわからないが、不安でいっぱいだったのが伝わってくる。  未来がないと思えるような最期だなんて、ニロは耐えがたい苦しみを味わったに違いない……。  ニロが最期まで気にかけていた人たちの安否を断言できない。  けれど、未来がないなんてことはない。  強くそう思いながら、ニロと額を寄せあい瞼を閉じた。  同じ魂でつながっているからか、まるで心が響き合っているようだった。  そうしてジワジワと伝わってくるニロの体温に、ふと胸が鼓動を増していく。  いまは恥ずかしがる場合ではないのだけれど、やはりこの体勢は少し気恥ずかしいかも。  ニロは何歳で最期を迎えたのかわからない。  けれど、同じ転生者だと分かった時点でニロを子どもと思えなくなった。  異性だからって変に意識するのはよくない。  頭では分かっているけれど、心がついていけないのよ……。  そうやってそれなりの時間が経つと、ニロの頬を流れた涙もすっかり乾いてきた。  だいぶ落ち着いたようだね。  ニロから離れて姿勢を直すと、突然両手を握られた。  驚いて見あげると、潤んで光を帯びた銀色の瞳と視線が交差した。    すごい綺麗……って、見惚れてる場合じゃないわ!  ニロの真顔に気づき、ハッと我にかえった。 「フェーリ。分かりやすい説明を感謝する。今度は余の話を聞かせるとしよう」 (ニロの話、聞かせてくれるの……? 思い出したくないこともあるだろうから、無理しないで) 「よいのだ、フェーリ。お前に余のことを全部知って欲しい」    私を真っ直ぐにみすえてニロが言った。  真摯な雰囲気にかっと頬に熱を感じた。  ああ、何やってるのよ、私。  いまはそういう場合じゃないでしょう……!  自分に呆れつつ、乱雑に弾む心臓の音がニロに伝わらないことを願いながらその話に耳を傾けた。  どうやらニロは江戸時代の武家に生まれた人らしい。  武士の仕事の他に、内職として寺小屋で子供たちに読み書きを教えていたという。  寺小屋ってあまりイメージなかったのだけれど、アルバイト感覚で教師をやっていたの? 武士はそんなことをするのか……。  なんだか思っていたのとちがう。  珍しい話が聞けてついわくわくしてしまい、ニロの暗い雰囲気に気づかなかった。  話の続きによれば、元号が天明に変わると、立て続けの不作で国は大飢饉におそわれ、多くの人が命を落としたという。  そんな中、ニロは最後の給料として受けとった僅かな米を子供たちに分け与えて、そのまま…… 「……ごめん、ニロ」  ニロは真剣な話をしているのに、なに浮かれていたんだ、私は…っ  ぎゅっと拳を握り、耐えられず俯いたが、ニロにクイッと(あご)を持ち上げられた。 「謝るな、フェーリ。あの子たちは強いゆえ、きっと負けずに飢饉を生き抜いた。その証にお前がいる。そうであろう?」  私を見つめてくる銀色の瞳はキラキラと安堵の色を滲ませていた。  浮かれていた私を叱咤しないのね……。  複雑な思いで胸がいっぱいになっていると、ニロは私の手を柔らかく握ってきた。 「日本は生きている。そうであろう?」  あ、そうか…っ  ニロを苦しめていたのは飢餓なんかじゃない。  ニロを悩ましていたのは、自分がいなくなった後の教え子たちの未来だったんだ……。  想像を絶する苦痛を経験したはずなのに、それでもニロは始終子どもたちのことを心配していたのね。  ぐっと胸を突き上げてくる衝動に視界がぼやけた。  ニロが命をかけて子供たちを守ったから、私の知っている日本がある。  世界は人々の犠牲によって動いていることをここまで実感したのは初めてだ。  大変な時期にニロは自分の身を顧みずに子供たちを助けた。  それなのに、生まれつきのしかめ顔で周りの人に勘違いされ、疎外されている。  ……そんなのおかしすぎるっ  思わずニロの手を強く握りかえした。  ニロは本当はすごく立派でいい人なのに、それを皆は知らない。  そんな皆に訴えかけたい。  皆全員に知って欲しい、そして分かって欲しい。  本当のニロのことを…っ
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