11. 思いがけない出来事

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11. 思いがけない出来事

「王子、フェーリ様、どうぞ」  そう言って、キウスがパイをテーブルの上に置いてくれた。  昼をすぎてから都内についた私たちは、とりあえずキウスの勧めでパイの専門店に入った。  伯爵家出身のキウスはなぜだか都内を熟知している。  どうやら、若い時によくセルンに連れられてあっちこっち回ったみたい。 「はい。フェーリ様」 「……ありがとう、キウス様」  差しだされたフォークを受けとり、そのまま熱々のパイを口にはこんだ。  衣はしっかりと味が浸みこんでいるのに、サクサクと口当たりがいい。  中に詰まっている牛肉はホロホロと柔らかく、噛まなくても肉汁が溢れでてきた。    バターが香るなか、スパイスの匂いが鼻腔を刺激して、濃厚な後味を舌に残した。 「……美味しい」  ポツリそう呟いた私に、キウスがふわっと微笑んでみせた。  なんだろう。  普通の笑みなのに、なんだか爽やかで心地いい。  それでか分からないけれど、キウスが笑うと顔の周りに花が咲いているようにみえるのよね。  そう思いつつキウスの顔をみていれば、 「う~ん」  とニロの微妙そうな声が聞こえてきた。  呼びかけより速いから、さっそく紙に字を書いてニロにみせた。 <どうしたの?> 「ふむ。余はどうも香辛料が不得手だ」  しかめ顔でニロは答えた。  雰囲気は怖いけど、これは怒っている……のではなく困り顔ね。  少しずつニロの表情に慣れてきたかも。 (スパイス全般苦手なの?)  瞳でそう確認すると、ニロは更に眉根を寄せて「ふむ」とうなずいた。  そうなんだ。  私はスパイスが好きだけど……ニロはダメか。  そう言えば、江戸時代にスパイスってあったのかな?   もしかして、ニロは香料を食べたことないから苦手なのかしら?  ふとそう思ったところ、なぜだかニロは頬を膨らませて、悔しそうな表情を浮かべた。 「香辛料くらい知っているぞ。加益(かやく)のことであろう? ただ余は元よりそういうのが嗜まないのだ」  あっ、そうだ、思考!   またついつい忘れてしまったわ……。 (そ、そうだったの……。勝手に勘違いしてごめんね) 「すぐ謝るな。別に余は怒ってない……」    とニロは口を尖らせてそっぽを向いてしまった。  その横顔は少しムッとしているようにみえる。  これは……落ち込んでる顔?   いや、怒っているようにも……うーん、でも怒ってないって言ったから、困っているのかな?  この顔はどれだろう……。  うっ、どうしよう。全然わからないわ……。 「王子、別のパイに交換しましょう」 「よい。食べれる」  キウスにそう呟くと、ニロは少しずつパイを食べはじめた。  眉間にすごいシワを寄せているわ。  なるほど、これが困った顔ね。  苦手なのに無理して食べてる……。  ふいに飢饉の話を思いだし、思わず胸がじんとした。  あ、ダメだ、ニロに伝わってしまう……!  慌ててニロから目をそらした。  私も食べ物を大事にしていかないとね。  そうしてパイをパクパクと食べたら、あっという間に完食した。  ちょっと張り切りすぎたかも……と顔をあげれば、パッとキウスと視線が交差した。 「フェーリ様はいつも美味しそうにものを食べるのですね」  元気よく食べていたから美味しそうに見えたのか。  なんだか少し恥ずかしい……って、いつも……?   小首をかしげる私をみて、キウスはニッコリと笑った。  その顔の周りにはやはり小さな花らしきものが浮いている。  なんだか不思議な人ね。  そうしてキウスの顔を見つめていると、意外にも整った顔立ちにみえてきた。  真っ黒な髪を後ろに高く結ぶキウスは、この国では珍しい漆黒の瞳をしている。  歳は……20歳くらいかしら?   さっぱりとしているけど、間違いなく美形だわ。  すごい筋肉質なのに清々しい。  ぽぅと見惚れていれば、キウスがその黒い瞳を細めて、柔らかく微笑んでみせた。 「どうかしましたか?」  あ、やってしまった。  紳士の顔をジロジロとみるなんて淑女の礼儀がなっていない。  なんでもないです! のつもりでブンブンと首をふり、俯いた。  令嬢として失敗した気持ちもあるけれど、それよりもイケメンだ……なんて鑑賞していた自分が恥ずかしいっ!  そうしてそれなりの時間がたつと、やっとニロもパイを食べ終えて、お店を後にした。    ちなみにキウスは王都の道筋を全部把握している。  おかげで賑やかな街だけではなく、裏路地も回ることができたのだ。  石造りの建物に挟まれた小道。  あまり光が差し込まず、日陰となっている。  それなのにいろんな格好をした人々が忙しく歩いているからか、活気あふれるようにみえた。  今さらだけれど、日本の街並みと全然ちがうね!  海外にきたみたいですごくワクワクするわ〜!  うわずった気分で路地の雑貨店で品を見ていた時、ニロの声が聞こえてきた。 「……それはなんだ、キウス?」  振りむくと、そこにはキウスの姿があった。  その手には小包みがある。  いつの間に買ったの?   ガタイのいいキウスは一切物音を立てないで動くから、ついついその存在を忘れてしまう。 「これは剣のおもちゃです、王子」  相変わらず茫然とした口調でキウスは答えた。 「おもちゃ……? 何故?」 「知り合いの子どもに、とセルンさんからの頼みです」  セルンの頼み?  あ、そうか。  セルンが謹慎を嫌がっていたのは、このおもちゃを買いに来たかったからか。なるほど。  剣のおもちゃか。  いま流行っているのかしら……? ってあれ、なんだかニロの顔が怖いっ!  眉間に深いシワを刻み、銀色の眼を不快そうに細めている。急にどうしたの……? 「やはり反省していないようだな」  声が小さくて聞き取れなかったが、ニロは明らかに嫌そうな顔をしている。  これがニロの怒っている顔だよ、きっと!   ……でもなんで?   一人でニロの表情の見分け方を練習していると、私に気づいたニロはやや驚いた様子を見せてから、可笑しそうに小さく笑った。  その桃色の唇は愛らしい微笑みの形になっている。  これは……嬉しい顔?   はじめてみたニロの表情だ……。 「さあ、フェーリ。次へ行こう」 そう言ってニロが私の手を握ってきた。  あれ? ……もう機嫌なおったの?   そうしてニロに手を引っぱられ、大通りに出た。  その足で広場へ行ったり、教会のまえを通ったりと、楽しく巷の風景を堪能した私たちは、最後に布や衣服を販売しているお店に入ったのだ。  わぁ、豪華なお店だね……。  柔らかそうなシルク類がきれいに陳列されていて、色鮮やかでキラキラと輝いてみえた。  その上の棚には、美しい刺繍の施されたガウンやマントがある。  令嬢に生まれ変わったけれど、やはり高級店は緊張するね。  しばらくキョロキョロしていると、 「……ふーん。どれも同じような加工品ばかりだな」  畳まれた生地をめくって、ニロがつぶやいた。  確かに同じような刺繍ばかりだけれど、ニロはその訳を知らないのか?  あ、これだ。  はじめて教育担当らしいことを教えられるわ〜!  舞いあがってニロの肩をつかみ、その瞳を見た。 (あのね、ニロ! 王国は西の『プロテモロコ』としか交易をしないから、ここにあるものはその国で加工されたものだよ>  ニロは不意をつかれた様子だったが、私の説明を聞いて、俄かに首をひねった。 「ぷろて……んんっ。西の国としか交易をしない? それはなぜだ?」  国名を噛んでしまい、ニロはやや頬を赤らめた。  どうやらニロはまだ国外のことを学んでいないようだ。やった〜!  喜ぶ私をみて、ニロは困ったような笑みを浮かべた。 (それがね、王国の生産物を西が全部購入してくれるから、代わりに西で加工された製品を購入すると約束したのよ!) 「ふむ。そういうことか。……否。それでもなぜ一つの国としか交易をしないのだ。鎖国しているのか?」 (自主的にそうしているわけではないから、たぶんニロが思っている鎖国ではないと思うよ。どちらかというと【不平等条約】に近いかな。簡単にいうと半植民地状態になっている……ん?)    ニロが当惑しているみたいだ。なんで……って、あっ! 配慮が足りなかったわ……。  そういえばこれらは明治以降にできた用語。  気づかず適当に使ってしまい、ニロを混乱させてしまったのね。  もう少し気をつけるべきだったわ。  気持ちを改めて、ニロの眼に視線を固定させた。 (つまりね、80年前から西が王国の生産物を独占して全部購入してくれたから、経済が成りたち、北の帝国から独立することができたのよ。それからも王国の経済は西との交易に頼ってしまい、その圧力に負けて【西としか外交を有してはならない】という不公平な条約を結ばせられたんだ)  できるだけ分かりやすく補足したつもりだが、ニロは逆に混乱した様子で急に瞼をとじた。その顔はひどくつらそうにみえる。  なんだかニロが苦しそうだ。体調でも崩したのかな……?   そうしてしばらく眉間を揉んでから、ニロがゆっくりと目をあけた。すごい疲れた顔だ。どうしたのかな? (大丈夫……?) 「……ふむ、大事ない。お前の頭の中にある莫大な情報に臆しただけだ……」  そう答えるとニロは再び苦い顔をして指で眉間を押しはじめた。  莫大な情報?   そうか……私の説明が下手だったから、ニロを困惑させたんだ。 「ちがう。お前のせいではない。勝手に詮索した余がいけないのだ」  私の思考が伝わったのか、ニロは軽く首をふり、店頭にあった柔らかいマントを私にかけたのだ。急になんで? 「……お前を落ち込ませたお詫びだ」  そう呟くと、ニロは背後のキウスに顔をむけた。 「キウス、これを買う。金を寄越したまえ」 「……いいえ。私が払いに行きますよ」  とさっきまでどこかを見ていたキウスが払いに行こうとした。  しかしニロは頑なに自分で払うと言ったから、キウスは金貨の入った袋を渡したのだ。  なんだかニロが憔悴しているようだけれど、大丈夫なのかな……。  たしかに一気に情報量が多すぎたかも。  ニロに申し訳ないことをしたわ。  ニロにかけてもらった黄色いマントをぎゅっと掴み、一人で反省していると、横から「ふふっ」と笑うキウスの声が耳に入った。  なんだろう? と振りかえれば、艶のある黒い瞳と目があった。 「王子もセルンさんも皆フェーリ様が大好きのようですね」  そう呟くとキウスがニコッと笑った。そして「よかったですね」とつけ加え、私からニロのほうに視線を移したのだ。  よかったって、なにが……?   頼もしいセルンと王子のニロによくしてもらって良かったね、という意味かしら?  セルンは私の護衛で、ニロは同じ転生者だ。  セルンのことはともかく、キウスはニロの事情を知らないだろうから、単に運が良かったように見えたのかも。  なるほどと納得したところ、再びキウスが笑う気配がした。  なんだかすごく嬉しそうね。  まったく私のほうを向いてくれないから、何を考えているのかわからない。  それからもキウスは度々「ふふっ」と小さく笑い、顔の周りに可愛らしい花を咲かせていた。  そんなキウスからニロに視線を動かした。  お店の奥にいるニロは手のひらにある金貨を眺めて、固まっている。何枚出せばいいのか悩んでいるのだろう。  実は私も金貨の価値がわからないのだ。使ったことがないからね。    ニロは高価そうな服装を身につけているからか、お店の人も敢えて口出しをせず見守っている。うん、微妙な空気だ。  キウスは気づいていないのかな?  仕方なくキウスの裾を引っ張り、両手で紙をかかげた。 <キウス様。ニロは多分金貨の価値が分からないから払えない>  頭の上に疑問符を浮かべつつ私の文字を読むと、キウスは「あっ」と小さく声を漏らした。やはり気づいていなかったのか……。 「少しいってきます」  そう言い残すと、キウスはニロのほうへと足を運んだのだ。  いつもふわふわしていてよく掴めない人だ。  そうして出口付近でキウスとニロの様子を見ていたところ、「……フェーリ様?」と背後から名を呼ばれた。 「?」  そのほうを向くと、そこには見知らない2人の男がいた。  速足で近づいてくる男をみて、誰だろう? と小首をかしげた、その時だった。 「──っ!」  なんの前触れもなく1人の男に口を押えられ、強引に抱きあげられた。  え、なに、なんで⁈  驚いて暴れたが、小さな体にはそこまでの力がなく、そのまま軽々しく知らない馬車へ押し込められたのだ。 (……どこに連れて行く気なの! ニロ、キウス!)  口が塞がれて声を発することができず、高速で走りだした馬車の中で体の動きを完全に封じられてしまった。
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