12. 聖女

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*********【フェーリ・コンラッド】  ニロと一緒に観光を楽しんでいるところ、突然拉致されて知らない馬車へ押し込まれた。  最初は驚いて藻搔(もが)いてみたが、幼い体は二人の男に敵わなかった。  そうしてじっとしていれば段々と冷静さが戻り、とりあえず自分の状況を整理することにしたのだ。  危ない危ないってセルンが言っていたけど、まさかお店の中で誘拐されるとは。この国の治安はどうなっているのかしら……。 『唯一の王子に万が一何かあれば…ー』  あ、そうか!  こんな大胆な犯行。彼らはニロを狙っていたんだわ……って、でもニロは男の子で、私は女の子。普通は間違えるかしら?  『……フェーリ様?』  そういえば店の中で私の名をよんだよね。  ということは偶然ではなく彼らは計画的に私を狙った……? 『ー…貴族の馬車もそうですけど、紋章がついております』  キウスがそんなことを言ったわ。  それで私たちはコンラッド家の馬車で街にきた……あ、そうか。  これで確信した。標的は間違いなく私なのね。  ならニロは無事だ。ああ、よかった……。  王子の身になにかあれば、コンラッド家は大変な目に遭ってしまう。  ドナルド社長にそんな迷惑をかけられないわ。  そう安堵していると、突然大柄の男が呟いた。 「いや、護衛の姿もいなかった、やはりおかしくねぇか?」 「──しっ、声が大きい!」 「あっ!」  と慌てる男は私から手を離し、自分の口を塞いだ。  まあ、不慣れなものね。誘拐ははじめてかしら? ……ってそんなことを考える場合ではないわ!  いま確かに護衛のことを言ったわね……。  あ、そうか。護衛がいれば後を追ってくる可能性だってあるものね。  そういえば、一緒についてきてくれたキウスは王国騎士団の団長じゃない!   そんな彼の名を聞いたら少しは慌てるのかな? 隙を作ることができれば逃げれるのかもしれない。  思い切ってキウスの名前を口にすると、2人は思っていた以上に動揺して、さっと私から離れた。  まあ、すごい焦っているわ。やはり騎士長の名前は強い。  そうして身体の自由を取り戻し、ひとまず周囲を見回した。  ん? 奥のほうに薄っすらとなにかが光っているわ。あれは……紋章?   木製の窓に刻まれている貴族の紋章が目につき、すぐさま母に読まされた『王国事典』の内容と照らし合わせた。  剣が入っている……ということは武家派閥の貴族ね。  一本しか描かれていないから子爵家か。  武家の子爵は多くいるけれど、模様の違いでわかるようになっているのだ。  この紋章の真ん中にあるのは……拳か。  一度覚えたら忘れることはないから、思い出したわけではないけれど、名前がわかったわ!   直ちに硬い唇を酷使して、力強く声を発した。 「……ストロング、子爵家」 「!!」  あ、2人ともギョッと目を剥いた!  やった、効いているわ。これは当たりね〜!  1人でそう喜んでいると、まだ馬車は動いているのに大柄の男が大慌てで飛び降りていった。だ、大丈夫……?   ふと不安になり立ち上がると、近くにもう1人の男は幽霊をみたような表情でビクビクと後ずさった。  な、なんでここまで怯えるの……?  よく分からずしばらく戸惑っていれば、 「フェ、フェーリ様!」  屋敷の中から戻ってきた男の太い声が聞こえてきた。 「申し訳ございません、フェーリ様! すぐにお屋敷まで送り返します!」  かすれた声でそう言うと、男は地に這いつくばった。  え、家まで送るってこと?   ……なんで? じゃあ一体なんのために私をさらってきたの……?   さらに当惑していると、大男は鼻水を垂らして頭をさげてきた。 「おれにはまだ小さい子供がいるんです、お願いします! なんでもしますから許してください!」  わぁ、すごい震えてる……。  知らないうちに彼らの家族に被害を加えるとでも脅してしまったのかな、私……?    え、私が悪いの? (かどわ)かされたのは私なのに……?  なぜかもう解放してくれるようだけれど、一応立派な誘拐だよね、これ……。  ストロング子爵はどういうつもりで私をここへ連れてきたのか、その訳を聞くべき……かも? 「当主──」 「──はい! あわせます、すぐにあわせます!」  まだ発言を終えていないのに、男はスッと立ち上がった。 「こちらへどうぞ! さあ、どうぞ!」  とやや強引に道を案内し始めたのだ。  いや、かなり強引かも……。  戸惑いながら丁寧に用意された椅子に腰をかけた。そうしてドタバタと足音がした後、1人の老人が客間に入ってきて、怯え切った子羊のようにカタカタと足を震わせてどんと床に倒れた。   え、貧血? 心臓発作⁈ と驚いて立ち上がった瞬間。 「……どうぞこれを!」  と老人は顔を伏せたまま金貨やネックレスなどが入っている包みを突き出してきたのだ。  な、なに? これらをくれるってこと? ……なんで?  思わず当惑する私に、老人は声を震わせながら言った。 「まさかキウス様もフェーリ様を見初めているとは知らず、こんな恥ずかしいことをしでかしてしまいました。もうお許しいただけないのは承知の上です。がしかし! どうか…っ、どうかストロング家の跡継ぎだけでも見逃してはくださいませぬか……!」    ああ、なるほど。  つまりこれは賄賂なのね。  私を誘拐したけれど、キウスの名を聞いて怖気づいたってところかな? うーん、どうしよう。 「……大丈夫」  ひどく怯えている老人があまりにも哀れに見えたので、とりあえず落ち着かせようとこわばる唇を動かした。  すると老人は涙ぐんだ目で私を見上げて、「これをどうぞ……!」と更にしつこく包みを差し出してきたのだ。  いや。お金に困っている訳じゃないし、特に口止め料を受けるつもりもないのだけれど……。  うーん、怪我をさせられた訳ではないから、結果的に大丈夫だよね。 「……許す」  思い切ってそう伝えると、老人はひどく驚いた風で数秒ほど固まってから、がくりと包みを落とした。 「おお、金も要らずにお許しいただくなんて、フェーリ様……なんという寛大なお心……!」  土下座よりも誇張な姿勢で自分の手を握りあわせると、老人は烈しく嗚咽しはじめた。  確かに私を誘拐してきたけれど、まだなにもされていないし、ここまで泣かれるとなんだか逆に申し訳なくなってきた……。  やはり私が悪いの? (かどわ)かされたのは私なのに⁇  そうして泣き崩れる老人があまりにも不憫に思えてきたので、蹲る彼に手を差し伸べて、なだめるようにつぶやいた。 「……大丈夫」  私の言葉に反応して、バッと顔を上げてきた老人は信じられないというような表情で私の手を握ってきた。 「あなた様に卑劣なことを企んだわしにさえご慈悲をたれてくれるとは……ああ、息子が言った通りです……。神は生きております、いま、わしの目の前に……!」  え、神? 生きている? なんの話……? と頭の上に多くの疑問符を浮かべていると、老人は懺悔のごとく私の手に顔を(うず)めてきた。 「ありがとうございます、フェーリ様。ありがとう、ございます…っ!」  あ、いまヌルっとした触感が……! うっ、これは鼻水だよね、絶対…っ  ああ、当主とか言わないであのまま帰ればよかった……。    そうして固まっていると、 「すべての罪を許してくださる神様……、いや、聖女様! あなた様のお心はなんとお美しい……!」  ベトベトする手から老人の顔が離れ、透明な液体が線を引いてすぅと垂れ落ちた。  ゔっ! これはきつい…っ  稲妻が全身を駆けぬけたような感覚でぞわっと鳥肌が立ってきた。  そうして唖然としていると、突如耳をつんざくような轟音が鳴りひびいたのだ。  重たい物が床と衝突するような鈍い音にパリンッと一斉に割れるガラスの音。まるで大地震でも起きたかのように壁が揺れたのだ。  な、なに、どうなってるの……⁈ 「──どこに隠した⁈」  屋敷中に轟いた怒号に混じり、知らない人の悲鳴があった。誰かに切られてるの、なにが起きてるの…っ  そうしてものを破壊しながら進んでくる足音がどんどんと近づいてきて、老人と揃ってわなわなと息をひそめた。 「フェーリ様はどこだ⁈」  えっ、なに、狙いは私⁇  地響きと共に落雷のごとく扉が蹴り飛ばされ、突風を伴って私の横をすっと通りぬけたのだ。  壁に叩きつけられたその残骸に視線を動かして、ゾッと背筋が凍りついた。ぼ、ボロボロだ……。  やばい、この人に捕まえられたら死ぬかも…っ  本能的に逃げだそうとしたが、足が震えて言うことを聞かない。  そうして壊された門からずしんずしんと入ってくる足音に、もうダメかも……! と固く目を閉じた途端。 「──フェーリ様!」  聞き覚えのある声だった。  あっ、混乱して気づかなかったけれど、この声は……! 「……キウス様」  震えた声でその名を呼ぶと、キウスはさっと私に駆け寄ってきた。 「──大丈夫ですか、なにもされてませんか⁈」  とキウスは私を心配してくれたが、その漆黒の瞳にはまだ憤怒の炎がめらめらと燃えている。    いつもふわっとするキウスとかけ離れたその形相を目にして、全身に戦慄が走った。キウスが、怖い…っ  じぃと震えだしていると、キウスは何かを察した様子で尻込みした老人に顔を向けた。 「あなた、フェーリ様になにをした!」  と怒りに満ちた表情でキウスは剣を振りかざした。  ──あ、老人が斬られちゃう!  咄嗟に身を乗り出して間に入ると、途中まで振り下ろされた剣は空中でピタリと止まった。 「大丈夫。……彼を、許す」  かすれた声でそう伝えると、キウスはなんだか混乱した風で口を開いた。 「まだ、なにもされてないのですか……?」  ああ、老人になにかをされたと勘違いしたのね!  ぶんぶんと首を横にふると、「そう、ですか……」とキウスは安堵した様子をみせた。それと同時に、老人は私の足元にひれ伏せてきたのだ。 「フェーリ様……! ありがとうございます、ありがとうございます!」  恐怖で頭も上がらない老人を嫌悪の眼で一瞥すると、キウスは剣を鞘に納めた。 「フェーリ様を尊重してこの場であなたを斬らないが、死刑は免れないと思え。そしてわかっていると思うが、逃げても無駄だ」  声がすごく冷たい。  いつものキウスと全然ちがう……。すごく怖い──って、わぁ!  小動物のように身を丸めていれば、突然キウスに足を抱えられて抱き上げられた。 「……帰りましょう」  素っ気なくそう呟くと、キウスは私を抱いて歩き出した。  キウスがすごい怒ってる……。  簡単に誘拐された身分で老人を庇ったから怒っているのかな? たしかに偉そうに許すとか言える立場じゃないかも……。  うっ、どうしよう。謝りたいけど、キウスの顔が怖すぎてなにも言えない。  やはり穏やかな人が怒りだすと怖いものね。私のせいだけれど……。ごめんなさい。  そうして怒り心頭のキウスの腕の中で、小さく身震いしたのであった。
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