12. 聖女

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*********【情景】  キウスが去った後、ストロング子爵家の荒れた客間から、ひそひそと交わされる会話が聞こえてきた。 「……父様、僕に黙ってそんなことを敢行するなんて……」  背中を丸める老人の前に、小柄で可憐な少年が悲しげな表情を浮かべた。数秒ほど沈黙してから、老人は力なく顔をあげてきた。 「キーパーよ。お前の言った通りだ。あれは無茶であった……。しかし今さら悔やんでも仕方がない。もう覚悟はできた。わしは死んでももう無念はない」 「何を言っているの。父様。死ぬだなんて……」 「侯爵家の令嬢とお前が結ばれたら、既成事実で我々子爵家も侯爵の仲間入りだと思ったわしはなんと愚かな……。まさかあのキウス様もフェーリ様を気に入っていたとは…っ」  唇を噛みしめて、老人は静かに涙を流した。  そうして運命を甘受(かんじゅ)しているかのように、ゆっくりと瞼を閉じたのだ。 「フェーリ様のお許しがなければ、今頃わしはもう帰らぬ人となった……。切り捨てられる寸前のわしの前にフェーリ様は立った。救いの手をわしに差し出してくれた。……ああ…、あの光を纏ったあの後ろ姿は正しく聖女のようであった」  皺だらけの頬を濡らし、老人は淡々と言葉を続けた。 「わしはあのお方になんということを……。(そそ)がれない恥をかいてしまった…っ」  と喉の奥に声を詰まらせた後、何かを思い出した様子で老人はキーパーの手をとった。 「そうだ、キーパー! フェーリ様がお前の探していた聖女様だ、そうに違いない! 何があっても動じないあの美しい面持ち、宝石以上に透き通る青い瞳! そしてなによりわしに手を差し出してくれたあの時の輝き!」 「……な、なにを言っているんだ、父様」 「お前がいつも言ったじゃないか。キーパー! 神は生きている、その降臨を待っていると!」  固く握られた自分の手に当惑の眼差しを向けてから、キーパーは老人の顔に目をやった。 「……急にどうしたんだ、父様。いままでずっと信じてくれなかったのに…っ」 「お前が言っていた神の子と会ったからじゃ、キーパー! そうじゃあ、きっとフェーリ様がそうじゃあよ!」  強い確信のあったその発言に、キーパーは小さく息をのんだ。 「……うそ。長年僕の言葉を否定してきた父様をいとも簡単に改心させた。これは素晴らしい、素晴らしいよ、フェーリ様……。僕の待っている神の子。そうだ、僕も一度彼女と会って確かめないと……!」  そうして2人は互いの手を握りあい。異なる希望を宿した瞳で見つめ合ったのだ。
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