13. キウスの思い

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13. キウスの思い

*********【キウス・セデック】 『つまりあれだ。これは世渡り上手ってやつだ、キウス。感情的になっても仕方ないだろう? オレがいてもお前の邪魔になるだけだ』  ふっと、昔セルンさんに言われた言葉を思いだした。  4年前。元騎士団長が突然姿を消してしまい、副団長だったセルンさんが自ら王国騎士団を脱退したのだ。  子どものころから元団長に剣技を教われた私は、教われた技をそれほど努力しなくても使いこなせた。  その時からだ。  周りからタレントの持ち主だと囁かれ、私に負い目を感じて、誰一人気楽に接してはくれなくなった。  そうして孤独のまま12歳になり、父の希望どおり騎士団に入った。  そこで私はセルンさんと出会ったのだ。  元騎士団長と一緒に育ったセルンさんは剣の腕より、状況把握力と的確な判断力のほうが高く評価されていた。  気さくで誰とでもすぐに打ち解ける。  そんなセルンさんはよく幼い私をからかい、ニヤニヤと楽しそうにしていた。  毎日のように巡回と言って、セルンさんに都内に連れまわされ、「2人そろって油を売るな」と、よく元団長に怒られていたのだ。  いつも自由で気楽に生きる彼に憧れて、知らぬ間に私はセルンさんのことを本当の兄のように思えた。  私は前世、この世界よりも遥かに進歩した、無政府社会の中を生きた。  21世紀後半に、世界の実権を握っていた米州が傾きはじめ、長年の戦争の末、やっと無政府主義を実現させることができたと、歴史の本で読んだのだ。  しかし貧しい家庭に生まれた私にとって、その話はすべて過去のできごとにすぎない。入院生活を余儀なくされた私の生活とはまったく関係なかったから、興味もなかったのだ。  前世の両親は、疾患を患って生まれた私の医療費を稼ぐのに精一杯で、病室に顔をだすこともほとんどなかった。  牢獄に閉じこめられたような退屈な日々。  細胞を培養して人工的に作られた劣化品の肺で呼吸する淀んだ空気が嫌で嫌で、仕方なかったのだ。  そうしてある日の朝。  子ども用の真っ白な病室で、ぼんやりと窓の外を眺めていたら、廊下から澄んだ足音が聞こえた気がした。  それはまるでシニガミのように、一歩一歩と鮮明に音を立てながら、ゆっくりと私に近づいてきたのだ。  病床の近くまできたそれに私は懇願した。  生まれ変われるなら健康的な身体がいい。爽やかで美味しい空気を一度でいいから、吸ってみたい、と。  そうして閉じた瞼をもう一度開けたら、死に際で願った渇望はすべて聞き入れられたようだった。  逞しい身体に温かい家庭。  私は望み以上の新しい人生を手に入れたのだ。  この生活を壊さないためにも、新しい父の望みどおりに生きてきた。  王国内の貴族が血生臭い権力争いを繰りかえし、必死になっているのを横目で見ながら、私はそれでいいと思った。  セルンさんと同じように、私もうまく世間をわたるだけの人間だ。  新鮮な空気を吸って、人生を楽しみたいだけなんだ。  それなのに久しぶりに会ったセルンさんは、すっかりと変わってしまった。  いつもの余裕たっぷりの態度はもうどこにもなく、ひどく心配事を抱えているようだった。 『あれは間違いなくお嬢を殺そうとしていた。やはり噂の真否を確認しにきたのか』  と繰りかえすように口ごもった。  王子とは決して親しい間柄ではない。  だが、文家のエリック卿から激しく敵視される私を、何度かさりげなく庇ってくれた。  そんな王子がフェーリ様を殺そうとしたとは、想像がつかなかった。  そうして王子とフェーリ様の部屋からテーブルを叩く音がひびくと、セルンさんはなりふり構わず部屋に突入して、王子に手を出そうとした。  世渡り上手な彼はなぜそんな行動を取るのか、私には分からない。  それでも私に巷の遊び、そしてパイの味を教えてくれたセルンさんを見捨すことはできなかった。  無駄だと知りながらも、頭を下げて王子に許しを乞った。 「だめだ」と王子に拒否され、セルンさんはもう助からないと諦めかけていた時、どんと隣でフェーリ様が跪いたのだ。  激怒する王子の前で、床に額を擦りつけた。  そんなフェーリ様の姿が印象的すぎて、まだ鮮明に覚えている。  そうして王子の許しを得て、大粒の涙で頬を濡らすフェーリ様だったが、その表情はまったく変わらなかった。  セルンさんは体面上騎士としての仕事を完璧にこなしても、内面では縛りを嫌っている。  自分から騎士団を去った後、コンラッド家に落ち着くまで、セルンさんは多くの仕事を転々としていたのだ。  それなのに、ベッドから起き上がったセルンさんはフェーリ様に心臓を誓った。つまり命を彼女に預けたということだ。  騎士の誓いは一生の効力を持っている。  自由奔放な彼は自分の手でその自由を断ち切ったのだ。  あれから毎朝。コンラッド侯爵家のまえに馬車が到着すると、不思議と同じ表情しか浮かべないフェーリ様を見て、王子は決まって俄かに微笑んだ。  ヘラヘラと人生を過ごしてきたセルンさんも、不安げな表情から悔しそうな表情まで、色んな表情を見せてくれるようになった。  そうしてぼんやりとフェーリ様を眺めていれば、いつも表情を変えず大人しくしているのに、その仕草はなんだか多彩で、みているだけで爽やかな気分になった。  権力争いで血眼(ちまなこ)になるこの貴族社会の仕組みを、どうやらフェーリ様はまだよくわかっていない模様。  だから王国唯一の王子であるニロ様にも、護衛のセルンさんにも、同様な態度で接しているのだろう。  薄汚い欲望に目覚める前に、王子とセルンさんと出会えたから、フェーリ様はこれからも純粋のままでいられる。  心が汚されずにすむから、本当によかったなと、そう思ったのだ。  それなのに、出発前あんなにセルンさんに気を付けろと念を押されたのに、私の目の前でフェーリ様が攫われた。  すぐにでも馬に飛びのってあの馬車の後を追いたかった。  しかし、王子を1人にすることはできず、慌てる彼を馬車に乗せて王城の正門にまで見届けたのだ。  上級貴族らは、若くして騎士団長になった私を口実に、武家派閥の権力を年々拡張させている。そのことは前もって知っていたが、まさか下級貴族にまでその影響が及んでいると思わなかった。  傾きはじめた文家を見くだし、その令嬢を()っさらって既成事実を作っていたとは、正に寝耳に水だった。  そんな中、タレント持ちと噂されるフェーリ様を守ろうと、ドナルド様は世間から彼女を隠し、王城から遠く離れた地に屋敷を建ててそこに住み着いたのだ。  そうして最近、フェーリ様の容姿の情報が漏れたこと、それと彼女を狙っている下級貴族らが大勢いることを知り、ドナルド様は急きょ、フェーリ様を王城に避難させたのだ。  こうしてコンラッド家の事情を聞かされたにもかかわらず、事件は起きた。  なによりこの私がついているのに、まさか武家派閥のものが堂々とフェーリ様を攫うとは……実に腹立たしい。  セルンさんからフェーリ様を狙っている愚かな貴族の名と紋章の特徴を教えてもらったから、すぐさま犯人が分かった。  ストロング子爵。  最近タレント持ちと噂されている次期当主の活躍で、少し浮上した下級貴族だ。  それで侯爵家の令嬢に手を出せば、自分たちは侯爵家の仲間入りだと……うん。とんだ勘違いをする連中だ。  実に忌々しい…っ  個人的な事情もある。ただそれより、王子とセルンさんに癒しを与えるフェーリ様がこれで汚されてしまったら、私はもう彼らに合わせる顔などない。  そんな取り返しのつかない失敗は許せない。  この子爵の屋敷をひっくり返して木っ端微塵にしても、必ずフェーリ様を見つけ出してやる。  苛立ちを発散するように、木製の扉を蹴り飛ばした。
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