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14. 新鮮な空気
*********【フェーリ・コンラッド】
キウスに抱きあげられ、ストロング子爵の屋敷を出ると、彼の黒馬に乗せられて帰路についた。
そうして喧噪な都内を通過し、王城に直接つなぐ一本の並木道へと進んだのだ。
かつかつと音を立てながら、馬は広大な野原を走ってゆく。
静寂の中、日が傾くころになると、そよ風と共に雨がぽつぽつと降ってきた。
……少し寒いかも。
手を前に組むと、それに気づいたキウスは無言で私の肩に手を回してきた。
寒がっているの気付いてくれたんだ。
顔がまだ怖いけど……。
硬い面持ちで、キウスは茫然と道の向こうを見つめている。
濡れた身体から伝わってくる温もりに思わず緊張して身をこわばらせた。
温かいけど、気まずいわ……。
それなりの時間が経っても、キウスは相変わらず黙り込んでいた。
顔色からして、すごい怒っているわけではなさそうだけど、って、あっ!
ちらちらとその顔色を窺っていれば、ふと目が合ってしまった。慌てて俯けば、ふうとキウスはため息をもらす。
なんだか私に呆れているみたいね……。
急に誘拐されて手間を取らせてしまったわけだし、仕方ないか……うっ。
「……ごめん、なさい」
おずおず見上げると、そこには困惑したような表情があった。
「なぜフェーリ様が謝るのですか?」
口調は普通だけれど、なにげなく冷たい。
「……キウス様に、迷惑をかけた、から……」
頑張ってそう答えると、キウスは困ったような顔になった。
「……フェーリ様はなぜ犯人を庇ったのですか? 彼はあなたになにをするつもりで攫ったのか、分かりますか?」
そういえば、当主の老人にその訳を聞けずじまいになってしまったね。分からない、と首を横にふると、キウスはがっかりした様子で再びため息をもらした。
もしかしてキウスはその訳を知っているの……?
確認しようと口を開きかけたが、その前にキウスの声がひびいた。
「フェーリ様。彼らに怯えてあんなに震えていたのに、あなたはなぜ私を止めたのですか?」
彼らに怯えて……?
あ、そうだった…っ!
強風を伴い、飛んできた扉の光景とキウスの怒号をまざまざと思い出し、ふいに身震いした。
うん、どう説明すればいいんだろう。
あれは彼らにではなくキウスに怯えていたなんて言えないよ……。
こくりと唾をのみ、黙り込んでいれば、
「……思い出すだけで震えるくらい怖いのですか? 本当になぜ、あなたは彼を許すと言えたのか、私にはよく理解できません」
あっ、ダメだ。
ちゃんと答えないとますます勘違いされてしまうよ……!
覚悟を決めて硬い唇を動かした。
「……彼に、なにも、されてないから……許した」
あの鼻水の感触は一生忘れないだろうけどね……。
自分の気持ちを伝えられた、と安心したところ、
「まだ、なにもされてないから、ですね?」
キウスに呆れた顔をされてしまったのではないか……。
うぐっ、的確だわ。
誘拐犯を庇うなんて確かに甘い。けれど、それでもあの哀れな老人を見殺すなんてできないよ。
キウスの言うとおり、まだなにもされてないから能天気でいられる。ただの推測だが、おそらく老人は私を人質にしてドナルド社長からお金を脅しとろうとしたのだろう。
無理やり私を連れ去ったのは事実だし、それなりの罰が下されても可笑しくない。けれど、それでも死刑は重すぎる。それに目の前で斬ろうとするから、なおさら…っ
まだ老人から被害を受けた訳ではないから、彼を許した。これは本音だが、キウスにそう言ったら十中八九白い目で見られる。だから少し理屈っぽく呟いてみた。
「結果的に、なにも……されてないから、許した」
これで納得してくれるかな……とおそるおそるキウスの顔を仰ぎ見ると、
「……結果的に?」
とキウスは怪訝な表情を浮かべた。
なんだかもっと厳しい言葉が返ってきそうな……。背中に汗を流しつつ、こくりとうなずいた。
「……うん。では結果的になにかをされていたら、私を止めなかったということですか?」
まあ、そういうことになるわね……。
再び首をふると、キウスは興味をなくしたように肩をすくめた。
「……大切に育てられたから言える言葉ですね」
これは甘い、ってことだよね……。
やはりかと一人で悔しがっていれば、キウスの声がまた聞こえてきた。
「うん、でもそうですね。まだ純粋で可憐だから、王子とセルンさんはあなたを守りたいのでしょう」
その淡白な口調には、憐れみのような色があった。
「これからも汚されることなく、純白でいてくださいね」
そう呟くと、キウスが私の頭の上に顎を乗せてきた。
「…………っ」
私が女性だから、少しでも甘ったれたことを言うとすぐに純白だの純粋だのと勝手に憐んでくる。全然そんなことないのに、そんな真っ白な色眼鏡で私を見ないで…っ
ふいに下唇を噛んだ。
確かに誘拐されて迷惑をかけたけれど、私は誰かに守って欲しいわけではないし、守らなくてはならないものでもない。
今回の経験で王国の治安が悪いことをわかった。だから今後は自分の身は自分で守りたいし、守れるようになりたい……!
キウスの硬い胸板に手をかけて、思い切り押した。
そして不服を申し立てるがごとく、重たい唇を動かす。
「……純白とか、汚されるとか、私は紙ではない。勝手に守ろうとしないで…っ」
怒りが込み上げてきて、いつもならこわばる頬は妙に軽くなりスッと声が出た。
それに驚かされたのか、キウスは目をパチクリさせた。
「私の身と心は、私自身が守る!」
はっきりした声でそう言い切ると、動揺した風でキウスの黒い瞳が揺れた。
しっかりと自分の意思を表明したつもりだけれど、なにこの沈黙……。
そうしてゆったりと馬を止めて、キウスが茫然と小首をひねる。
「いま、目が光って……」
声が小さくてよく聞き取れなかった。
なに? のつもりで頭の上に疑問符を浮かべていると、キウスはふと閃いた様子で、自分の両手を軽く叩いた。
「……なるほど。傍にいると爽やかな気持ちになるのは、そういうことだったのですね」
そばにいると爽やか? ……なにが言いたいの?
更に首をかしげる私の頭をふわっと引き寄せて、キウスが言った。
「……そうですね、フェーリ様。あなたは紙などではない」
うん、そうだよ。白紙みたいに言わないで。やっと分かってくれたかと安心したところ、フッとまつげに温かい吐息が触れた。
「あなたは空気です、フェーリ様」
「??」
「……新鮮な空気そのものです」
納得した口調でそう言うと、キウスはニコッと笑った。
私が、空気……? いや、意味わからないよ……。
そもそもこれは紙とか空気とかの問題ではない。
守られる対象じゃなくて、1人の人間としてみて欲しいのだけれど、ちゃんと伝わったのかな……?
怪訝な目のつもりでキウスをじぃと見つめたが、その気持ちは伝わらなかったようで、キウスは「ふふっ」と嬉しそうに笑った。その顔の周りに愛らしい花がふわふわと浮いている。
「……ずっとこのままでいてくださいね」
ぎゅっと私を抱きしめてそう囁くと、キウスは再び私の頭に顎を乗せて、気持ちよさそうに深呼吸した。
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