16. 強敵の出現

1/1

557人が本棚に入れています
本棚に追加
/308ページ

16. 強敵の出現

*********【セルン・ガールド】 「城にいるドナルド様にこれを渡してくれ、急ぎ足で頼む」 「任せてください、セルンさん!」  夕方になって、やっと屋敷に馬車が戻ってきた。  無事でよかったと安堵したのも束の間、その傍にキウスの姿はなく、オレはすぐさま悪い予感が的中したと悟る。  そうして酷く落ちこむニロ様をメルリンさんに任せて、オレはドナルド様に手紙を書いた。  この状況で最優先すべきことをこなし、赤く染まった空の下でオレは番人の後ろ姿を見送った。  勢いよく走る馬蹄の音が、妙に耳の奥でこだましている。  いつまで見ても仕方ないのに、なぜか目が離せない。  ……はあ、お嬢の変な癖が移ってしまったかもな。  そう呆れつつ、握り拳を作った。  あの時、意地でもお嬢を止めればよかった。  せっかくオレにも大事なものができたのに、このまま彼女になにかあれば…っ  あ、ダメだ。  いま1番辛いのはお嬢なのに、オレはまた自分のことばかり……くっ。  深く爪を食いこませた(てのひら)で血管がドクンドクンと鈍い脈を打ちはじめ、抑えきれなくなりそうな勢いでコンコンと怒りが湧いてきた。    既成事実だろうがなんだろうが知らねぇが、あとで皆全員ひとり残らずこのオレが切ってやる。  その屍につばを吐いて人間の形が保てなくなるくらい、踏みつぶしてやる…っ  震える両手を握り合わせながら、ゆっくりと沈んでゆく太陽をながめた。  いま暴れ出しても仕方がないと、オレの理性が必死にそう訴えている。  そうだ、落ち着けオレ。  いま暴れ出しても仕方ないぞ。ああ、そうだ。分かってる。分かってる…っ  ふうと息を漏らせば、頬にぽつりと冷たい水滴が当たった。  ……分かっているのだが、今ごろ、もしかしてお嬢は…っ 「──くっ」  グッとこみあげてきた激情を抑えこむように、じぃと下唇を噛んだ。  いまのオレにできることはなにもない。  キウスに伝えるべき情報は全部つたえた。  キウスはオレなんかより全然強い。  あいつならきっとお嬢を助けてくれる。大丈夫だ。きっと大丈夫だ…っ 「……もし」  そうして立ちすくんでいると、背後からニロ様の声がひびいた。  へこむ王子をかまう余裕などねぇのに、ああ、めんどくせぇ……。  食いしばった唇から流れる液体をサッと指でとり、建前の笑顔を作った。 「何かご用ですか、ニロ様?」  振りかえると、ニロ様の驚いた表情がみえた。  オレの目をみて、どこか後ろめたそうに視線を地に落とした。なんだ? 「……ニロ様?」  高級なマントを握るニロ様に首をひねると、いつも通りの凛然とした声が聞こえてきた。 「……ふむ。キウスが犯人を把握しているから大丈夫だと申した。心配であろう其方に伝えようと思ってきたのだが、どうやら不要のようだ」  つまり、オレは心配してないって言いたいのか?  ああ、ムカつく、とニロ様の顔に視線を動かせば、ふいに目が合った。  いつもなら礼儀で目を逸らすが、いまはそんなの構ってやれない。  嫌味を言いたいだけならもう帰れ、とその目を睨んでいれば、ニロ様に困った顔をされた。 「否、嫌味ではない。キウスに情報を提供したのは其方がゆえ、不要だと言ったのだ」 「……え?」  発された奇妙な言葉に、思わず変な声が漏れてしまった。なぜオレだって断言できるんだ……?  そうして異様な輝きを放つその銀色の瞳を見つめていれば、ニロ様は面白くない顔で口を開いた。 「フェーリが特別がゆえ通じたと思ったのだが、どうやら違ったようだ」  通じるって、なんだ……? 意味が分からない。  だがそれより、いま堂々とお嬢が特別だと言ったな。はあ……。  9才の子どもの恋心など、気にするほどのものではない。  お嬢は可愛いから気になるくらいだろ。その顔を見飽きたらすぐに忘れる。  ……と、そう思いたいところだが、どうもこの王子はそんな中途半端な気持ちで言ったんじゃないような気がしてならない。  なんだ、口調が冷静だからか? それとも『特別』という言葉か?  普通の子どもならもっとこう、好き好き〜とか、嫌い嫌い〜とか、バカみたいに騒ぐからな……。  違和感を覚えつつ、平然を装って王子に聞き返した。 「……通じるとは、どういう意味でしょう?」 「よい。大したことではないのだ。それより、フェーリを拐った輩のことを教えたまえ」  うん、やはりこの王子の口調は冷静だ。  どこか大人びている……っていうか、そもそも子どもっぽくないんだよな……。  噂どおり優秀のようだが、どう考えてもまだ貴族間の賎劣な企てには早いだろ。  つーか、誘拐婚から説明しないといけないじゃないか。  いや、さすがに言えねぇな……。  答えに困っていると、オレの目を凝視していたニロ様が急にゾッとした顔になって、俯いた。その小さな肩は小刻みに震えている。  え、急にどうしたんだ……?   いまさら誘拐のことを思い出して怯えだしてんのか? 「……ニロ様、どうかなさいましたか? 具合でも悪いのでしょうか?」  恐る恐るそう聞くと、バッと顔を上げてきたニロ様は息まくように呟いた。 「……許さない、断じて許さない」  うわっ、顔がこええ……。  いつもイライラしているようだったが、本気で怒るとこうも恐ろしい雰囲気 になるのか。本当に9才なのか、この王子……。  真っ直ぐに睨んでくるその激しい視線に、背筋にザワザワ鳥肌が立ってくるのを感じた。  まさかこのオレが子供に気圧されるとは……。  王子の目を直視すれば死ぬって噂はただのでまかせじゃねぇな、こりゃ……。  わけもわからず怒り狂う王子に怖じていれば、ふと濡れたレンガを蹴る蹄の音が耳に飛びこんできた。  ──まさか!  (きびす)を返すと、ちょうど正門をくぐってくるキウスの姿がみえた。その腕の中にお嬢がいる。 「──お嬢!」  まだ完全に止まってない馬に駆けより、キウスから奪うようにお嬢を抱きあげた。  服が乱れていない。無事だったようだな。  ああ、間に合ってよかった……って、あれ。  表情はいつも通り平然としているが、お嬢が震えている……。  オレが心配するから、無理に強がっているのか。  相当怖い思いをしたんだろうに、くそ…っ  もう2度とこんな思いをさせない。   次は何があっても、必ずオレがそばにいてお嬢を守ってやる……!  震えるその小さな体を愛しそうに包みこむと、 「……クチュン」  耳元に愛らしいくしゃみが響いた。  あそっか。寒いのか!  上着をかけようと慌ててお嬢から離れた。  すると見計らったかのように、ニロ様がふわっとお嬢に黄色いマントをかけたのだ。 「フェーリ、よくぞ帰ってきてくれた」  後ろから手を回して、ニロ様がぎゅっとお嬢に体を密着させた。そしてぴったりと頬をくっつけて、安堵した風で目をつむる。  近い近い近い、近すぎるっ!     2人共まだまだ子供だがこれはねぇだろっ!   真っ赤な顔で恥ずかしそうに固まるお嬢をみて、思わずイラっときた。 「ニロ様、お嬢様が風邪をひいてしまいます。まずは屋敷に戻りましょう」  笑顔でそう唆すと、ニロ様はオレにジト目を向けてきた。 「先ほど遠慮して其方の邪魔をせずに待っていた。其方もちとは空気をよみたまえ」  はっ、空気ってなんだよ⁇  そんなのどうでもいいから早くオレのお嬢から離れろよ!  心の中でそう叫ぶオレに反論するかのように、王子が声を発した。 「……勘違いするな。フェーリは其方のものではない」  オレのものって、えっ! いや、そういう意味で言ってねえよ……!  ってか、お嬢はまだまだ子どもだし、歳もかなり離れてるし。もちろん大事だが、オレはその、そういう淫らな……って、なに焦ってんだ、オレ……。  ふいに固まっていれば、ニロ様の照れた瞳が視界に入った。お嬢の顔に視線を固定したまま、初々しく囁いた。 「今はまだ、余のものでもないのだが……」  うん。やっぱむかつくなこの王子。 「お嬢様が寒がっています、ニロ様。そのを離してくださいますか?」  体の周りに黒い(もや)のようなものを大量に噴出させながら、できるだけいい笑顔でそう言うと、王子も負けじとその小さな身体に猛烈な炎のようなものを纏った。 「フェーリが寒がっているゆえ、こうして余がめているのではないか?」  ああめんどくさいな! 温めなくていいから速く手を離せ……!  小雨に打たれながらピリピリと電気のようなものが二人の間に交差した。  子どもと張り合っているみたいで大人げないが、でも気を抜けばこの王子にやられてしまうとオレのカンが言っている。  9歳と幼気にみえるが中身は真っ黒だ、絶対! 「ごほん」  しばらく王子と対峙していると、馬から下りてきたキウスが仲裁に入った。 「王子。とりあえずフェーリ様を屋敷に入れましょう」  ぼんやりした様子のキウスを仰ぎみて、ニロ様が惜しそうにお嬢から離れた。  やっとか!  よし、あとはお嬢を抱き上げて部屋に──って! 「おいっ、キウスお前!」  オレの前に、キウスがさっとお嬢を抱き上げた。そして素晴らしく速い動きでスタスタと屋敷に向かったのだ。 「……?」  その動きについていけなかったのか、王子はまだ茫然としている。  オレの目にしても速かったからな、あの速さ。あいつは本気だ。 「ふふっ。フェーリ様は疲れているだろうから私が部屋まで運んでいきます」  上機嫌な様子で、キウスは颯爽とお嬢を連れさった。  今朝までお嬢に興味なかったじゃねぇか、お前……!    どういう風のふきまわしだよ! と取り残された王子の隣で、オレはキウスの後ろ姿を目で追った。
/308ページ

最初のコメントを投稿しよう!

557人が本棚に入れています
本棚に追加