18. 見舞い

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18. 見舞い

*********【フェーリ・コンラッド】 「……クチュン」  意味不明な誘拐事件から一夜が明けた。  小雨に打たれて、私は風邪で昨夜から昼までずっと寝込んでいたのだ。 「大丈夫かい、お嬢?」  部屋に入ってきたセルンの声がひびき、返事として軽くうなずいた。そのまま視線をその手に落とすと、精巧な銀盆がみえた。  本来、護衛のセルンは私の寝室に入ってはならない。  しかし攫われた私の警備を強化する必要があると、セルンがドナルド社長に願いでたらしく、特別に許可を得たのだ。  仕事になるとセルンって本当に真面目なんだよね……。 「温かいスープを持ってきたよ、お嬢。飲める?」  そう聞かれ点頭すると、彼は安堵したように小さく息を漏らした。  そうして隣の椅子に腰をかけると、セルンはスープをすくってフーフーと息を吹きかけたのだ。  毒があるかどうか、味見するのかな?  え、そこまでやるの……?  徹底したその態度に驚いているうちに、セルンの目と視線が甘くからむ。 「ほら、お嬢。口を開けて」    ゆったりと微笑んで、セルンが私の口元にスプーンを寄せてきた。  ああ、そうか。  毒見じゃなくて、食べさせてくれるのね──って無理無理むり無理っ!  ただでさえ色気満載のセルンに弱いのに、あ〜ん、とかできるわけないじゃない……!  あ〜ん、とか……。  うぐっ、想像しちゃダメ…っ!  ふいに風邪と違う熱が上がってきたので、焦って文字を書いた。 <自分で食べる!>  勢いよく紙を突きだすと、セルンはやや悔しげに口を尖らせた。 「むっ、ちょっとは甘えてくれてもいいのに……」 『ほら、お嬢。口を開けて』 「!」  ど、どうしよう……!  さっきの甘い囁きが頭から離れられないよ…っ  ちがう、だめ。セルンは私の頼もしい騎士。  それ以上でもそれ以下でもないの……!  イタズラ好きのセルンはいつも面白がって私をからかってくる。  はやくその魅力を克服しないと心臓がダメになっちゃうかも……。  目をつむりそう考えていれば、ふと額に冷たい感触が伝わってきた。  驚く拍子に顔を上げると、なぜだか顔を近寄せてきたセルンと鼻先が触れてしまった。  うっ、近い、なんで……! 「……じっとして」  セルンもやや不意をつかれた様子だったが、すぐさま妖艶な笑みを浮かべて、私に額を寄せてきた。そうしてしばらく額を密着させると、困ったようにつぶやいたのだ。 「昨日から熱が下がらないな……」  うん。これは多分セルンのせいだと思う……。  心の中で小言を漏らす私の頭をぽんぽんして、セルンが離れていった。 「さぁ、はやく食べて元気になってよ。お嬢」  恥ずかしさに耐えながら、ぎこちなく銀盆を受けとると、湯気を立てるスープの香ばしい匂いが漂ってきた。  淀みなく透き通ったスープの輝きに誘われて、早速一口すすった。  弱火でじっくりと煮込んだニワトリの出汁が口いっぱいに広がり、香草の風味が優しく鼻腔をくすぐった。  濃すぎず、さっぱりすぎず、ふんわりとした柔らかい味。  身体が弱っているせいか、栄養を求めてぺろりと飲み干した。 「……美味しい」  甘いものはだめだけれど、ちょっぴり食いしん坊だから美味なものを褒めないと気が済まないのだ。 「気に入ってくれたようで、嬉しいな」  そう言って、セルンがニコッと笑った。  料理人が作ったスープを褒めているのに、なんでセルンが喜んでいるのだろう?  小首をかしげる私をみて、セルンは照れくさそうに口を開いた。 「……ああ、そのスープはな、オレが頑張って作ったやつなんだよ……」  鼻の下をこすりながらそう教えてくれた。  えっ、騎士のセルンが料理……⁇  本職ではないのに、こんなにも美味しくできるの……⁈ <セルンが作ったの? すごい、天才だね!>    紙でそう褒めると、 「……え?」とセルンが瞠目してから、だんだんとその表情を曇らせた。  な、なんで悲しそうなの?   もしかして、褒め言葉を間違えてしまったのかな……?   セルンは騎士だから、剣の腕を褒めるべきだったとか?  確かにセルンが強いと褒めたことはない。  これだと、まるで剣技の才能がないみたいに聞こえたかも。  う、やっちゃった……!  <みんなの憧れの騎士団に入れて、料理も美味しくできて、本当にすごい。セルンは多才だね>  慌ててフォローを入れると、セルンは更に暗い顔をして、心細そうに私から目をそらした。 「天才だなんて、そんな……。オレはただの凡人だよ……」  謙遜、しているわけではない……。  いつも自信満々なのに、雰囲気が変だわ。  よく分からないけど、セルンは凡人のはずがない。だって騎士なのに、こんなにも美味しいスープが作れるんだよ? 普通じゃないもの。  そっぽを向くセルンの袖を引っ張り、紙をみせた。 <他の人はどうか分からないけれど、私にとってセルンは天才だよ> 「……っ」  これを読んだセルンがピタッと固まってしまった。  その頬はみるみる紅葉色に染まり、とうとう耳まで真っ赤になったのだ。  まあ、セルンが恥ずかしがってる。珍しい〜!  もしかして、余程料理にこだわりがあったのかな? 意外と恥ずかしがり屋なのね。  ふふっと内心で笑ったら、セルンはふわっと私の頭をぽんぽんして、 「……ありがとう、お嬢」  とそれはそれは幸せそうに顔を綻ばせた。  その笑顔はいつにも増して艶っぽくみえた。  うっ、普通に微笑んでいるだけなのに色っぽい……。なんで?  そうしてセルンと見つめ合い、また体の中に変な熱がこもってきたところ、コンコンと扉が叩かれた。  どうやらニロがお見舞いに来てくれたそうだ。それを聞き、上機嫌だったセルンが表情を一変させて、 「お嬢がまだ熱を出しているから会えないと、ニロ様にそう伝えてくれ、メルリンさん」  やや苛立ったような口調でそう言った。すると間を開けずに扉が開かれて、しかめ顔のニロが入ってきた。 「……其方が会えるのに、余が会えないことはなかろう?」  セルンを睨みそういうと、ニロが私のほうに視線を動かした。 「こんにちは、フェーリ」 「……こんにちは、ニロ」  近くまでニロがくると、反対側にいるセルンはいい笑顔でぺこりと頭を下げた。さっきまで嫌そうな表情だったのに……。 「ニロ様。僭越(せんえつ)ながら、王子であられても、淑女の部屋に堂々と入るのはあまりよろしくないかと」 「ふむ。先ほど書斎でドナルド卿と話をした。それで入ってもよいと言われたゆえ、問題なかろう?」 「……くっ。ええ、はい。そうですね。それなら問題ないでしょう」  とセルンは頬を引きつらせてから、ニコッと笑った。  2人がそう挨拶を交わしている間、部屋の外にいるキウスの姿が視界に飛び込んだ。  さすがに入ってこない……か。  そんな風に考えていれば、私の視線に気づいたキウスはニコニコと口元に笑みをたたえたのだ。  私が風邪を引いているせいか、ふわふわと浮いている花の数がまた増えた気がする。  怒る時は怖いけど、普段は爽やかな人だね、なんて思っているところ、突然ニロが声をかけてきた。 「そうだフェーリ、お前にいいものを持ってきた」 (……なに?) 「ふふっ。まずは目を閉じたまえ」 (……ん? 目を閉じないとだめなの?) 「ふむ!」  となぜだかニロがワクワクしている。いつも沈着としているのに……?  不思議に思いながら言われる通りにすると、昔の記憶を呼び起こす懐かしい匂いが鼻先をかすめた。  なんだろう? と思い出そうとしているうちに、温かいものがするすると口の中に流れ込んできた。ふいにそれを飲み込むと、表現し難い独特な味が喉を潤ったのだ。  え、これは……! (……甘酒⁇)  興奮してぱっと瞼をあけた。 「ふむ。お前も知っているのか。よかった」  とニロは嬉しそうに笑った。 (ねぇ、なんで? どうやって作ってもらったの?) 「ふふん。ちがう、作ってもらったのではなく、これは余の手作りだぞ」  そう言ってニロは誇らしげに甘酒を差し出してくれた。  え、ニロが厨房に入ったの? ……王子なのに?   騎士のセルンもそうだったけど、もしかしていま手作りの料理が流行っているのかしら……?   そういうのに疎いからよくわからない……って、あれ? ちょっと待って……。  穀物の生産に適しない王国は、米麹どころか、米でさえ流通していないのだ。ニロは西の国から直接買ってきたのかな?   いや、でも気温を考えると、年中寒い西のほうで米麹が生産されるとは思えない。 (ねぇ、ニロ。作ったと言ったけれど、一体どこから米麹を手に入れたの?) 「ふむ。実は味噌が懐かしくて、随分と前からいろいろな人に麦や米、大豆のことを尋ねたのだが、ずっと見つからなくて困っていた。それがこの間、先日の宴会でバイオリンの演奏を披露さえすれば、なんとか探してくれると余の教師が買ってでたのだ。それでその要望に合わせて手に入れた」  ニロの教師がなんとかして探す……?  (え、具体的にどこから探してきたの……?) 「ふむ。南の国から手に入れたと聞いた」 (南の国⁇ たしかに穀物はいっぱいありそうだけれど……で、でもうちの王国は西の国としか交易をしないはずで……)  おそるおそるそう匂わせたが、 「ふむ。そうだな。であれば西から輸入したのであろう?」  ニロは平然とした口調でそう返してきた。  なるほど。ニロはわかっていて使っているのね……。 (そうだよね……)  気づかないふりしてそう相槌を打つと、手に持つ甘酒を後ろめたそうに眺めた。 「それより味はどうだ? 温め直してもらったが、お前の口に合うか?」  急にニロから感想を迫られ、「……美味しい」と声で答えれば、ニロは「ふむふむ」とご満悦の様子を見せた。  そしてその味が恋しくて、いけないとわかりつつも再び甘酒(密入品)を口に運んだのだ。
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