23. 現実

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23. 現実

 キウスとの婚約をきっかけに、私はこの国の現実を知ることとなった。 【テクディ・タメイ王国の経済は、西に位置するプロテ・モロコ国に頼っている】  昔、読書室で読んだ本には確かにそう書かれてあった。  しかし、王国がいつまで経っても西の抑圧から脱却できないわけは、単に経済の事情だけではない。  その根本的な原因は、王国自身の歴史に根付いていたのだ。  もともと北に位置する帝国領地の一部であったこの王国は、帝国内の有力な諸侯による内乱の末、80年前に成立したばかりである。  さらにいうと、それは西の国による軍事的な支援があっての独立であった。  それは、西から流れるユーグリス川の定期的な氾濫に恵まれた、この地域を見越しての支援だ。  そのため、この王国は最初から西としか外交を有さないという、可笑しな条件付きで始まった。  戦塵の結果であるこの王国は経済だけではなく、政治も混とんとしている。  その大きな理由は独立を実現させた文武2大派閥の分裂にある。  それは西との条約を提案した文家と、実際に反乱軍を導いた武家。  もとより、この両派閥は王国のあり方に異なる思想を持っている。  よって、権力争いが延々と続き、一触即発のなか、代表で選ばれた王は中立的な立場を余儀なくされてきたのだ。  結局、80年経った今もなお、国は崩壊の危機にさらされたまま。  完全なる独立とは言えないのが現状だ。  文家が傾けばと経済は低迷する。  他方で武家が傾けば西の進軍に対抗できなくなる。  どちらも均等に保たなければ、この国はすぐに西の属国と化してしまう恐れがあるのだ。  文武の実権を握っている上級貴族らは、この実情を把握している。  それで、長きにわたる両派閥の敵対関係を解消するための契機をずっと模索してきたのだ。  そしてそれが、私とキウスの契りである。  実権をにぎる上級貴族の子女であるキウスと私は、同じタレント持ちの秀才にして、次期国王であるニロに信頼されている。  お互い劣らない条件を備えているってわけだ。  表向きに文武双方が譲歩することなく、ギクシャクする下級貴族らを黙らせるための要件が満たされている。  文武両派閥を代表するコンラッド家とセデック家。  この融合を大変喜んだ国王陛下は、王城で大きな祝賀会を開催してくれた。  これを機に王国が安定し、ようやく発展できると期待されているのだ。  そして文武両派閥に支持されるニロの権威もより一層高まり、いままで立場が曖昧だった王家の権限が更に確保されることとなった。  想像を絶する複雑な政治関係を聞かされて、とことんキウスとの婚約は必要不可欠だと、肺腑(はいふ)にしみ入る思いで社長の判断に納得した。  悲しむ私をみて、今後王国の政治さえ安定すれば、象徴であるこの婚約の解消も可能だと社長は宥めてくれたのだ。少なくとも、ニロとはそう約束していると私の頭を撫でてそう言った。  ニロは私を守るために社長と事前に話をしていたのか……。  どこまでも私のことを思ってくれるニロの優しさに強く心を打たれ、胸がいっぱいになった。  そうして、私は王都に住むことになったのだ。    ちなみに、表向きの本しか読んでこなかった私は、ニロに教えるほどの知識など持っていない。だから結局のところ、ニロの教育係という肩書きは、最初から文家の実力を誇張するための大義名分にすぎなかった。  これもすべて、婚約を可能にするための飾りなのだ。  畢竟(ひっきょう)するにニロが私を指名しなくても、いずれそうなるよう社長は仕向けるはずである。  そして現にニロの教育を任されているのは、もちろんドナルド社長だ。  9歳でありながら、社長と例の約束を機に、ニロは王国の政治に参加しはじめた。  貴族間の親睦を増やすための宴会や会合に必ず出席して、社長の助言のもとで各貴族の動向を把握しようとしていると聞いた。同時に民の支持を得るためのプロパガンダ、簡単にいうと情報操作についても勉強しているようだ。  そうしてニロは多忙になり、中々会えなくなってしまった。    寂しい気持ちを紛らわすためにも、そしてニロに追い付くためにも、私は社長が用意してくれた本を読み漁った。  正面からこの世界と向き合おうと、できる限りの知識を取り込むことにしたのだ。  その流れで今日も朝早くから読書室にこもり、1人で本を読んでいると、いつものようにセルンがお手製の朝食を持ってきてくれた。  凄い勢いで料理の腕を上げているセルンに美味しい美味しいと褒めながら完食すると、廊下からコンコンと扉が叩かれた。 「お嬢様。入室許可をお願いします」  息子のフィンの様子を見に、一度里帰りしたメルリンの声が届いた。  もう帰ってきたのか……!     驚いて椅子から立ち上がり、合図としてセルンに頷く。そして部屋に入ってきたメルリンに早速紙を見せたのだ。 <フィンの様子はどう?> 「ええ。フィン坊はお嬢様と会えなくなってとても悲しそうにしていたのですが、お嬢様から預かったお手紙を渡すと、字が読めないくせに自分で読むからと言って、大事に取って置きましたよ」  ある程度簡単な言葉なら読めるメルリンはそれは嬉しそうにフィンのことを語り聞かせてくれた。 【会えなくなって寂しいけど、フィンと再会できる日を願っている】  フィンに宛てた手紙の内容はこのくらいのものだ。  すごい大事にされると、逆に申し訳ないわ……。  そんな風に思っていれば、メルリンは私からセルンの方に視線を移した。 「セルン様、フィン坊のために本当にありがとうございます。これでやっと私もお嬢様のお世話に専念することができます」  深々と頭を下げるメルリンに、「ああ、後はちびすけ次第だがな」とセルンは笑顔で返した。 <ねえ、セルンもフィンを知っているの?>  意外に感じて紙でそう問えば、セルンはすぐに頷いてくれた。 「ああ。短い間だが、元の屋敷にいた時はよくちびすけ、あいや、フィンに剣技を教えていたんだ。あいつは口癖のように早く王国騎士団に入って『身分を高めた〜い』とか毎回煩くてさ、本当参ったもんだよ」  へえ、フィンは王国騎士団を目指していたんだ……! 知らなかったわ。  あの時、騎士の真似事をしたのはそういうことだったのね。うふふ。可愛いわ〜。  懐かしい日々のことを思い出し、ほんわかな気持ちになっていると、隣から更にセルンの声が聞こえてきた。 「才能にも権力にも恵まれないあいつだが、バカみたいに必死だからさ、ほっとけないんだよなー。……とまあ、いじめ甲斐のあるやつだから、付き合ってやったのもあるが……でもほら、オレはもうお嬢と一緒に王都で暮らすことになったからさ、残念だがあいつとはもう会えない。それだと可哀想だから、メルリンさんに紹介状と金を持たせて、オレの知り合いのところに任せることにしたんだよ」  意地悪そうな顔で語り出したセルンだったが、途中からその表情に優しさが帯びてきて、不思議な温かみを感じた。  ……そうか、セルンもフィンのことが好きなんだ。なんだか嬉しいわ。 <セルンの知り合いのところにいるなら、フィンの将来も安泰だ。よかった。ありがとう。セルン>  爵位は私より下だけれど、セルンも立派な貴族だ。  だから、セルンの紹介であれば、フィンも平民以上の教育を受けることができると思う。本当によかったわ。 「いや、後はあいつ次第だし、オレは全然大したことやってないよ」 「そう仰らないでください、セルン様!」  セルンの声に被せるように、メルリンが声を発した。 「セルン様のお陰でフィン坊はもう衣食住に困ることはありません! それどころかちゃんとした教育を受けられますもの! 本当に、本当にセルン様にはいくら感謝してもしきれないくらいです……。この恩をどうあなたに返せばいいのやら……」 「あ、いやいや! まじで大したことしてないから、気にしないでくれ!」    と急に涙を流しはじめたメルリンに手を振りながら、セルンは申し訳なさそうな顔をした。 「本当はさ、オレは自分であいつの面倒を最後までみるつもりだったんだよ……。ただあいにく、それよりもずっと大事なものを見つけたから、あいつをほかの人に任せることにした」     そう言って、セルンは私の頭をぽんぽんした。 「?」  ……大事なもの? と首をかしげる私から、セルンはメルリンにもう一度顔を向けた。 「結局はさ、オレは自分のことばかりを優先する。ただそれでもあいつには悪いと思ってるから、できる限りのことをしてやったまでだよ。だからまじで気にしないでくれ」  そう加えるとセルンは再び私をみて、それは幸せそうに微笑んだ。うっ、少し慣れてきたけれど、やはり色気がすごいわ、セルンさん。  そういえば、セルンの大事なものってなんだろう?     聞いていいのか分からないから、とりあえず口をつぐんだ。だって、令嬢の私の質問なら答えないといけなくなるかもだからね。  セルンが自ら教えてくれるまで待ったほうがいいと思う。    それにしても、まさかフィンは王国騎士団を目指していたなんて驚いたわ。  自分の夢に向かって、いまもフィンはセルンの知り合いのもとで、一生懸命訓練しているのかな……。  まだ若いのに、すごい立派な目標を持っていたのね。  目標、か……。  転生してからぼんやりと日々を暮らしてきたけれど、最近ようやく私も生きる目標らしいものを見つけた。  ──いつか、ニロの仲間に相応しい人になりたい。  いままでの私は甘すぎて、ニロの足ばかりを引っぱってきた。  これから政治のことを学び、成長していかないと、いつかニロに呆れられて見捨てられてしまう。  そんなの絶対に嫌だ。  政治に向いているか分からないけれど、私も精一杯頑張ろう!  グッと気を引き締めて、それから私は本に没頭する日々を過ごしたのだ。
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