24. 天使の顔をした悪魔

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24. 天使の顔をした悪魔

******【情景】  赤く澄んだ石で作られた屋敷。  そこからそう遠くない庭園の片隅に、星空の美しい光を浴びて、空高く剣を振りかざすフィンの姿がいた。  夜のしじまを切り裂くように、フィンはスッと剣を振り下ろし、ハッと力強く声を発した。  よく鍛えられたその身体は硬い筋肉で覆われている。  爛々と燃え盛る青い瞳で、フィンは額の汗をふり払うように、ひっきりなしに剣を振り下ろしたのだ。 「!」  背後に忍びよる影に気づき、フィンはバッと振りむいた。 「おっ! 勘が鋭くなってきたじゃのう、フィン」 「……バーレ師匠~!」  突如現れた初老の男性に、フィンは明るい笑顔で迎えた。 「努力を惜しまないのがお前の長所じゃ、フィン。だが度が過ぎると体がもたんぞ」  短く整えられた顎ひげを撫でながら、バーレは真剣な表情でそう言った。 「まだまだ頑張れま〜す!」  ブンブンとフィンは素早く剣を左右に振って、にかっと笑った。 「やれやれ……。はあ、今日はもう休め、フィン」 「はい!」  バーレの困った表情をみて、フィンは素直に戻っていった。屋敷に向かって走ってゆくその後ろ姿を見届けると、バーレは木々の間に険しい眼差しを投げかけた。 「何者じゃ、出てこい!」 「…………」  わずかな足音もなく、1人の若い男性が姿を現した。  青白い月明かりに照らされた男性の端正な顔を目にして、バーレはぎょっと目を剥く。 「お前は……アンジェロ、アンジェロ・ガールドではないか!」  驚いた顔から一転して、歓喜に満ちた表情でバーレはアンジェロの両肩をぐっと掴んだ。その手はひどく震えている。 「今までどこで何をしていた、アンジェロ! 4年前なぜ何も言わずに姿をくらました! 騎士団団長のお前の失踪でどれだけわしゃみんな苦い思いをしたものか……」 「……心配かけてすまない、バーレさん。もう大丈夫だ」  目に涙を滲ませたバーレに、アンジェロは悲しい笑顔を向けた。 「アンジェロ。なぜまた急に戻ってきた。セルンは知っているのか、お前が帰ってきたこと?」  バーレに軽く首を横に振ってから、アンジェロは懐から1通の手紙を取り出した。 「事情が変わったのだ、バーレさん。あなたに頼みがあってきたんだ」  黒い封蝋に押された貴族の印章を確認すると、バーレの眼光が咄嗟に鋭くなった。  そうして手紙を読んでいるうちに、その顔からドンドンと血の気が引いていった。 「……こ、これは……正気か、アンジェロ?」  震えたバーレの声には、興奮と恐怖が混じり合っていた。 「ああ。コンラッド侯爵からこの企てを聞かされてから4年。これの実現を目掛けて、私はずっと西の国に潜伏していたのだ。そしてついに文武両家が融合した今、やっと計画が本格的に動き出せる」 「……コンラッド。……ふん」    その名を繰り返すと、バーレは嫌悪そうに目を細めた。 「やはりお前の失踪にゃあのコンラッド家が背後にいたのか。噂を聞きつけてあの家に潜入したはずのセルンも今となりゃやつにいいように使われている。邪智深い文家め、侮れぬ……。特にあのドナルドだ、一体どこまで手を回しているのじゃ……」 「そう言わないでくれ、バーレさん。ドナルド様は真摯に王国の未来を思う数少ない優れた方だ。その彼の働きでやっと王国が安定してきたのだ」 「王国の安定。ふん、王国本来の目的を見失った文家の働きなど、惜しむにたらん」  憎悪の色がはっきりと混じったバーレの口調に、アンジェロはただただ困ったように眉尻をさげた。 「……落ち着いてくれ、バーレさん。文家も武家も、元を言えばみな同じ理想をもった仲間ではないか。この計画が成功すれば、王国はやっとあるべき姿に向かっていけるのだ。王国の繁栄のためにも、諸侯が再び団結せねばならない」 「……アンジェロ。まさか、お前はまだその夢を諦めていなかったのか……」  ふいと暗い顔になったバーレに、アンジェロはやるせない表情で、静かにまつげを伏せた。 「ああ。いろいろと手遅れだが、いよいよ実現できそうだ」 「アンジェロ……」 「まあ、それより、この手紙をみてくれ」  バーレの手中にある手紙に視線を投げかけて、アンジェロが唇を和らげた。 「ここにも書いてある通り、いまのセデック家はコンラッド家を全面的に支持している。だからバーレさん、我々も同じ武家として協力していかねばならないのだ。力を貸してくれないか?」 「……力を貸す? よく言うわい。拒否権なんぞ初めからわしにゃなかろうが」    はあ、と呆れたように息を吐きつつ、バーレは肩をすくめた。 「ガールド家の命令に逆らうわけにゃいかぬ。なるだけ巣立ったやつらに声をかけてやるよ、アンジェロ。そして今屋敷にいる若造共にも頑張ってもらおう。なにぶん戦争にゃ若い力が必要じゃからな」 「ああ、感謝する」 「なに。これは可愛い弟子の頼みでもあるのじゃ、快く引き受けてやろうぞ」  再びアンジェロの肩に手を置いて、バーレは顔を綻ばせた。そして何かを思い出したように、ニヤニヤと呟いた。 「そういや、セルンのやつが珍しくわしのところに弟子入りの紹介状を寄越したぞ」 「……セルン、が?」 「そうじゃ、あのセルンが、じゃ! あの手紙をもらった時、怪しんでわしゃ何度も読み直して筆跡を確認したくらいじゃぞ。ガハハッ!」  驚くアンジェロをみて、バレーは大口を開けて豪快に笑った。 「最初は同じ文家の出だからかとわしゃ思ったが、そりゃちがったようじゃ。あのフィン坊を見ているとな、あの真っ直ぐな瞳はどこかお前とよく似ているのじゃよ、アンジェロ。そいであのセルンがわざわざわしのところに彼を託したのかと、なんとなくじゃが納得したのじゃ」  そう言ってバーレはコクコクと嬉しそうにうなずいたが、一方のアンジェロは悲しそうに目をそらした。  それをみて、バーレは慎重な口調で言葉を紡ぎだしたのだ。 「……じゃがな、アンジェロ。フィンはお前とは違う。やつは自分のためだけに一生懸命で前向きだ。才能と家柄に恵まれていないが、あれはあれで幸せじゃと、わしゃつくづく思うぞ」 「……ああ、たしかにそうかもな。……バーレさん、そのフィンとは、先ほどここにいた坊やのことか?」 「そうじゃ」とバーレが肯定すると、アンジェロは閃いたように目を光らせた。 「セルンの紹介、か……。うん、バーレさん。そのフィンを私が引き取っても構わないか?」 「ほ、本気なのか、アンジェロ!」  とバーレはあんぐり口を開けた。 「かのキウスを育て上げたお前が直にフィンの面倒をみるというのか⁇」 「ああ。フィンはセルンとバーレさんが見込んだ子だ。彼ならこの計画に必ず役に立つだろう」 「……なるほど。そうか、よかろう! フィンをよろしく頼むぞ、アンジェロ!」 「ああ、あとでセルンにもそう伝えてくれ」 「言わずともそうするじゃ!」  満面の笑みを浮かべるバーレに頷くと、アンジェロは極わずかに口角をあげた。そして上りはじめた陽光を手のひらで感じてから、ゆっくりと握り拳をつくったのだ。
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