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******【フィン・エアン】
持ち物を雑に入れた革製の鞄を片方の肩に、俺は小走りで馬車に駆け寄った。ポカポカ〜。朝日の日光が温かいぜ〜。
けさ、急遽バーレ師匠から新しい師匠が決まったと言われ、俺はひどく戸惑った。だが、その新しい師匠はなんと、俺の憧れの王国騎士団の元騎士長だったそうじゃないか!
グングンと気分が舞い上がり、俺は必需品だけササっとまとめて、屋敷から飛び出たのだ。
「──うぬっ⁈ ……もう準備できたのか、フィン?」
猛突進してきた俺を見て、バーレ師匠は目を見張った。
喜びのあまりぴょんぴょん飛びながら「はい!」と答えれば、バーレ師匠はがっかりした様子でため息をついた。
「……ちっともこの屋敷に未練がないようじゃのう、フィン」
バーレ師匠はすんげえ優しいから好きだ。いつも俺をよくしてくれるから、離れるのは少し寂しい。
だが、今日から俺はバーレ師匠よりも優れた人のもとで剣技を学べるのだ。こんなのまるで夢のような話。
浮かれて「はい!」と声を上げたら、バーレ師匠は泣きそうな顔になってしまった。
もちろん、後でちゃんとバーレ師匠に別れの挨拶を告げるつもりだ。ただ、いまは胸の興奮を抑えるのに精一杯で、そんなところではない。
新しい師匠。まだ来てないのかな?
そうしてキョロキョロと新しい師匠の姿を探していた時。
「用意が済んだなら行こうか、フィン」
「うわっ!」
突然背後から肩を掴まれ、びっくりして跳ね上がった。
え、こんなにも近くに居たのに、全然気配を感じなかった……! とふいに固まる俺をみて、恰幅の良い男は微笑んだ。
この人がバーレ師匠の言ったアンジェロか……。
首まで真っ黒な髪を伸ばし、筋肉質で麦色の肌をしている。
すげえ! こんなにも筋肉があるのに、全く音を立てないで動けるんだ……。
やばい、やばいやばい! めっちゃくちゃ強そう〜!
そうしてプルプルと興奮する俺の肩をぽんぽんと叩き、アンジェロは柔らかい笑みを見せてくれた。
「時間がない。さあ、行こう」
「あ、はいっ!」
アンジェロに手招きされて、俺はぴょんと馬車に乗った。
「慣れないところで心細いじゃろうが、あちらでアンジェロの言うとおりにして、迷惑をかけてはいかんぞ、フィン」
「はいっ、分かっています‼︎ いままでありがとうございました、バーレ師匠!」
深々とお辞儀をすると、バーレ師匠は顎ひげをなでながら、満足げにうなずいてくれた。
そうしてガタガタと走り出す馬車の中で、俺は肌身離さずに持っている手紙を開いたのだ。
フェーの筆跡……何度見ても美しいな……。
指先でその黒い文字を辿ってから、ぎゅっと胸に抱きしめた。
なんて書いてあるのだろう……早く読めるようになりたいよ……。
俺は平民同然の身分だから、ほかの使用人に白い目で見られて育ったのだ。
それなのに、みんなの憧れのフェーは、俺にだけ特別に優しい。
自分も食べたいはずなのに、フェーはいつも美味しいケーキを俺に譲ってくれた。
そして才能もなにもない俺を、フェーはいつも好きだと言ってくれた。
身分など関係ない。フェーは本気で俺を思ってくれているんだ。
それなのに、フェーは知らない人と婚約を無理やり結ばされて、俺らは会えなくなってしまった。
俺は身分が低いから、このままだとフェーを幸せにできない。
それでも俺はフェーともう一度会いたい……。
俺のことが好きだと言ってくれたフェーに、俺はもう一度会いたいんだ……!
だから、フェーが好きでもない人と結婚する前に、俺は誰よりも強くなって、ドナルド様に認めてもらうんだ。そのためなら、どんな苦労でも惜しまない!
いつか必ず身分を高めて、フェーにふさわしい男になって見せる。
懐におさめたフェーの手紙にそう誓いつつ、俺は拳を握った。
そうして、両膝の上にある自分の握り拳に視線を落としていれば、突然アンジェロが俺を覗き込んできた。
「私はバーレさんと違ってかなり厳しいよ、フィン。覚悟はできたかな?」
温もりのある声でそう問われ、思わず首をひねる。
セルン師匠ならまだ分かるが、雰囲気も顔もすんげぇ優しそうに見えるこのおじさんが厳しいのか……?
こっそりそう疑いつつも、元気よく「はい!」と答えた。
──それがなんと恐ろしいことに、その後俺はすぐに <天使の顔をした悪魔> という言葉の意味を思い知ることとなったのだ。
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