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太陽が沈んだ後の庭はあたりが良く見えないほど薄暗い。
令嬢たちの後を追って手入れされた芝生を超えて、更に立派な木々の奥へ奥へと彼女たちは先導した。
一体どこまで行けば気が済むの……。
早く屋敷に帰って仕事に戻りたいのに。
げんなりした気分でついていくと、王城が見えなくなるほど奥へ進んだところでやっと彼女たちは足を止めた。
「あなたの顔、見ているだけで腹が立つわ」
「まったくそうですよ、ダイアナ様。ちょっと可愛いからってキウス様からニロ殿下にまで媚を売るなんて、図々しい女ですこと!」
「それに何この格好。一応侯爵家のくせに舞踏会用の身だしなみも整えられないのかしら? それとも自信がありすぎてこれでいいと思っているの?」
早々に始まった罵声を右から左に受け流しながら、新規事業の提案書について思考を巡らす。
もう少し労働環境を改善したいから、とりあえず定期検診とかを設けようかな……。働き手の健康も大事だからね……。
そんな風に考えていると、突然。
「いい加減にしなさいよ!!」
バシンという音が響き、思わずひりひりする頬に手を当てる。
……叩かれた?
一応お互い令嬢だから、私に乱暴な真似はしないと思っていたのに……。
透けた扇で覆われているのは、ひどく陰湿な笑顔であった。3人とも本当に楽しそうね……。
「伯爵家とはいえ、素敵なキウス様という婚約者がいるのに、堂々とニロ殿下を誘惑しようとするなんて、身の程知らずにもほどがあるわ」
「まったくその通りですよ、ダイアナ様。痛い目に遭わないと気が済まないですこと!」
「容姿で男を弄ぶなんて、はしたない女ですわ。恥を知りなさいよ」
いきなり平手打ちを食らうなんて予想だにしなかったので、不快感が胸いっぱいに広がった。
これ以上付き合ってられないわ。
くるりと背中を見せると、突然後ろからダイアナに手を引っ張られた。
「どこへ行く気なのよ!」
そう叫び、彼女は再び手を高く上げた。
反射的にその手を掴み、彼女の動きを止めると、信じられないというような顔で3人は口を開いた。
「な、なにするのよ、侯爵家のくせに!」
「いいこと? 私たちは皆公爵家の息女ですわよ!」
「そうですわ! 公爵家の私たちに逆らうなんて、ただですまないですこと」
一歩踏み外せば即座に西の属国になってしまう王国で、侯爵だの伯爵だのとつまらない飾りの爵位ばかり騒ぐ彼女たちを相手するのは辛い。
さっと手を離してその場から離れようとしたが、ダイアナは又しても後ろから大声を出した。
「リック! 出てきなさい、今すぐよ!」
彼女の声に反応して木々の隙間から小太りの男性が現れた。
……何この人? 貴族らしい格好だけれど、ずっとあそこに隠れていたの……?
「リック。あなた彼女を気に入ったとか言ってたわね! 約束通り連れてきたから好きにしていいわよ?」
「ほ、本当にいいの、ダイアナ? でも彼女はキウス様の……」
「いいのよ、リック! キウス様はただの伯爵、公爵家のあなたにも私にも拒む権利なんてないわ。寧ろ公爵家の子息と結ばれて彼女も喜ぶはずよ」
ダイアナにそう唆され、さっきまでおどおどしていた男は興奮して踊り出した。
「そうだよね……! そもそもただの政略結婚だし。公爵家のボクと結婚した方が余程幸せだよね! それに既成事実さえ作っちゃえばキウス様だって諦めてくれるだろうし!」
「そうよ! 一目惚れしたとか言ってたよね。思う存分幸せにしてやりなさいよ、リック?」
そう言って嫌な笑みを浮かべるダイアナに、男は「おお、もちろんだ!」と両手を叩いてはしゃいだ。
さっきから黙って聞いたらなにやらとんでもないことを口にしている。
ただのいじめだと軽く思った私はやはりまだまだ甘かったのか……。
そんなことを考えていると、リックは私をじっと見ていやらしい笑みを浮かべた。
「ねえ、君。近くで見るとやはり可愛いね! ボクは必ず責任を取るから心配いらないよ? ねえ、おいで!」
鼻息を荒くして、男は私の腰に手を伸ばしてきた。
……責任を取る? ふざけているわ……!
ついかっとなって彼の手をグッと掴み、思い切り引っぱった。
そして前方につんのめらせると彼の顎に渾身の肘打ちを食らわす。
セルンから学んだ護身術を食らった男は、「うぐっ……!」と声を漏らしてそのまま気を失った。
すると令嬢たちはぎょっと目を剥き、たじろいで後ろに下がった。
ちょっとやりすぎたのかな……。
いや、でも爵位だけで人権を無視するなんて酷すぎる。
与えられた飾りの権利でいままでどのくらい人の尊厳を踏みにじんできたのか……。
許せない……。こんこんと湧き起こってくる怒りに震えて一歩踏み出すと、突然後ろから名を呼ばれた。
「フェーリ様!」
驚いて振り向くと、すごい勢いでこちらに走ってくるキウスの姿が視界に飛びこんだ。
「……どうしたのですか?」
私の足元で倒れている男性を目にすると、キウスは怪訝な表情を浮かべた。
なんでもないよ、とキウスに首を横に振ろうとしたが、令嬢たちが急に取り乱して叫んだ。
「キウス様! この女がリック様に暴力を振るったのですわ!」
「そうです、公爵家のリック様をですよ!」
「私も見ましたわ! リック様は何もしてないのに、本当に酷いですわ!」
平気でそんな嘘が言えるのか……。
無表情だろうけど途轍もなく気分が悪くなった。
そうして震えるほど拳を握っていると、急に足を抱えられ、ふわっと抱き上げられた。
「……もう大丈夫ですよ」
私の頬へ視線を投げかけてそう呟くと、キウスはちらりと令嬢たちのほうをみた。その黒眼はどこか冷たい光を放っている。……あれ、キウスが怒ってる?
「わ、私たちは、被害者……」
怯んだ様子で令嬢たちは小さく身震いした。
「詳しい事情は後で調べます」
静かな声だが、煮えたぎる怒りを帯びているように聞こえて、ひっ、と令嬢たちが小さな悲鳴をあげた。
「……ただし、ですよ? 万が一にもあなた達がフェーリ様に害をなしたのであれば、このままただでは済みません。これだけは肝に銘じてください」
くるりと踵をかえして、キウスは私をしっかりと抱いたままスタスタと歩きだす。肩越しに見える令嬢たちは真っ青な顔をして、腰が砕けたようにその場に尻餅をついたのだ。
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