26. 舞踏会

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 キウスから解放され、辺りを見回すと目の前に <貴賓の間> が見えた。  あ、もう戻ってきたのか……。  ──〈♫〉── 「……?」  キウスの変な行動に反応する間も無く、微かに聞こえてくる美しい音に惹かれた。そのほうを向くと、窓越しにニロの姿があった。  バイオリンの演奏中で、ニロは弓の動きに合わせて体を動かしている。  久しぶりに聞くニロの旋律は相変わらず澄んだ音色で少し切ない。  セルンから聞いた話によれば、ニロの銀目にまつわる変な噂は幼少期から忽ち広がり、大変心配になった国王陛下はそれを食い止めようと策をめぐらした。  その策の一つが、<音楽のタレント> だ。    極稀とされるタレントの持ち主は、先祖から恵みを頂戴した証として他人とちがう特徴的な外見を持つことが多いと言われている。  特に剣技や文芸に目立った才能のなかったニロは、鬼のような特訓を強いられ、無理矢理タレント持ちだと国王陛下が噂を流したのだ。  ニロ本人もその陰口に相当苦しめられていたらしく、長年努力した結果、今となっては誰もが彼のことを本物の <タレント持ち> だと信じこむように至った。  初めてセルンからこの話を聞いた時、特徴的な外見に苦しまれるニロの姿が頭に浮かび、堪らない怒りと悔しさで胸がいっぱいになった。  瞳の色とか、肌の色とか、そんなの関係ない。人間はみな同じ生き物で、平等のはずなのに……。  それにニロは目から人の思考が読める、本物のタレント持ちだ。  バイオリンの天才になりきる必要なんてない。ニロはニロのままでいいのに……と不服そうにこぼしたら、なぜだかニロにぎゅっと抱きしめられた。  かたじけない……と温かく囁かれたあとに、タレントのことは他言無用だと真剣な口調で口止めされた。なのでセルンにも言っていないのだ。  昔から思っていることだけれど、やはりニロは優れている。  変な噂を食い止めるためとはいえ、優秀な彼が奏でる美しいメロディに心を打たれない者はまずいないだろう。  噂の信憑性を高めるための、ニロの努力がやっと実った証拠だ。  そんな彼の仲間に相応しい人になるためには、もっともっと頑張らないと……。  改めてそう決意しつつ、ニロの演奏に耳を澄ました。  そうしてバイオリンの音が消えると轟くほどの拍手喝采が瞬時に起こった。 「素晴らしい!」 「さすがですわ!」 「やはりタレントの持ち主は違いますな!」  賛美の言葉が飛び交うなか、さっきから私の頭に顎を乗せて、後ろから抱きついてくるキウスを仰ぎみると、にっこりといい笑顔がかえってきた。 「フェーリ様、今日はこのまま帰りますか?」  黙って帰ったらニロに心配をかけてしまう。 「ニロには、何も、言わないで……欲しい」  そうお願いをすると、キウスは困ったようにため息をついてから、私から離れた。その表情はどこか素っ気なくみえる。 「……わかりました。フェーリ様がそれを望むなら、そうします」  その言葉とともに頬に厚い手のひらを押し当てられて、温めるように包み込まれた。それから私の髪の毛をかきあげると、どこかホッとした感じでキウスが微笑んだ。  昔からそうだ。  一度キウスに呆れられてしまったが、婚約してから本当によく気遣ってくれた。  事業が忙しくて会えなくても、ニロと仲良くしても、キウスは眉一つ寄せることなく、いままで快く理解してくれた。  さっきからわがままばっかりの私を叱ることなく、キウスは味方になってくれた。  いつもどこか掴めないキウスだけれど、いざという時は誰よりも頼りになる。 『素敵なキウス様という婚約者がいるのに、堂々とニロ殿下を誘惑しようとするなんて』 『恥を知りなさい!』  ふと令嬢たちに言われた言葉を思い出した。  確かに剣の秀才にして、丈の高いキウスは私に勿体無いくらい素敵な婚約者だ。  それなのに、私はニロに手を握られたり、抱きしめられたりすると思わず胸が高鳴ってしまう。  仲間以上の関係を望んではいけないと分かりつつも、真面目で思いやりのあるニロに全く下心がないといえば、それは嘘になる。  政治上の都合でキウスと婚約を結んだ。  けれど、正直にいうとお互い不本意に結婚するのではなく、立派なキウスにはもっと幸せになって欲しい。  できれば早くこの婚約を解消させて、キウスを束縛から解放したい。それが味方になってくれる彼にできる唯一の恩返しだ。  王国の政治と経済が安定しなければ、婚約の解消はできないとドナルド社長が言った。そしてコンラッド家の事業は王国の経済を支える太い柱だ。  その巨大な事業をうまく管理できるようになってからでないと政治に手を出せない。下手に失敗したくないからね。  婚姻の延長をできるだけしてもらっているけれど、あまり時間がない。もう少し頑張らないと……。  固く握り拳を作りながら、平然を装い <貴賓の間> に足を踏み入れた。
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