30. 雨の夜

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30. 雨の夜

 焦りを覚えつつ玄関を出ると、ザーザーと降る雨の音が聞こえた。  豪雨で周囲は真っ暗で何も見えず、屋根の下でニロと共にじっと馬車を待つ。  冷たい風に吹かれながらニロが目を見てくれるのを待ったが、彼はずっと屋根から滴る雨水を見つめていた。会話を諦めて少し憂鬱な気分に襲われていると、突然。 「……フェーリ」  そっぽを向いたままニロは私の名を呼んだ。依然とこっちを向いてくれないので、重たい唇を開こうとした時。 「さっきは、すまなかった……」  ばつが悪そうな様子でニロが目をそらした。  さっき? 食事会のことかな……?   混乱していたから内容はちゃんと把握できなかった。けれど、あれは確かに私を庇う言動だった。  危うい口論になってしまったが、それはジョセフを不快にさせてしまった私に非がある。ニロが謝ることなど何もない。 「ニロは、悪くない」  その横顔を見つめながらそう言うと、やっと私のほうを向いたニロは気まずそうに「ちがう」と首をふった。 「食事会のことではなく、余はその……、さっきの、……せ、せっぷんのことで、謝っているのだ……」  言いながらニロの顔がじわじわと赤く染まっていく。つられてキスのことを思い出した瞬間、かっと顔が火照った。 「……その口づけは、その。意図したものではないのだ……」  絞り出すような辿々しい言葉だった。  やはりあれはただの事故だったのか……。  勝手に期待してしまった自分がいけないのだけれど、改めてはっきりそう言われるとそれはそれで悲しい。  一度目を伏せてから、ニロは苦い顔で私の顔へ目をやった。 「今日のお前は一風変わって美しい。その顔を間近で見ようと思っただけなのだが、その、……瞼を閉じるお前の顔が、あまりにも愛おしくて、……自分を抑えられなくなり、……んんっ。気づいたら、く、唇が……」  ニロがとても辛そうだ……。  それもそうか。私はキウスの婚約者だ。間違えてでも他人の婚約者にキスするのは倫理違反。ニロは真面目だから、苦しむよね。  頭では理解しているけれど、ニロの悲痛な面持ちをみていると、なんだかやるせない気持ちになった。  ただの間違いだから、長々と引きずってもかえって気まずいだけだ。いっその事二人とも潔く忘れた方が……。  密かに悩みながら平然を装い、申し訳なさそうな顔をする彼に、(気にしないで) と瞳で返した。私の返事が伝わったのか、ニロの目に薄っすらと切ない色が浮んだようにみえた。 「本当にすまない。……だが、このままなかったことにはできない」  急に決意を固めた素振りでニロは姿勢を正して私と向き合う。  その凛々しい姿に胸が熱くなり、途端に鼓動が速まった。  そうして、ゆっくりと大きく息を吸ったニロは、「フェーリ」としっかりした口調で私の名を呼んだ。  いつもと違うその呼びかけに胸がドクンと跳ね上がる。 「この際はっきり言わせてもらおう」  ニロは拳を握り締めた。暗闇の中、真っ直ぐに見つめてくるその美しい銀色の瞳は一瞬輝いて見えた。
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