31. 狸の巣

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 使用人に案内され、イグと部屋を移動すると、すぐさま部屋を空けて欲しいと手をふる。 「……はぁあっ」  肩の力をぬき、広いソファにもたれかかると、「お疲れ様です」とイグは笑顔で労ってくれた。 「まったくですよ……」  小さな丸眼鏡を外してかるく眉間を揉む。 「力を抜くのはまだ早いですよ、ジョセフ様。取引はもちろん重要ですが、なんといっても今回の目当ては聖女様のほうですからね?」  嫌なことを思い出させてくれる……。 「イグ、私の即位式に聖女を招待する必要はない。なんど言わせるつもりですか?」  イグに顔をしかめると、困ったような表情が返ってきた。 「当初の目的をもうお忘れですか、ジョセフ様? 国教と王家の融合。連なって国の安泰を民に訴えるには、聖女様の存在が必要不可欠です。どうしても聖女様を我が国へ連れて帰らないといけない。ですから、宰相様ではなく、ジョセフ様がみずから王国に赴いたのではないですか?」  説教じみた口調。そんなイグに返す言葉が見つからず、はぁぁあ……、と深いため息をこぼす。 「……しかし、聖女様は本当にすごいですね。食事会で言いあう2人を見かねて立ち上がった瞬間、ドドーン! と雷が鳴って、部屋がピカピカっ! って……。あれはまさに奇跡そのものでした」  無言で眉間を揉むと、うっとりした目でイグが言った。  この間までイグも聖女教を忌み嫌っていた。  しかし聖女教の創始者、キーパー・ストロングと会ってから、急に聖女を信じ込むようになったのだ。一体どんなデタラメを聞かされたのか……。  呆れ果てて、諭すように言った。 「あれはただの雷です、イグ」 「ただの雷ではなく、聖女様の雷です、ジョセフ様。あれは奇跡です」    すごい真顔。これは重症だな……。 「はあ……。本当にメシアなら、雷ではなく、まずは水をワインに変えて欲しいです……」  眉間を揉みながら、皮肉っぽくそう呟けば、イグは頭の上に大きな疑問符を浮かべた。 「ネシア? なんですかそれ……?」 「シアです、イグ」 「……シア、ですか? どういう意味ですか?」  強めにメを強調したが、言語の影響でその違いがわからないようだ。 「つまり救世主のことですよ……」 「フェーリネシア、ですか。わぁ、いい響きですね……」  手を胸に合わせて、イグは陶酔したような表情を浮かべる。  フェーリの名前を耳にするだけでも気分が悪い。それがちがう宗教とまぜこぜして、妙な称号とくっつけられるとなおさら気味悪い……。  そもそも前世から私は美人をよく思えない。  とくにフェーリのような純粋な雰囲気を醸し出す女性は苦手だ。  その美貌と出身で周りから甘やかされ、苦労を知らない、ただの高慢ちきな令嬢。  大人しくしているようだが、それが聖女など、私は絶対に騙されない。 「……いろんな意味で不快です、イグ。その称号はやめなさい」  面白くない顔でそう戒めると、イグは不思議そうな顔をした。 「なぜですか? フェーリネシア、美しい響きだと思いませんか?」 「いいえ、全く思いません」 「私はいい響きだと思います。……フェーリネシア〜、ああ、やはり美しい」  イグは素知らぬふりをして、幸せそうにフェーリネシアを連呼しはじめた。  これはやってしまった……。  いろいろ違うから! とキリスト教を知らないイグに説明してもわかってもらえないだろう。断念して肩を竦める。  私は前世、戦争で苦しむ人々を支援する医師団の一員として、長い生涯を終えた。  28年前、記憶を背負ったままこの世界に生まれ変わった。のだが、幼少期からごたごたする王族内部の争いに巻き込まれ、やっとの思いで王位継承権を手に入れたのだ。  平和な世界を志し、国王になれたら人々が苦しまない国を作ろうと意気込んでいた。それなのに、前世と変わらず憎たらしい宗教戦争が勃発した。多くの難民が生まれ、子どもたちは遊ぶ場所を無くしたのだ。  人間である以上戦争は避けられないのか?  現実を思い出すだけで胸が苦しくなる。  もうすぐドナルドが帰ってくる。今のうちに少し休もう。そう思いまつげを伏せた瞬間、扉の取手をまわす音がした。
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