31. 狸の巣

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「フェーリ、大丈夫かい?」  聖女をそばに引き寄せて、ドナルドが訊いた。 「……大丈夫、です」 「本当かい?」   聖女がうなずくと、ドナルドは温厚な笑顔を浮かべた。 「何もないなら、君はもう部屋へ戻ってやすみなさい」  動揺したよう目で私をちらりとみてから、聖女はドナルドに点頭した。それから華麗にガウンの裾をつまんでみせ、去っていった。  パタン、と扉が閉まったとたん、ドナルドは目の色を変えた。 「ジョセフ様。長年の戦争で憤懣(ふんまん)やる方ないお気持ちはわかります。ですが、それを娘に発散するようなことだけは、控えていただきたい」  明白に敵意を帯びた眼差しだが、その口調は紳士そのものであった。 「フェーリに指一本でも触れたら、例えそれが誰でも、私は絶対に看過しません」    威嚇のごとくそう圧力をかけてきた。  立場的に私は聖女に手出しできない。ドナルドも分かっているはずなのに、わざわざ怒りを剥き出してまで、念を押してきた。  さっきのニロ王子もそうだ。2人とも異様に聖女を大事にしている。  もうじき国王になる私を脅して、外交を断ち切られてもいいというのか? まだ実害を加えてもないのに……?  我が国を利用するために、年月をかけて聖女教を立ち上げたはず。これでは、せっかくのはかりごとも台無しになるのではないか……?  聖女はただの駒ではないのか……?  イエスのことは空耳だったのか、聖女に聞きたい。だが、イグの言うとおり、私は自分の感情を優先しすぎた。  うかつに聖女の機嫌を損ねたら、二国間の関係が破綻する。  そうなれば、経済を救うための取引も当然ダメになる。  彼女との接し方を改める必要があるかもしれない……。  頭を冷やして、ドナルドにうなずいた。 「さあ、では本題に戻りましょう。まず内容に目を通して、署名を──」  何事もなかったかのように、ドナルドは素敵な笑顔で書類を見せてきた。  そうして正式に書面を交わし、軽くワインで乾杯する。交渉が無事成立した。それからイグと分かれて、用意された各自の客間に入る。  明日は違う態度で聖女と接してみるしかないか……。  腹をくくり、はぁあ、と大きくため息を漏らす。そのまま、倒れるように疲れた体を休ませたのだ。
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